第八章 〜ノルディスの亡霊〜 7
女性を安全な場所に運び終えたミレイは、一度深く息を吐いた。彼女の言葉——「ガブリエル」「許さない」——が脳裏にこびりついて離れない。
この名前は以前も聞いた。
「……まあ、今は関係ないか」
ミレイは軽く首を振り、槍を握り直す。すべきことは一つ。討伐対象の殲滅——それだけだ。
戦場へと向かう足取りは迷いなく、静かに、だが確実に迫る脅威へと向かっていた。
***
——暗がりの奥、石壁が崩れた裂け目に、異様な気配が集まっていく。
黒い影が渦を巻くように広がり、そこから再び魔物の群れが姿を現した。先ほどまでの敵よりも、さらに大きく、さらに禍々しい。鋭い爪が瓦礫を蹴立て、咆哮に似た唸り声が夜空にこだまする。
「……全滅させてやる」
ミレイは静かな声で呟くと、すっと身を低く構える。月の光を浴びる槍の穂先が、ほのかに赤と青を帯びた光を宿す。息を潜めたまま、森の闇に溶け込むように足音を消した。
次の瞬間、魔物の群れの正面がぼやける。ミレイが消えたのかと思うほど気配が希薄になったところへ、電光にも似た横薙ぎの一閃が走る。先頭の魔物が悲鳴を上げ、血の臭いが夜風を伝う。
「いい……調子」
ほぼ同時に背後の二体が狭まるが、ミレイは振り向きざまに火を纏った刃を振りかざす。束の間の火炎が闇を切り裂き、魔物の鎧じみた外殻を焼き尽くした。発せられた断末魔は、濃い煙を上げながら崩れ落ちる。
周囲にはまだ数多の魔物が残っているが、彼らの挙動は乱れているようだ。仲間が次々と斃れ、敵の居場所すら掴めない混乱。ミレイはその隙を逃さず、瓦礫を足場に飛び回りながら的確に一体ずつ葬っていく。
落石を踏み台に一気に踏み込み、槍を振り下ろす。刃先から細やかな雷が迸り、魔物の巨体が痙攣しながら倒れ伏した。鉄を砕くような轟音が周囲に轟く。
その光景を、遠くで休んでいた先ほどの女性がぼんやりと見つめていた。
(……何? あれが、一人の力……?)
さらに、近くの岩陰に隠れていた偵察に来たギルド職員と冒険者たちも、目の前の光景に言葉を失っていた。
「おい、見ろよ……」 「なんだよ、あれ……人間の動きじゃねぇ……」 「槍姫……ってのは、化け物かよ……」
戦場に響くのは、魔物が倒れる音と、槍の唸りだけ。
「まだ……っ!」
雄叫びとともに、半ば狂乱した残党が集結し、一斉にミレイへ襲いかかる。鈍色の牙や爪が雨あられのように迫るが、彼女は一歩も引かない。槍を旋回させながら危険な軌道をそらし、わずかな間隙から反撃を叩き込む。
横へ滑るように動き、すれ違いざまに喉元を削ぎ、あるいは火をまとわせた突きで鎧を砕く。霧立ちこめるような瘴気のなか、斬り結ぶ金属音と悲鳴が幾重にも重なる。
火花と血の飛沫が荒れ果てた廃墟を染め上げ、今宵の月光はそのすべてを幻のように照らし出していた。やがて最後の魔物が地に沈黙すると、あたりを包む黒い霧が少しずつ晴れていく。
「……はぁ……っ、これで……」
ミレイは荒い呼吸を整えながら槍を地面に突き立てる。滲む汗が首筋を伝い落ち、壊れかけの石柱を背景に、残った魔物の気配がないか静かに探る。
——だが、そのとき。
遺跡の奥で、さらに大きな影が揺らいだ。さきほどまでとは比較にならない威圧感が、夜の廃墟を震わせる。
「そう簡単には終わらないわけね……」
かすかに口元を吊り上げ、もう一度槍を握り直す。遠くの岩陰で見守るギルド職員と冒険者たちも、その異形の気配に青ざめていた。
「逃げろ……! あれは……無理だっ……!」
だが、ミレイは一歩も引かない。高く伸びた尻尾を引きずるように闇から現れた巨大な敵をまっすぐ見据え、唇を引き結ぶ。
「……ここで仕留めないと、次はもっと被害が出るだけ」
月の光を背に、彼女の槍が静かに構えられる。体内に満ちる燃え立つ闘志を感じながら、ミレイはごくりと唾を飲む。
大気が震え、討伐の最終幕がついに開かれようとしていた。




