第九章 〜逃亡の末に〜 14
王宮跡へと続く道の途中で、ふと目に留まったのは、廃墟の中でも奇跡的に形を留めた建物だった。朽ち果てた周囲の風景とは対照的に、その建物は静かに時の流れに耐えているように見えた。
「……ここなら、少し休めるかもしれないわね」
リヴィアが静かに呟いた。彼女の言葉にミレイは頷き、瓦礫を踏みしめながら中へと足を踏み入れた。
建物の中には、外の明るさとは隔絶された薄闇が漂っていた。床には崩れ落ちた柱の破片や瓦礫、朽ちた木片が散乱している。それでも、奥へと足を進めると、瓦礫が少なくなり、辛うじて休めそうな空間が広がっていた。
「いいね。ここならゆっくり座れそう」
ミレイの声が静寂の中に響き、思ったより大きく反響する。外の喧騒が遠く離れ、ここだけが時間から切り離されているかのように感じられた。
壁に背を預けると、ひんやりとした感触がじんわりと背中を伝い、旅の疲れが一気に押し寄せてきた。傍らに槍を置き、軽く息を吐き出す。
リヴィアも隣で静かに座ると、目を閉じて浅く息を吐いた。その細い指先が微かに震えていることに、ミレイは気づいたが、あえて口に出すことはしなかった。
窓枠から差し込む陽光が室内を淡く照らし、浮かび上がる埃が穏やかに漂っている。遠くから微かに聞こえる鳥のさえずりと、風が瓦礫の隙間を抜ける柔らかな音が静寂を彩った。
訪れた束の間の安らぎに身を委ね、ミレイは静かに目を閉じた。
ふと、リヴィアの脳裏に過去の記憶が蘇る。
かつての王宮は、黄金の装飾と白亜の大理石が輝く、まさに誇り高き国の象徴だった。だが、それは広大な国のそれとは違う。国土は決して広くなく、王宮も大国の城と比べれば小ぢんまりとしていた。それでも、リヴィアにとってそこは誇るべき祖国だった。
長い回廊を駆け抜ける幼き日の自分。母の微笑み、父の厳格ながらも優しさを感じさせる眼差し。青空の下、小国ながらも誇り高く生きる人々の笑顔が広がっていた。豊かではなかったが、彼らは満ち足りた日々を送っていた。
だが、ある日、そのすべてが崩れ去った。
遠くで鐘が鳴る音が聞こえたかと思えば、それは警鐘へと変わり、次の瞬間には王宮が悲鳴と怒号に包まれていた。国境を守る兵士たちは少なく、敵軍の侵攻を食い止める術はほとんどなかった。城門は炎に包まれ、街のあちこちから立ち上る黒煙が空を覆い尽くしていた。
「リヴィア様、こちらへ!」
護衛の声に促され、戸惑いながらも必死に走った。振り返れば、燃え落ちる王宮、剣を交える兵士たち、血に染まる石畳。その光景が、鮮明に焼き付いた。
(どうして……こんなことに……)
息が苦しい。涙が滲む。けれど、逃げるしかなかった。
冷たい手が彼女を引き寄せ、薄暗い地下道へと導いた。湿った石壁の匂い、響く足音、そして遠ざかる断末魔の叫び。誰かが倒れる音。誰かが絶望に叫ぶ声。
——焼け落ちる王宮。
——血に染まる石畳。
(やめて……もう見たくない……!)
無意識のうちにリヴィアの額には汗が浮かび、呼吸が浅く乱れ始める。美しい記憶は瞬く間に悪夢へと姿を変え、彼女の意識を飲み込もうとしていた。
燃え盛る炎が視界を覆い、全身を包み込むような錯覚に襲われる。
──死ぬ。
その瞬間、肩を揺さぶる感触が現実へと引き戻した。
「リヴィア……? 大丈夫?」
優しく肩を揺すられ、リヴィアははっと目を開ける。目の前には心配そうに覗き込むミレイの姿があった。
目の前には、心配そうに覗き込むミレイの顔があった。
銀色の瞳が、じっとこちらを見つめている。微かな眉の寄せ方、言葉を選んでいるような口元。彼女の顔は焚き火の揺らめく光に照らされ、ほんのわずかに赤みを帯びていた。
「……ミレイ?」
リヴィアは、ゆっくりと息を吸い込む。
肩が、僅かに震えているのが分かった。
喉の奥が詰まるような感覚を振り払うように、息を整えながら、精一杯の微笑を浮かべる。
「……大丈夫よ。」
声は、いつものように冷静に響くはずだった。
けれど、どこか脆さを含んでいた。
それを悟られまいと、リヴィアは顔を伏せようとした——だが、ミレイはそれを見逃さなかった。
しばらくの間、何も言わずに見つめていた彼女は、ただ、静かに頷いた。
それだけだった。
追及しない。何かを問い詰めることもしない。ただ、彼女はリヴィアの隣に腰を下ろし、視線を前へと向ける。
夜の空気が冷たく、静かに肌を撫でていく。
遠くで風が吹き抜け、瓦礫の間を通り抜ける音がわずかに響いた。
焚き火が、ぱちり、と音を立てる。
暗闇の中で、ただ火の光だけが小さく揺れていた。
リヴィアは、瞳を閉じる。
燃え落ちる王宮の光景が、まだ脳裏に焼き付いていた。
しかし、今はただ、この静寂の中に身を委ねるしかなかった。
静かに、ゆっくりと、眠りへと落ちていく。
その傍で、ミレイもまた、火を見つめながら、何かを考えていた。




