第九章 〜逃亡の末に〜 6
言葉の途中で、ミレイが瞬時に動いた。敵兵の動線を見極め、槍の柄で足を払う。崩れた兵士が反射的に飛び退き、別の兵士がよろめく。
「ほら、こっちだよ?」
ミレイの冷静な声が響いた。
次の瞬間——
魔物の巨大な顎が、ミレイとそして兵士の方へと振り向いた。
「——っ!!」
敵兵が悲鳴を上げる。
リヴィアもその意図を理解した。
「……合わせるわ!」
瞬時に敵兵の位置を把握し、ミレイの誘導に合わせて剣を振るう。動きが乱れた敵たちに、魔物の咆哮が轟いた。
「よし、巻き込める!」
ミレイが短く告げると、リヴィアも頷く。
次の瞬間、魔物の前脚が地を叩き、巨大な衝撃が広がった。
二人はそれを回避しながら、一瞬の交戦へと移る。
ミレイが槍の先端を低く構え、動きの癖を見極めようとする。しかし、魔物の耐久力は異常だった。
ミレイの槍が鋭く突き出される。だが、漆黒の甲殻は砕けるどころか、小さな傷すらつけることができない。
「……ったく、冗談でしょ」
リヴィアが魔物の足元を狙い、鋭い連撃を叩き込む。しかし、その刃も甲殻に弾かれ、魔物は逆に怒りを増幅させる。
「ミレイ! 来るわよ!」
瞬間、魔物の尾が大気を裂いた。
ミレイは地を蹴り、ギリギリのところでかわす。その直後、轟音とともに地面が粉砕された。
「……こりゃ、笑えないね」
ミレイが冷静に状況を見極める。
追っ手の兵士たちも混乱し、逃げ惑う。しかし、魔物はまだ標的を変えようとしない。
「長引かせたらマズいね……」
ミレイが槍を回しながら、魔物の動きを観察する。その巨大な眼は、確かに二人を捉えたまま揺るがない。
「ミレイ、どうする?」
リヴィアが剣を構え直しながら低く問う。
「どうするって……倒せるなら倒したいけど」
その言葉に続けて、魔物の尾が唸りを上げる。
「——っ!」
ミレイとリヴィアは反射的に左右へ飛び、瞬間、地面が爆裂した。吹き飛ばされた岩片が飛び交い、木々が粉砕される。
「くそっ……! バカみたいな破壊力ね!」
リヴィアが歯を食いしばる。
「だけど、動きは鈍い。攻撃の後に隙がある……」
ミレイは目を細めながら、槍を低く構える。
魔物は巨体を揺らしながらこちらへ向かってくる——
「くるよ!」
ミレイの声と同時に、魔物が咆哮を放った。
轟音とともに大気が揺れ、衝撃波が荒れ狂う。地面の土砂が巻き上げられ、木々が根こそぎ吹き飛ばされる。
「ぐっ……!」
ミレイは槍を支えにしながら、後方へ飛ぶ。リヴィアも咄嗟に回避するが、僅かに体勢を崩した。
「リヴィア、下がって!」
ミレイは素早く片手を前に突き出した。瞬間、彼女の指先から赤熱の火球が連続して弾け飛び、光の矢のように一直線に魔物の巨大な眼を撃ち抜く。
魔物が怯んだ瞬間、ミレイは槍を回転させながら跳び込み、狙いを定める。
「今なら——!」
リヴィアもその意図を察し、剣を構えて前に出た。
ミレイは槍を強く握りしめ、瞬間、雷がその刃に纏わりついた。稲妻が弾けるように槍を包み込み、青白い光が周囲を照らす。
「貫く!」
雷を纏った槍が一直線に魔物の装甲を狙う。高圧のエネルギーが槍先に収束し、ミレイが突きを繰り出した。
雷光の一撃が甲殻を焼き裂き、魔物の体を貫通する。衝撃とともに魔物が咆哮を上げ、激しく身をよじらせた。
「効いた…!」
ミレイは槍を引き抜きながら後方に跳び、リヴィアの剣がその隙を狙うように振るわれた。
「まだ…! 仕留めるわよ!」
リヴィアの鋭い声とともに、二人は次の攻撃に移った。
しかし——
魔物が大きく吠え、その巨体を一気に跳ね上げる。地を揺るがすほどの力で前脚を叩きつけ、周囲の地面が崩れ、大量の土砂が巻き上がる。
ミレイとリヴィアは瞬時に身を引いたが、魔物の動きは止まらない。咆哮とともに、その巨体がこちらへと迫る。
