第八章 〜ノルディスの亡霊〜 11
夜の静寂の中、リヴィアは肩の力を少しだけ抜いた。
「……変な気分だわ」
「何が?」
「こんなに気を張らないの、いつぶりかしらって思って」
ミレイは少し目を細める。
リヴィアはパンをもう一口かじる。焚き火の暖かさが、彼女の表情をほんの少しだけ柔らかく照らしていた。
静かな夜風が木々を揺らし、遠くで獣の鳴き声が響く。
「……あなたは、こういうの慣れてるのね」
ふと、リヴィアが呟いた。
「こういうの?」
「火を囲んで、戦いの後に食事をすること。まるで日常みたいに」
「そりゃ、日常だもん」
ミレイはさらりと答え、干し肉をかじる。
「昔はこんなことなかったけどね。でも、今はこれが普通。戦って、食べて、寝て、また戦う。それの繰り返しで生き延びてきた」
リヴィアは少しだけ眉をひそめた。
「それで……疲れないの?」
「疲れるよ。だから食べて寝る」
「……単純ね」
「単純が一番」
リヴィアはその言葉を聞きながら、焚き火を見つめる。
確かに単純な答えだけれど、自分にはとうてい真似できない生き方だと思った。彼女は逃げ続け、何とか生き延びることだけを考えてきた。戦うことが当たり前の人間と、自分は違う。
「そろそろ休みなよ」
何か思案しているリヴィアに、ミレイは焚き火を見つめながら言った。
「……あなたは?」
「私は起きてるから、心配しなくていいよ」
ミレイはそう言うと、焚き火に薪をくべる。火が勢いを増し、ぱちぱちと弾ける音が響いた。
リヴィアは焚き火を見つめる。
——逃げ続ける日々。
まともに眠る夜は、いつ以来だろう。
「……本当に追手が来たら、起こしてくれる?」
「ちゃんと起こすって。安心して」
ミレイの声にはどこか落ち着いた響きがあった。無駄に飾らず、ただ事実として告げているのに、不思議と信じられるような気がする。
リヴィアは少しだけ迷ったが、静かに頷いた。
「……ありがとう」
その言葉が自分の口から自然に出たことに、彼女自身が驚いた。
「ちゃんと温まっておきなよ」
ミレイが焚き火を見ながらそう言う。
薪がはぜる乾いた音が、ひとつ、ふたつと響いた。橙色の光が揺らめき、リヴィアの顔に淡い影を作る。
何気ない一言だったが、リヴィアの胸の奥で、何かがわずかに緩んだ。
冷たい夜の空気が肌を撫でる。けれど、焚き火の温もりは確かにそこにあった。
束の間の休息。けれど、それがずっと続くわけではない。
夜の闇は静かだったが、遠くで獣の鳴き声が微かに聞こえた。風が木々を揺らし、葉擦れの音がささやくように響く。
焚き火の炎が静かに揺れる中、リヴィアはようやく目を閉じた。
疲れ切った身体が抗うことなく眠りへ落ちていく。
ミレイはちらりと彼女の横顔を確認する。
(……すぐには眠れないかと思ったけど、案外あっさり寝たな)
肩を小さく上下させながら、リヴィアは穏やかな寝息を立てている。
緊張が解け、ようやく身体が休息を受け入れたのだろう。
「……限界だったんだな」
誰に言うでもなく、ミレイは小さく呟く。
焚き火の光が彼女の瞳に映り、揺れる炎のようにきらめいた。
こうして誰かを助けるのは、これで二度目だった。
暖かな炎の向こうに、遠い記憶がぼやけるように浮かんでくる。
『ミレイ、動かないで』
心配そうな顔で、自分の傷を手当てしてくれた少女。
小さな手が、血に濡れた布をそっと押さえる感触を思い出す。
『ほら、ちゃんと休んで。無茶ばっかりしちゃダメ』
懐かしい声が、耳の奥に響いた。
ミレイは静かに目を閉じ、短く息を吐く。
「……リーナ、元気かな」
焚き火がぱちりと音を立てる。
橙色の光が、夜の闇の中で小さく脈打つ。
ミレイはそっと視線を上げた。
夜空には雲が流れ、月がぼんやりとした光を投げかけている。
冷たい風が草を揺らし、闇の中に何かが潜んでいる気配がする。
再び目を開き、ミレイはゆっくりと見張りの態勢に入った。
戦場の静けさが、再び戻ってくる。




