第九章 〜逃亡の末に〜 5
敵兵の一人が恐怖で喉を鳴らしながら、恐る恐る周囲を見回す。
「チッ……姿を消せるタイプか、面倒だな」
そう呟いた兵士が、周囲に視線を走らせる。残る者たちも、戦うよりも防御に徹し始めた。
「……やっぱりおかしいわね」
リヴィアが呟いた。増援として現れたはずの彼らが、攻勢に出ようとしない。
戦う気がないわけではない。けれど、何かを待っているような——。
その違和感を解くため、リヴィアは視線を走らせた。
彼らの配置、装備、視線の動き……細かく観察すると、妙な点が浮かび上がる。
「……数が足りない?」
ミレイと戦っていた初期の部隊と、増援の数を足しても、この戦力では二人を仕留めるには心許ない。
もっと大規模な部隊が来ていてもおかしくないのに、どうにも中途半端な配置——まるで、この場を「繋ぐ」役割を果たしているように思えた。
「ミレイ」
リヴィアの低い声が、静かに響く。
「こいつら……繋ぎよ」
ミレイは槍を回しながら、軽く首を傾げる。
「つまり?」
「本命はまだ来ていない。ここにいるのは、私たちを足止めするための戦力……本当の敵は、もっと後ろにいるわ」
リヴィアの言葉が途切れた瞬間、遠方から短く笛の音が響いた。
敵兵たちの動きがわずかに硬直する。
「……!」
ミレイは槍を構え直し、リヴィアと視線を交わす。
「やっぱりね」
リヴィアが呟く。
「まずいわ、奴ら、何か仕掛けてくる」
敵兵の隊列が微かに変化する。先ほどまで様子を伺っていた兵士たちが、一斉に左右へと散開した。
「囲むつもりか」
ミレイは地面を蹴り、後方へと跳んだ。
「そんなの、させないわよ」
リヴィアが剣を構え直し、戦闘準備を整える。
その瞬間、森の奥からとんでもない轟音が響いた。
大地が揺れ、木々が軋む。遠くの樹々が押し倒され、土煙が舞い上がる。
「……来たわね」
リヴィアが低く呟く。
闇の奥から、巨大な影が姿を現す。
漆黒の甲殻に覆われた体躯、四本の太い脚が地を踏み鳴らすたび、大気が震える。長く伸びた尾が木々をなぎ払い、圧倒的な威圧感が周囲を支配した。
「……なに、あれ」
ミレイが槍を構えながら呟く。
大地を踏みしめるたびに、空気が振動するような圧倒的な質量を感じる。
しかし——
「おいおい、洒落になってねぇぞ……!」
敵兵の一人が怯えたように叫ぶ。確かに彼らの増援ではあったが、どうやら制御できる存在ではないらしい。
「……妙ね。こいつら、本当に操れるの?」
リヴィアが疑問を口にする。しかし、その問いの答えはすぐに明かされた。
「フッ……これでもう、お前たちは終わりだ」
敵の指揮官らしき男が、不敵に笑いながら手を振る。
次の瞬間、兵士の一人が大事そうに抱えていたものを、ミレイたちの足元に放り投げた。
「……なに?」
リヴィアが反射的にそれを見下ろす。
そこに転がっていたのは、漆黒の卵。
表面はごつごつとした甲殻に覆われ、わずかにひびが入っている。
そして、その卵を見た瞬間——
魔物の咆哮が響き渡った。
「なるほどね……」
ミレイが小さく舌打ちをする。
「こいつら、親子の情を利用したわけか」
轟音とともに、魔物が大地を踏みしめた。
巨大な顎が開き、獲物を狩るべく二人を睨みつける。
「面倒なことをしてくれたね……」
ミレイが呟いた瞬間、追っ手の兵士たちが一斉に弓を構えた。
「おいおい、こっちも忘れるなよ」
遠くから響く声。そして、空を裂く矢の雨。
「くっ……!」
リヴィアが剣で矢を弾く。しかし、矢は二人を狙ったものではなく、周囲の地面に打ち込まれていた。
「……何を?」
ミレイは瞬時に理解する。矢が地を抉り、視界を遮る土埃が巻き上がる。敵はミレイたちの体勢を崩し、動きを鈍らせた上で——
「本命は、こっちってわけね」
魔物が咆哮を上げた。
ミレイが素早く距離を取りながら、ちらりとリヴィアを見た。
「ねえ、ちょっと試してみる?」
リヴィアは短く息をついた。
「……何かピンときたのね」
ミレイはわずかに笑みを浮かべ、槍を軽く回した。
「このまま戦うのは無理。でも、魔物の動きを利用するなら——」




