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第九章 〜逃亡の末に〜 10

 補給を終えた二人は市場の喧騒を背に、何気ない歩調で町の門へと向かっていた。


 露店の間をすり抜けながら、余計な目を引かないよう慎重に。会話も最低限に抑え、足取りは自然に。何も知らないただの旅人を装い、空気の一部となるように。


 しかし——


 ガシャァン!!


 突如、爆発音のような衝撃が市場の空気を切り裂いた。


 すぐ真横の道端で、商人の荷車が激しく横転し、積まれていた木箱や袋が派手に散乱する。赤や黄色の果実が地面を転がり、陶器が割れ、白い粉末が宙に舞った。喧噪が一瞬止まり、次の瞬間には市場中の視線が一斉にそちらへ集中する。


 「っ……最悪」


 リヴィアが低く毒づいた。


 人々の目が、好奇心と驚きに満ちた視線が、まるでナイフのように周囲をえぐる。商人が必死に散らばった荷を拾い上げるが、すでに野次馬たちが取り囲み始めていた。ざわめきが広がり、人々の動きが滞る。


 このままでは、ミレイとリヴィアも避けられない注目を浴びることになる。


 しかし逃げれば、それこそ怪しまれる。


 「どうする?」


 リヴィアが素早く問う。


 ミレイはすでに動きながら答える。


 「誤魔化すしかないでしょ!」


 ミレイは一瞬の迷いもなく、槍を背から外して荷物とともに物陰へ押し込んだ。


 しかし、すぐ近くの衛兵が顔を向けた。鋭い眼光がこちらを掠める。


 「……っ」


 ミレイは咄嗟に視線をそらし、何食わぬ顔で商人の方へ向かった。


 ごくり、と喉を鳴らしながら、リヴィアは横目で周囲を窺う。衛兵の動き、群衆の反応、次に取るべき行動——すべてが頭の中で巡る。


 衛兵の足が動いた。こちらへ近づいてくる。


 心臓が跳ね上がる。


 周囲の喧騒が遠ざかり、衛兵の硬いブーツが石畳を踏みしめる音だけが耳に響く。


 手のひらに汗が滲むのを感じながらも、リヴィアはできるだけ冷静を装っている。


 やばい——


 だが、


 「大丈夫!? こんなところで荷物をぶちまけて……!」


 ミレイは何の関係もない善良な人間のように商人へ駆け寄った。息を切らし、心配げに顔をしかめ、荷物を拾う手を伸ばす。市場のざわめきの中で、一番目立つ場所へと裏をかいて飛び込んだのだ。


 リヴィアも瞬時に察し、騒ぎを気にするただの客として振る舞う。眉をひそめ、遠巻きに様子を見つめる群衆の一人になりきった。


 衛兵の足が止まった。


 張り詰めた緊張が、音もなく膨らんでいく。


 空気が重い。


 誰もが動いているはずなのに、視界の隅で見える人々の動きが異様に遅く感じられる。


 喧騒の中で、音が遠のく。世界がゆっくりとした流れに飲み込まれ、ミレイもリヴィアも、ただそこに静止したように時間を感じていた。


 顔をわずかに動かせば、再びこちらを見られるのではないか——そんな錯覚に襲われる。


 鼓動が妙にはっきりと聞こえた。


 喉がひどく渇いている。リヴィアは無意識のうちに指先に力を込め、微かに震えるのを押さえつけた。


 何秒、いや、何分経ったのか。


 衛兵の体がわずかに動き、ゆっくりと向きを変え、騒ぎの中心である商人へと意識を移した。


 リヴィアは息を殺しながら、ゆっくりと背筋を伸ばす。


 気づかれていない。


 完璧だ。


 周囲の関心は荷車をひっくり返した商人と散乱した荷物へ移り、誰も二人を不審がる者はいない。市場の混雑に紛れ、ゆっくりと門の方へ向かう。


 二人は決して顔を見合わせないまま、呼吸を整えた。


 体の芯に残る冷たい緊張を振り払うように、ゆっくりと歩みを進める。


 「……やれやれ」


 ミレイが小さく息を吐いた。


 「まったく……、心臓に悪いわ」


 リヴィアも肩をわずかに落とし、唇を引き結ぶ。


 張り詰めた空気が緩んだ。


 その時——


 「槍のお姉ちゃんと剣のお姉ちゃん!!」


 ——全てが終わった。


 澄んだ、無邪気な子どもの声が市場のざわめきを切り裂く。


 空気が凍りつくのを、二人は肌で感じた。


 市場の喧騒が、一瞬にして違う意味を持つ。先ほどまでただの群衆だった人々が、一斉に振り向く気配。


 誰よりも、最悪のタイミングで、最も純粋な存在に名前を呼ばれてしまった。

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