第七章 〜絶望の底で〜 11
ミレイは槍を握りしめる。確かに、この槍を手に取った時に微かに感じた違和感。それが精神に影響を与えるものだったとすれば——。
『通常の魔法武器とは異なり、精神干渉を強く受けることが判明。適合者は確認されず、実験体すべてが短時間の使用で意識混濁、幻覚、自己認識の喪失などの異常を示した。影響には個体差があるものの、使用者への安全性を確保できず、計画は中止された。』
(つまり、普通の人が触るとヤバいってこと?)
ミレイは無意識に槍を握る手に力を込める。もしこれを他の誰かが誤って触れたら——。
『影響は一時的な場合があるが、長時間の接触は極めて危険。解除方法は現在不明。適合条件も不明のまま。結論として、灰槍・エクリプスは封印指定とする。』
(適合条件も不明……でも、私は平気)
ミレイは槍をゆっくりと見つめる。自分は影響を受けない——おそらく、これまでの経験が関係しているのかもしれない。だが、他の人間がこれに触れたら、一時的とはいえ危険な影響を受ける可能性がある。
(……慎重に扱わないと)
ミレイは槍をしっかりと握り直した。この武器を使うのは自分だけ。それを忘れてはならない。
手記の最後のページをめくると、さらに小さな文字でこう記されていた。
『灰槍・エクリプスの本来の目的は、呪詛生命体の抑制および消去。通常の魔法攻撃が通じない対象に対し、精神的な干渉を直接与えることで、その存在の基盤を揺るがすことが可能である。』
その一文を読んだ瞬間、ミレイは理解した。
(この槍、黒い者に対して……決定打になりうる)
ここに来たことで、この槍がただの武器ではないと知ることができた。そして——。
この場所が封印されていたのは、黒い者に関する研究を隠すためだけではない。この槍のような“特別な武器”の存在そのものも、隠されるべきものだったのかもしれない。
ミレイは槍を握りしめ、部屋を後にする。
しばらく探索を続けると、別の小さな部屋へと辿り着いた。そこには、より詳細な研究記録が保管されていた。
『呪詛生命体の形成プロセスについて』
『呪詛生命体は、特定の魔法陣による儀式的プロセスを経て生成される。その原材料として、生物の魂または精神エネルギーを必要とする。』
(……つまり、何かの生き物を使って、あれを作り出していた?)
ミレイはぞっとする。黒い者は、ただの異形の怪物ではなく、何かの犠牲の上に成り立っていた存在なのかもしれない。
『初期の実験では、通常の魔物を素材として使用。しかし、結果は安定せず、完全な制御には至らなかった。より強力な個体を生み出すために、人間を素材とした実験が検討され……』
そこから先の記述は、破り取られていた。
(……ここにいた研究者は、何をしていた?)
背筋に嫌な冷気が走る。
実験の全容はわからない。しかし、これ以上の情報はないようだった。ミレイは慎重に記録を閉じ、部屋を見回す。散乱した物資の中から、役立ちそうなものを探す。
(何か、使えるもの……)
いくつかの保存食と、未開封の薬瓶を見つけた。薬の効能はわからないが、後で試す価値はあるかもしれない。
(よし、そろそろ戻ろう)
崩れかけた通路を慎重に戻りながら、改めて施設の異様な静けさを感じる。長い間、誰も足を踏み入れていなかったこの場所。だが、完全に忘れ去られたわけではない。
所々に残る封印の痕跡。崩れた壁に刻まれた見慣れない魔法陣。誰がここを封じたのか。
(あまり考えても仕方ない。今は生きてここを出ることが先決)
だが、すぐに問題が発生した。
(……空気が、重い)
明らかに、ここへ入った時とは違う。かすかな圧迫感が周囲に漂っている。
(封印を壊したせい? いや、それとも——)
足元に広がる瓦礫を踏みしめながら、ミレイは慎重に進む。だが、数歩進んだところで、背後から微かな音が聞こえた。
カリ……カリ……。
血の気が引く。
(……まさか、黒い者?)
魔法陣を壊したことで、全てが消滅したはず。しかし、もし完全に消えていなかったとしたら?
槍を握る手に力を込める。慎重に振り返ると、奥の暗がりに、ゆらりと揺れる影が見えた。
(……違う?)
黒い者とは、どこか異なる。
影はゆっくりと形を成しながら、蠢いていた。まるで、何かが生まれようとしているかのように——。
ぬるり、と黒い靄が地を這い、壁を伝い、天井へと伸びていく。その動きはまるで、生き物が骨と肉を繋ぎ合わせるようだった。
(いや、待て。これ、何……!?)
冷や汗が背中を伝う。
影が完全な形を成した瞬間——
——それは、ミレイの知るどの敵とも違った。
黒い者のように朧げな存在ではない。歪んだ甲冑を思わせる外殻を持ち、頭部には輪郭の定まらぬ仮面のようなものが浮かんでいた。全身を包む瘴気の密度が異常に濃く、周囲の空間すら歪ませている。




