第六章 〜邂逅〜 5
ミレイの目の前で、リリスがゆっくりと口元を歪めた。禍々しく光る双剣が、その手の中でゆらりと揺れる。刃渡りは短く、それでいて刺突と斬撃の両方に適した形状。ただの暗殺者の武器ではない——痛めつけることに特化した刃だ。
「ねぇ、君。そんな冷静でいられるのは、どこまでかしら?」
甘く、しかし冷え切った声。まるで、今からミレイを解体することを楽しむかのように。
次の瞬間、リリスの足元が歪んだ。
いや——違う。
ミレイの視界が、歪んだのだ。
(——また幻覚!?)
瞬時に頭を切り替える。すでに幻覚を見せる瘴気は理解済み。経験から“これは偽物”と認識できる。
ならば、落ち着いて対処すれば——
——リリスの刃が、ミレイの腕を裂いた。
「——ッ!?」
確かな痛み。熱く、生々しく、肌を引き裂く感触。
視界が狂ったまま、リリスは“実際に”攻撃を仕掛けてきた。
(……視覚だけじゃない。バランス感覚も狂ってる!?)
ミレイは即座に距離を取る。だが、足元が揺らぐ。まるで、地面そのものが液状化しているかのように不安定だった。
周囲の景色がねじれ、天と地の区別さえ曖昧になる。
(ダメ。まともに戦えない——なら、どうする?)
瞬間、脳内に走る“生存本能”の警鐘。
——頼るべきは、目じゃない。
ミレイは深く息を吸い、余計な情報を切り捨てた。視界を当てにしない。代わりに、全身の感覚を研ぎ澄ます。
耳を澄ませる。湿った地面の僅かな沈み込み。瘴気の流れ。リリスの呼吸と足音。
(リズムがおかしい……!)
——リリスは“意図的に”視界を歪ませている。距離感が狂うように、攻撃のタイミングさえ錯覚させるように。
ならば、それを逆手に取る。
「はは、どう? 普通の恐怖や幻覚は効かないみたいだけど——」
リリスが不気味に笑った。
「“確実に殺される” っていう現実は、そろそろ実感できるんじゃない?」
ミレイは血の匂いを感じながら、静かに笑った。
「……へぇ、確実にね」
次の瞬間、ミレイは槍を地面に突き立て、瞬発的に身体を跳ね上げた。視界の歪みが関係ない、純粋な跳躍。
空中でリリスの動きを聞く。どこにいる? どの方向に動いた?
瞬間、ミレイの“生存本能”が、危機の方向を示した。
(——ここだ!)
視覚を頼らず、音と勘で槍を突き出す。
刹那、鋭い衝突音。
「——へぇ?」
リリスが、驚きを滲ませる。
槍の穂先が、彼女の双剣を正確に弾いた。
ミレイは着地し、すぐさま次の動作に移る。視界は歪んでいる。だが、もう関係ない。息を整え、槍を構える。
この戦いは、ただの殺し合いではない。
リリスは “壊す” ことに悦びを感じる異常者。
ミレイの強さを知ったうえで、なお “心を折る” ための攻撃を仕掛けてくる。
それでも——
ミレイは、まだ立っている。
霧のような瘴気が揺らめき、血の匂いが鼻を突く。
湿った大地が足元に沈み込み、鼓動が戦場の静寂に溶ける。
「そろそろ、こっちのターンにしよっか」
その瞬間、ミレイは地面を蹴った。
微かな震動が足裏を通して伝わり、全身の筋肉が一気に弾ける。
迷いはない。これは“最適解”だ。本能がそう選んだから。
息を呑むほど濃密な瘴気の中、槍を握る手には汗が滲む。でも、その汗さえも戦意を煽る燃料に変えて、一直線に突き出す。
槍の先端はリリスの胸元を正確に狙っていた——はずなのに。
リリスは紙一重で、それを避けてみせた。
「うふふ、それだけ?」
(——甘く見ないでよ!)
ミレイは追撃の間を与えず、一歩踏み込む。高低差をつけた突き、フェイント、そして軌道を変えた斬撃——2、3の動きを連続させて、リズミカルに連撃を放つ。
槍の柄から伝わる衝撃に合わせ、筋肉と呼吸が一体となり、まるでひとつの生き物がうねるかのよう。
だが、リリスは踊るようにかわす。まるでこの殺し合いを愉しんでいるかのように、軽いステップで刃の軌道を見切り、笑みさえ浮かべている。
「もう少し楽しませてほしいなぁ」
(なら、どう!?)
ミレイは瞬時に呼吸を整え、槍に集中を注ぐ。指先が熱を帯びる感覚。自分でも説明のつかない力が、身体の奥から湧き出してくる。
槍の穂先に、蒼白い火花が集まる。次いで稲妻の刃が形をなし、まるで生き物が唸るように空気を震わせた。
ピリッとする金属臭。雷の放電が周囲の瘴気を切り裂き、焦げたような空気が鼻を突く。
刹那——リリスの顔に、わずかな驚きがよぎる。
(今なら——!)
身体を低く沈め、渾身の踏み込みから雷槍を突き出す。稲妻の軌跡が閃光を描き、視界全体が白く染まった。
その瞬間、リリスの双剣が横薙ぎに弾かれる。
「——っ!」
わずかにリリスが表情を崩した。その目に微かな焦りが宿る。初めて、真正面からの衝撃に対応を迫られたのだ。
(まだ!)
ミレイはすかさず、腰のナイフを抜く。左手で逆手に持ち、雷の余波を纏ったまま、一気に懐へ踏み込んだ。
刺突、斬撃、フェイント——2、3手先をイメージしながら変則的な動きを繰り返す。稲妻の残光が周囲を走り、焦げたような匂いがさらに濃くなる。




