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第九章 〜逃亡の末に〜 12

 森の中、夜の静寂を破ることなく、二人は慎重に足を運んでいた。


 月の光が木々の隙間から細く差し込み、影が長く伸びる。湿った土の匂いが鼻をくすぐり、夜露が枝葉を重たげに濡らしている。虫の鳴き声もほとんど聞こえず、ひんやりとした空気が肌を撫でた。


 「……まだ、近くにいるわね」


 リヴィアが低く囁く。


 ミレイは小さく頷き、しゃがみ込んで周囲の気配を探る。遠く、風に混じる微かな足音。葉擦れの音とは違う、規則的な歩調——人の気配が、確かに迫っていた。


 「こっちは気づかれてない……でも、奴らはしつこいね」


 背後の木々の間から、わずかに動く影が見えた。追手たちは広範囲に散開しながら、視線を鋭く巡らせ、二人を探している。


 「これ以上、足跡を残したらまずいね」


 ミレイは自分の足元を見る。湿った土が靴跡をしっかりと刻んでいる。冷え込んだ夜気の中では乾くのも遅い。


 「水の中を進むしかないかな」



◇◇◇



 川辺へとたどり着くと、冷えた水面が静かに月光を反射していた。流れは緩やかだが、底は見えず、黒い闇のように広がっている。水面には木の葉がゆっくりと流れ、岸辺にはひっそりと岩が顔を出していた。


 ミレイは迷わず水の中へと踏み込んだ。


 「冷たっ……!」


 昼間の暑さが嘘のように、夜の川は肌を刺すような冷たさだった。水が足首から膝へと絡みつくように冷気をまとい、衣服に染み込むたびに身震いする。


 リヴィアもため息をつきながら川へ入る。


 「……まったく、こういうのには慣れないわね」


 「でも、足跡を消すにはこれが一番でしょ?」


 ミレイは肩をすくめながら、小さく笑った。


 二人は水の流れに沿い、慎重に歩を進める。川底はぬかるみ、時折、小石が足元から転がる。水が流れる音が夜の静寂の中に小さく響き、些細な音すら周囲に溶け込むようだった。


 冷えた水が骨まで染み込み、呼吸が浅くなる。足元が不安定になり、バランスを取るために慎重に歩を進めた。


 やがて反対側の岸へとたどり着くと、二人は静かに茂みへと身を隠した。


 川の向こう側では、追手の影がちらついていた。暗闇の中、彼らの動きははっきりとは見えなかったが、時折聞こえる囁き声と、足元を探るような仕草が見て取れた。


 「……消えた? いや、足跡がここで途切れている……?」


 「まさか川を……?」


 「……いや、そんな馬鹿な。夜中に冷たい川を渡るなんて、普通はしないだろう」


 彼らの声には迷いがあった。足跡がぷつりと途切れた地点を見つめ、互いに顔を見合わせる。


 夜の闇の中で、川の流れは冷たく、底が見えない。見張りの一人が足を一歩踏み出し、しかし冷えた水に触れた途端、身をすくませた。


 「……駄目だ、こんな夜中に入るのは危険すぎる」


 「やつら、別の道を使ったんじゃないのか?」


 追手たちはしばらく相談していたが、結局、別の方向へ散っていった。


 それを確認すると、ミレイとリヴィアは静かに茂みから顔を出した。


 「うまく撒けたね」


 「でも、まだ安心はできないわ。ここからは痕跡を残さないように進むわよ」


 ミレイは小さく息を吐き、濡れた髪を払いながら頷く。


 二人は体を震わせながら、森の奥へと足を踏み入れた。


 木々の間を縫うように進み、ようやく風が静かになったところで、ミレイが小さく笑った。


 「ふぅ……今夜は、ぐっすり眠れそう」


 リヴィアは呆れながらも、微かに口元を緩める。


 「……その前に、火を起こす場所を探さないと」


 まだ完全に気を抜くには早い。だが、ほんの少し、緊張が和らいだ。


 夜の森は静かに二人を包み込み、やがて、ただ虫の声だけが響いていた。

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