第七章 〜絶望の底で〜 4
「……よし……!」
ミレイは思わず息を呑む。今にも消えそうな、細く小さな火。それを両手で包み込むように守り、ゆっくりと枝を近づける。湿気が強いせいか、なかなか燃え移らない。けれど、焦って息を吹きかければ消えてしまう危険がある。
(少しずつ……慌てるな、落ち着け……)
苔をほぐしながら、まだ乾いていそうな部分を火種に寄せる。微かな炎がじわりと広がり、ようやく細い枝の先へ移り始めた。煙が鼻を刺し、目にしみるが、それこそが今のミレイにとっての希望だ。
「……あったかい……」
ぽつりと呟く。手に伝わる微かな熱が、霧に濡れた体をわずかに癒やしてくれる。問題は、この火をどうやって安定させるか。湿度の高い崖下で燃料を探すのは容易ではない。
周囲を見渡し、倒木や岩のくぼみを探る。苔に覆われた小枝や、風で吹き溜まった枯葉が見つかった。少しでも乾いていそうなものを慎重に選り分け、火に近づける。煙がじりじりと上がり、白い筋があたりに広がっていく。
(これで……何とか燃えてくれれば)
ミレイはうずく足を引きずりながら、最低限の燃料を確保する。短時間でも火が育てば、体力を回復する余裕ができる。だが、ここで終わりではない。
(水を煮沸したい。だけど、容器がない……)
ちらりと水たまりを見つめる。煮沸せずに飲むのはリスクが高い。胃を痛めたら、今の体力では致命傷になるかもしれない。
(石を熱して、水に入れるしか……)
魔力も装備も乏しい今、方法は限られている。少し大きめの石を火で熱し、土のくぼみに汲んだ水に沈めて煮沸するやり方だ。手間も時間もかかるが、それでも現状では最善だろう。
「……いっか。やってみよう」
自分に言い聞かせるように呟くと、周囲をそろそろと探索する。ほどほどのサイズの石を抱え込み、火の近くに運ぶだけでも、右足には激痛が走る。それでも立ち止まるわけにはいかない。
(リーナが言ってた。『死んじゃったら、やだよ』って……)
記憶の中の声を噛み締めながら、ミレイは石を火の中へ押し込み、じっくりと熱を与える。ちりちりと苔が焦げる臭いがして、煙が立ち上る。いずれ石が高温になれば、水を温めることができるはずだ。
「……さて。次は穴……」
土を少し掘り、あるいは岩と岩の間を利用して即席の容器を作るつもりだ。簡単な作業ではないが、これしか方法が思いつかない。痛む右足をかばいながら、手探りで地面を掘りはじめる。
(……絶対、生き延びるんだから……)
じわりと滲む汗を拭い、霧の立ち込める崖下でひたすら作業を続ける。疲労と痛みで何度も意識が遠のきかけるが、そのたびにミレイはリーナの声を思い出し、自分に言い聞かせる。
「……まだ、死なない」
石が熱せられるまでの間、周囲をさらに探る。あまり離れすぎるのは危険だが、燃料となる枝や乾いた葉を少しでも多く集めておきたかった。崖下の地形は入り組んでおり、薄暗い霧の向こうに倒木が横たわっているのが見える。
ゆっくりと歩み寄り、手を伸ばす。苔に覆われた枝を何本か拾い、腕に抱える。視線を下げると、倒木の根元に奇妙な形をした金属片が半ば埋まっているのが目に入った。
(……何これ?)
しゃがみ込み、慎重に引き抜く。細長く、中央がわずかに窪んでいる。錆びてはいるが、器として使えそうだった。
(まさか……鍋?)
「助かった……」
ミレイは小さく安堵の息を吐く。これなら、石焼き方式より効率的に水を煮沸できる。さっそく火のそばに戻り、見つけた金属片を慎重に布で拭い、石の上に乗せた。
(あともう少し……これで、安全な水が飲める……)
煙が上がり、鍋の中の水がじわじわと温まっていく。小さな泡が浮かび上がり、ミレイはじっとそれを見つめた。
(生き延びる……絶対に)
水面に浮かぶ泡が次第に大きくなり、やがて沸騰の証である細かな蒸気が立ち上り始めた。
ミレイは慎重に、火から金属片を取り出す。鍋のような形状をしているとはいえ、縁は歪み、取っ手もない。うっかり触れれば火傷は免れない。布を使って持ち上げ、少し冷ます。
火の熱が奪われた水は、まだ湯気を立てながら波打っている。
(……これで、大丈夫なはず)
そっと口を近づけ、慎重にすすった。
熱い。それでも、喉を潤す感覚が身体の奥にまで染み渡る。これまで乾いた喉を騙すように唾を飲み込んでいたが、それとは比べ物にならないほどの安堵が広がった。
ゆっくりと、何口かに分けて飲み干す。
(……生き返る)
思わずそう感じた。傷の痛みや疲労は変わらないが、それでも確かに意識が少しはっきりした。
ミレイは鍋を横に置き、荒い息を整えながら、次の行動を考え始める。
(この場所をどうするか……ここに留まるべきか、それとも移動すべきか)
火と水を確保できたことで、少しの間は凌げる。しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。まだ周囲の状況がわかっていないのだ。
(食料……あと、武器も)
このままではまともな戦闘すらできない。最低限の装備を手に入れなければ。
視線を周囲に向ける。霧の向こう、闇に沈む崖下の世界。
何があるのか、確かめなければならない。
「……行くか」




