第七章 〜絶望の底で〜 12
(……なんなの、これ)
槍を持つ手に、じわりと汗が滲む。
敵の正体は分からない。しかし——
強い。
それだけは、嫌でも理解できた。
じわりと、影が膨れ上がる。まるで肉体を持たないはずの存在が、そこに確固たる意志を帯び始めたかのように。
その瞬間——
バキィッ!
空間が弾けるような音とともに、敵が一気に間合いを詰めた。
「——っ!」
反射的に槍を構える。だが、目の前の影が"瞬間移動"したかのように消えた。
(どこ!?)
足元——ではない。視界の端、左側から突き刺すような瘴気の波動が迫る。
咄嗟に体を捻る。
刹那、冷たい風が頬をかすめた。
すぐ背後の壁が、まるで風化するように崩れ落ちる。何かの攻撃を受けたわけではない。ただ、触れたものを"削ぎ落とす"かのような——異質な力。
(触れたら終わり……!?)
心臓が跳ねる。恐怖ではない。理解による、純粋な警鐘。
(どう戦えばいい? どうすれば——)
槍を構え直し、敵の動きを見極める。
敵の攻撃は速い。しかし、ただ速いのではなく、動きの途中で空間が歪むように見えた。攻撃が直線的ではなく、軌道を捻じ曲げながら襲い掛かってくる。
(……ただのスピードじゃない。これは……?)
分析しながらも、敵の連撃が止まらない。
ミレイは最小の動きで避けつつ、足の運びを探る。攻撃の合間に隙がないか、何か法則があるのかを見極める必要があった。
敵が右に揺らぎ、再び消える。
(——次はどこから?)
呼吸を整えながら、研ぎ澄まされた感覚で周囲を探る。
(……来る!)
直感が弾けた瞬間、ミレイは反射的に槍を振った。
刹那——
硬質な衝撃が伝わる。
(……当たった!?)
灰槍の穂先が、確かに敵の体を裂いた。今までの黒い者とは違い、まるで実体を持つかのように、槍が敵を捉えている。
敵の動きが一瞬、鈍った。
(……効く。やっぱり、この槍なら!)
考えるより先に、もう一撃。
ミレイは体勢を崩さぬように踏み込み、槍を振り抜く。鋭い軌跡を描く刃先が、敵の肩口を斬り裂いた。
虚ろな仮面のような頭部がわずかに傾ぎ、瘴気がわずかに揺らぐ。
(……手応えがある。黒い者とは違う!)
だが、それでも倒れない。
敵はまるで"適応"するように、攻撃の軌道を読み始める。槍を振るうたびに、わずかに回避が速くなっている。
(こいつ、学習してる……?)
瞬間、敵が動いた。
視界の端、影が歪み、一気に間合いを詰めてくる。
(やば……!)
ミレイは即座に後方へ跳び、槍を構え直す。
敵の攻撃は、ただ速いだけじゃない。灰槍の特効を受けるとわかると、あえて槍の間合い外から仕掛けるようになった。
(強い......でも、勝てる!)
ミレイは深く息を吸い、一気に踏み込んだ。槍が空気を裂く音が響き、敵の虚ろな仮面がわずかに傾ぐ。
微かな気配の変化——敵が左に傾いだ瞬間、ミレイは右への回避を予測し、槍を振るった。
刹那、槍が闇を切り裂き、鈍い音とともに敵の側面を貫いた。瘴気が霧のように散り、敵の動きがわずかに緩慢になる。
(読めた——!)
間髪入れずに連撃へ移行する。横薙ぎの一撃が空を裂き、敵の仮面から歪んだ呻き声のような音が漏れる。しかし、瘴気を纏った外殻は想像以上に頑強だった。
次の瞬間、敵の姿がかき消え、空間が歪む。気配が背後に現れる。
(来る!)
生存本能が警鐘を鳴らし、ミレイは地を蹴り、斜め前方へ跳躍。わずか数センチの差で、敵の腕が空を切った。
崩れた天井の瓦礫を踏み台に体勢を立て直し、槍を突き出す。だが、敵は最小限の動きでかわし、瘴気を巻き上げる。
(……なら)
ミレイは槍の動きを一瞬止め、気配を殺す。
一瞬、敵の動きが止まる。
その隙を見逃さない。
槍が音を置き去りにして突き進み、敵の肩口を貫いた。瘴気が弾け、施設内に金属が砕ける音が反響する。槍を押し込み、ミレイは歯を食いしばる。
「これで……終わり!」
最後の一押しで槍を突き通す。
敵の仮面が軋み、亀裂が走る。瘴気が飛び散る。
(——決まった!)
だが、敵はまだ崩れない。
瘴気が渦を巻き、赤い光が仮面の隙間から漏れ始めた。施設の壁が振動し、小さな瓦礫が天井から落ちてくる。
ミレイは息を整え、一歩後ろへ下がる。
(次の一撃で……終わらせる!)
槍を構え、最後の攻防に備えた。
敵の瘴気がさらに濃くなり、仮面の隙間から漏れる赤い光が不気味に揺らめく。圧力が強まり、空間そのものが軋むような感覚が広がる。しかし、ミレイの目は鋭く敵を捉えていた。
次に敵が動いた瞬間、それが終わりの合図。
瞬間、敵が爆発的な速度で突進してきた。
(——今だ!)
ミレイは迷わず飛び込む。
敵の瘴気の腕が迫るが、ギリギリでかわしつつ槍を繰り出した。
音を置き去りにする鋭い突き。
槍が敵の中心を貫いた。
刺突と同時に強く捻る。衝撃が伝わり、敵の身体が大きくよじれる。
「……これで終わり!」
ミレイは全身の力を込め、槍を突き抜いた。
敵の仮面に走る亀裂が広がり、砕け散る。
瘴気が爆発的に拡散し、敵の身体が塵のように崩れていく。
静寂が訪れる。
ミレイは肩で息をしながら槍を引き抜き、しばらくその場に立ち尽くしていた。
(勝った……)
崩れた瓦礫が散らばる中、施設の空気がどこか軽くなった気がした。




