第八章 〜ノルディスの亡霊〜 1
しかし、ミレイの身体は限界だった。三週間の療養で回復していたとはいえ、強敵との戦闘でまた深く傷を負った。槍を杖代わりにしても足元がおぼつかない。呼吸は荒く、視界が滲む。だが、立ち止まるわけにはいかなかった。
施設を出て、ゆっくりと足を進める。崖を登る苦行を経て、ようやく地上へと戻った。
(町に……帰らなきゃ)
歩くたびに傷が痛む。途中、野営しながら少しずつ進むしかなかった。水を節約し、食料を工夫しながら、数日間かけてミレイは町を目指した。
そして——ついに、門が視界に入る。
(……戻ってきた)
町の門に辿り着いたミレイは、護衛の兵士に身分証を提示し、怪訝そうな視線を受けつつもなんとか許可された。
足を引きずるようにしながら、まず向かったのは宿屋だった。とにかく、眠らなければ。
受付に辿り着くと、宿の主人がちらりと彼女を見た。
「部屋、空いてる?」
ミレイはそれだけを聞き、懐から金貨を取り出した。宿の主人は特に気にすることもなく鍵を渡し、ミレイはそのまま部屋へ向かった。
扉を閉め、槍を壁に立てかける。
(とりあえず……寝る……)
ベッドに身を沈めると、意識が一瞬で闇に落ちた。
———
丸一日眠り続けた後、ミレイは鈍い痛みとともに目を覚ました。
(……まだ、体が重い)
無理に動けば傷が開く。焦る気持ちを抑えながら、しばらくは安静にすることに決めた。
数日間、必要最低限の食事を摂りながら、回復に専念する。ようやく体が動くようになった頃、ミレイは宿の食堂へと足を運んだ。
そのとき、ふと耳に入ってきたのは冒険者たちの会話だった。
「そういや、いつだっけ、最近また死亡者リストが更新されてたよな?」
「ああ。今回も何人か行方不明だった奴が正式に死亡判定されたらしい。中でも驚いたのは……ほら、槍使いの新人。確かミレイとか言ったか?」
「いたな、そんなの。期待されてたみたいだけど、やっぱり無茶しすぎたんじゃねぇの?」
ミレイはスプーンを止めた。
(……私、死んだことになってる?)
食堂のざわめきが遠くに聞こえる。しばらく思考が止まっていたが、やがてミレイは椅子を引き、静かに立ち上がった。
(……ギルドに行かなきゃ)
ギルドカードはまだある。正式な死亡認定がされていたなら、それを取り消す手続きをしなければならない。
重い足取りで宿を出ると、まっすぐギルドへと向かった。
ギルドの扉を押し開くと、喧騒が耳に飛び込んできた。
昼間のギルドは活気に満ち、多くの冒険者が集まっていた。特に目立つこともなく、誰も彼女に気を留める者はいない。彼らにとってミレイは取るに足らない冒険者のひとりに過ぎなかった。
カウンターへ向かい、受付嬢の前でギルドカードを置く。
「これ、まだ使える?」
受付嬢はミレイを一瞥し、普段どおりにカードを手に取った。しかし、魔道具に通して確認した瞬間、その表情がわずかに強張る。
「……ミレイさん……?」
僅かに声が震えていた。
受付嬢は急いで端末を操作し、情報を確認する。その目が驚愕に見開かれる。
「……正式に死亡判定が確定しています」
「そっか。でも、生きてるから、取り消せるよね?」
ミレイは淡々と答えた。
受付嬢は困惑しながらも、すぐに端末を操作し、処理を始める。
「……手続きを進めますので、少しお待ちください」
手続きを進める間、ミレイはカウンターにもたれかかる。誰も特に気づいてはいないが、近くで会話していた冒険者たちの一人がふとこちらを見て、軽く目を細めた。
「……あれ? お前……どっかで……」
ミレイは軽く視線を向けたが、特に答えずに待つ。
「いや、待てよ……確か、死亡者リストにあった槍使い……?」
ぽつりと呟いた声に、周囲の冒険者たちの会話が一瞬だけ途切れた。気づいた者が小声で仲間に伝え、徐々に視線が集まり始める。
「……おい、嘘だろ?」
「待て、あいつ……死んだんじゃ……?」
小さな声があちこちで交わされ、ざわつきが広がる。だが、それでもギルド全体が騒然とするほどではない。
「死亡判定の取り消し、完了しました」
受付嬢の声が静かに響く。
ミレイは軽く頷き、ギルドカードを受け取った。
(まあ、そりゃそうなるよね……)
じわじわと広がりつつある視線を感じながら、ミレイは改めて立ち上がった。
生還したばかりなのに、妙な疲労感が襲ってくる。
ギルドのざわつきは徐々に大きくなり、ひそひそとした声が耳に届くようになった。
「本当に……生きて帰ってきたのか……?」 「一ヶ月以上も消息不明だったんだぞ……?」 「ていうか、槍使いの女……名前なんだっけ……?」
死んだと思われていた存在が突然現れれば、そういう反応になるのも当然だった。ミレイ自身も、誰かが同じ状況で現れたら驚くだろう。
(……まあ、あんまり深入りされるのも面倒だし)
視線を集めすぎないうちに立ち去ることに決め、カウンターを離れようとしたその時だった。
「おい、お前……!」
粘ついた声が背後から飛んできた。