「くるわ!」
リヴィアが叫ぶと同時に、魔物の尾が大気を裂きながら薙ぎ払われる。
ミレイはとっさに地を蹴り、寸前で回避するが、その衝撃だけで木々がなぎ倒され、辺りの地面が削り取られた。
「力押しってわけね…!」
リヴィアが低く構え、魔物の次の動きを見据える。
だが、魔物は一瞬動きを止めると、口を大きく開き、体内から不気味な光が漏れ出す。
「……まずい! 何かくる!」
ミレイが叫んだ瞬間、魔物の口内から膨大な熱量を帯びた光線が放たれた。
「……っ、跳んで!」
リヴィアの叫びに合わせ、ミレイは即座に後方へ飛ぶ。轟音とともに光線が地を焦がし、一瞬にして戦場を炎の海へと変えた。
「……無理ね、これ」
リヴィアが息を切らしながら言った。
「いや、やりようはある。でも——」
ミレイは槍を回しながら、ちらりと敵兵たちの方を見た。彼らも魔物の暴走に巻き込まれ、混乱している。
「引こう……」
決断の瞬間。
瞬時に空気が震え、周囲に淡い熱が生まれる。ミレイの指先が僅かに動き、二人を隠すように周囲の砂塵が一気に巻き上がった。
それを合図にミレイとリヴィアは互いに目を合わせ、無言の合図で同時に跳び退った。
背後では魔物が暴れ、砂埃が舞っている。だが、視界を失ったことで的確に追跡することはできていないようだった。
「またね、大顎の王様」
ミレイは小さく呟きながら、夜の森へと消えていった。
◇◇◇
しばらく走り続け、ようやく魔物の咆哮が遠のいた。
静寂が戻った森の中で、二人は大木の陰に身を隠し、肩で息をする。
木々の間を抜ける冷たい風が、火照った肌を冷やす。葉擦れの音が静かに響く中、遠くで夜鳥の声がかすかに鳴いた。戦いの余韻が、まだ身体に染みついている。
「……最悪ね、あんなの。殺されるかと思ったわ」
リヴィアが剣を鞘に収めながら、荒い息を吐いた。
ミレイは槍を地面につき、ゆっくりと呼吸を整える。周囲を見渡す目には、まだ鋭い光が宿っていた。
「でも、戦えたよ」
「戦えた? 何言ってるの? まともにダメージすら与えられなかったわ」
リヴィアの苛立ちをよそに、ミレイは軽く笑う。
「そうだね。でも、あいつの動きは分かった。次に会うときは、勝てる手を考えておくよ」
リヴィアはしばらく黙った後、目を細めた。
「あなた、戦うのが好きなの?」
ミレイは少しだけ目を伏せ、夜の闇に視線を向けた。
風が髪を揺らし、焚き火の灯りがない夜はより一層冷たく、暗い。月の光すら雲に隠れ、足元の影が不規則に伸びる。
「……好きとか嫌いとかじゃないよ。ただ、負けっぱなしは気に食わないだけ」
リヴィアは彼女の横顔を見つめ、何かを言いかけたが、それを飲み込んだ。
静かな夜の中で、焚き火もないのに戦いの興奮だけが熱を持ち、冷めきらない。
遠くでかすかな水音が聞こえた。近くに小川があるのだろう。喉が乾いていることに気づきながらも、体の疲れがそれ以上の動きを拒んでいた。
「……じゃあ、次は勝てるように準備しないとね」
リヴィアは肩をすくめる。
ミレイは微かに笑みを浮かべ、槍を握り直した。
「そうだね。次は、もっと上手くやるよ」
森の静寂が戻る。夜の冷たさが、ようやく二人の熱を奪い始めていた。
「今夜は休めそうにないわね……」
リヴィアがぼそりと呟く。
ミレイもまた、夜の深さを感じながら小さく頷いた。
「でも、ここまで来たら、少し休むくらいならいいんじゃない?」
リヴィアはミレイを見て、一瞬だけ驚いたように目を細めた。
「……意外ね。あなたがそう言うなんて」
ミレイは少しだけ肩をすくめた。
「さすがに疲れたしね……」
そう言って、大木の根元に腰を下ろした。
リヴィアもそれに倣い、夜の暗がりの中で、しばしの沈黙が流れた。
森の静寂に包まれながら、二人はようやく戦いの余韻を振り払うように、深く息をついた。




