第九章 〜逃亡の末に〜 3
◇◇◇
「……話が違うぞ」
暗がりの中、低く響く声が場の空気を張り詰めさせる。
木々に囲まれた野営地の一角。簡素なテントの前に、数人の男たちが沈痛な面持ちで集まっていた。
「国からの依頼だ。ノルディスの亡霊を討てと言われたから、簡単な仕事だと思っていたが……」
苛立ちを隠せない様子で、重装の男が唸るように言う。彼の鎧には幾つもの戦場を生き抜いてきた証である傷跡が刻まれていた。
「まったく……損害ばかり増えていく。こっちはすでに五人を失ってるんだぞ」
焚き火の光が、男たちの険しい表情を浮かび上がらせる。
「リヴィア・ノルディス……確かに相応の実力者かもしれんが、それより問題なのは奴の側にいる槍の女だ」
別の男が腕を組みながら呟く。
「確かに、あの槍使い……妙に厄介だな。連中はリヴィアのほうに注意を向けていたが、戦闘が始まれば槍の女の動きが流れを変える」
「槍の影響か? いや、戦い方そのものが異様なんだ」
口を開いたのは、比較的冷静な指揮官格の男だった。彼は手元の地図を広げながら、落ち着いた口調で続ける。
「奴は敵を殺すことよりも、戦場を自分の意のままにすることに長けている。仲間の援護も、敵の混乱も、すべて計算済みのような動きだった」
その言葉に、周囲の男たちが互いに顔を見合わせる。
「……まるで、用意された罠に嵌められたような感じだったな」
「リヴィア・ノルディスの剣筋も見事だったが、あの槍の女の動きはまったく別種のものだ」
重装の男が低く唸る。だが、すぐに頭を振る。
「だが、我々の目的は変わらん。依頼主の意向で、奴らを始末しなければならん」
「問題はどうやるかだな……」
指揮官格の男が静かに地図を指でなぞる。
「正面からやるのは損害が大きすぎる。次は罠を仕掛けるべきだ」
「うまく誘い込めるか?」
「こちらの移動ルートを読まれている以上、今度は奴らの心理を突く。疲労と焦りを利用するんだ」
焚き火の灯りが揺れ、夜の闇が彼らを包み込んでいった。
次の戦いが、静かに始まりつつあった。
◇◇◇
夜が明け、薄暗い森の中を進むミレイとリヴィア。
朝霧が立ち込め、木々の間から差し込む微かな陽光が霞んで見える。遠くで鳥の鳴き声がするが、それ以外の音はほとんどなく、まるで森全体が息を潜めているようだった。
「……静かすぎるわね」
リヴィアが低く呟き、剣の柄を握り直す。警戒の色が濃く滲んでいた。
「うん。ここまでずっと動きがないのも、かえって不自然だね」
ミレイは周囲を見渡しながら、ゆっくりと槍を構えた。
森の中の空気がどこか淀んでいるように感じた。鳥の鳴き声も止み、ただ冷えた風が草を撫でる音だけが響く。
「待って、ここを見て」
リヴィアがしゃがみ込み、地面の土を指でなぞる。
「足跡……? でも、わざと残してる感じがする」
「だね。これ、普通なら消すはずなのに、あえて目立つようにしてる。私たちを誘ってるつもりなのかも」
ミレイが足跡を見下ろしながら、目を細める。
さらに周囲を見渡すと、木の幹に不自然な擦れ跡が残っていた。まるで何かを運んだ後のような、細長い傷が連なっている。
「仕掛けられた罠、ってわけね」
リヴィアが剣を抜き、わずかに体勢を低くする。
「うん。でも、ただ待ち伏せってわけじゃなさそう。相手はもう少し賢いと思うよ」
ミレイは槍を軽く回しながら、慎重に地面をつついた。
その先の地面――わずかに草の色が違う。土の中に何かが埋められているのかもしれない。
「どうする?」
リヴィアが問いかける。
ミレイは数秒考えた後、わずかに笑みを浮かべた。
「罠には乗らない。でも、気づいてないふりをして、逆に利用する」
「……つまり?」
「向こうの思惑通りに動くふりをして、相手を誘い込むよ。主導権はこっちが握る」
リヴィアは短く息をついた後、小さく頷いた。
「了解。あなたが仕掛けるなら、私はその流れに乗るわ」
「任せて」
ミレイは小さく槍を回しながら、不敵に微笑んだ。
二人は、ゆっくりと足跡の先へと進んでいった。
彼女たちを待ち受ける罠へと。




