第九章 〜逃亡の末に〜 13
それから数日間、二人は慎重に進み続けた。
森の奥深くを縫うように進み、足跡を残さぬよう川沿いを歩く。夜は冷たく、朝は霧が立ち込め、昼間でも薄暗い樹々の間を進む中で、彼女たちはわずかな光と風の流れを頼りにした。
途中、追手の姿を何度か確認することもあった。
木々の間に潜み、じっと息を潜める時間が何度も訪れた。耳を澄ませば、遠くで話し合う男たちの声や、金属の鎧が擦れる音が微かに聞こえる。時折、枝葉が揺れるだけで緊張が走り、足音が遠ざかるまでの長い時間が過ぎる。
とはいえ、すべてをやり過ごせたわけではない。
夜の森で焚き火の光が敵の目に留まり、小規模な追手と交戦することになったこともあった。
「……気づかれちゃったか」
ミレイは薄く笑い、槍を構える。火の揺らめきが彼女の銀色の瞳に映り、静かに戦意を滲ませた。
「ミレイ、やるなら素早く」
リヴィアが剣を抜きながら短く告げる。
敵は三人。
焚き火の灯りの中で、彼らの姿がはっきりと浮かび上がる。剣を構えた男、ナイフを手にした軽装の斥候、そして様子を窺いながら間合いを計る魔術師らしき男。だが、彼らは追跡役であり、最前線の精鋭というわけではない。
ミレイが先手を取るように飛び込み、槍を流れるように振るった。
火の粉が舞い上がる。
敵が避けようとするより早く、柄を使って崩し、リヴィアが即座に仕留める。剣が閃き、暗闇に鮮やかな軌跡を描く。
戦闘はほんの数十秒で終わった。
静寂。
薪がはぜる音だけが響く。
「早いわね」
リヴィアが短く言うと、ミレイは肩をすくめた。
「戦闘は手短に済ませるに限るでしょ?」
ミレイは視線を巡らせ、血に染まった地面を見下ろした。赤黒い液体が冷えた土に滲み、夜の闇に吸い込まれていく。
「これでまたしばらくは気づかれずに進めるはず」
戦わざるを得なかった場面もあったが、それでも二人は慎重に歩を進めた。
そして、ついに——
「……見えてきたわ」
リヴィアが足を止め、前方を見つめる。
霧の向こうに、灰色に朽ち果てた廃都が広がっていた。
石造りの建物は半壊し、崩れ落ちた屋根が鋭利な影を作っている。割れた塔の残骸が、まるで世界の終焉を象徴するようにそびえ立つ。枯れ果てた木々が石畳に根を張り、かつての広場はひび割れた地面に埋もれ、荒廃の中に沈んでいた。
冷たい風が吹き抜ける。
砂塵が舞い、乾いた草が音もなく揺れる。
ミレイは無言でその光景を見つめた。
ただの廃墟ではない。
ここには、かつて人々が暮らし、笑い、誇りを持って生きていた痕跡が確かにあった。
「……やっぱり、来るんじゃなかったかも」
かすかに震える声が、静かな廃都に溶けていった。
冷たい風が、砂塵を巻き上げながら廃都を吹き抜ける。
崩れた石造りの建物、砕け散った石畳、ところどころに残る黒ずんだ焦げ跡。かつてここが人々の営みで満ちていたことを物語る痕跡は、もうとうに失われていた。
ミレイとリヴィアは、静寂の中を進んでいた。
月明かりが、瓦礫の隙間からひっそりと顔を覗かせる枯れた草を照らしている。植物の生命力すらこの地には及ばず、根を張ることもできずに風に揺れるばかりだった。
かつて賑わっていた通りは、すでに形を成しておらず、まるで大地そのものが歪んだように瓦礫が堆積している。崩れた門柱の間を通り抜けるたびに、かすかな軋みが響き、時折、崩れかけた壁が耐えきれずに小さな破片を落とす音が響く。
リヴィアは、ふと立ち止まった。
「……あまり長居はしたくないわね。」
低く呟く声は冷静だったが、その瞳の奥には、決して消え去ることのない記憶の影が揺れていた。
ミレイは何も言わずに頷くと、足元の瓦礫を慎重に乗り越えた。
ふと、風が吹き抜ける。その音が耳を掠めた瞬間、背後で何かが動いたような錯覚を覚える。振り返るが、そこにはただ、朽ちた街の影が横たわるばかり。
足を踏み出すたびに、瓦礫の上で小さな破片が砕け、二人の足音だけが静寂の中に響く。誰もいないはずなのに、どこか見られているような感覚が背筋を撫でる。
この地に残るのは、記憶の残滓と、夜風が運ぶ死者たちの囁きだけ。
リヴィアの手が、無意識に腰の短剣へと伸びる。その指先が触れた刃は、わずかに冷えていた。
――生きていた頃のこの国を、どれほど思い出しても、ここにはもう何も残っていない。
今もなお、廃墟となった街の奥には、ぼんやりとかつての王宮の輪郭が見えていた。




