第五章 〜城塞都市ファル=ガルド〜 4
門の周囲には見張りが数名配置されているが、城壁の一部には古びた建物が寄り添うように建っていた。長年の使用で半ば崩れかけており、所々に隙間ができている。
「……あそこ、何か使えそうじゃない?」
ミレイは低い声でリーナに囁いた。
「え? あの古い建物?」
「うん。あれ、たぶん前は倉庫か何かだったんじゃないかな。壁に隙間があったし、うまくすれば中に入れるかもしれない。」
「でも、誰かいるかもしれないよ……?」
「だから、まずは確認しよう。下手に動いて見つかるのは避けたいし。」
リーナは少し不安そうだったが、ミレイの判断に従い、小さく頷いた。
二人は慎重に建物の周辺を回り込むように移動し、誰にも気づかれないようにその隙間へと近づいていった。
近づくにつれ、古びた木の扉が半ば朽ちかけ、かすかに開いているのが見えた。中からの物音はない。ミレイは気配を殺しながら、そっと隙間から中を覗き込んだ。
内部は埃っぽく、ところどころ壊れた木箱が散乱している。かつては物資を貯蔵していた場所だろうが、今はほぼ放棄されているようだった。
「……人はいなさそう。」
ミレイはリーナに合図を送り、二人は静かに中へと忍び込んだ。
建物の中は暗く、乾燥した空気が漂っていた。ミレイは足音を最小限に抑えながら、慎重に周囲を確認する。城壁に近い側には、さらに奥へと続く抜け道のような空間が広がっていた。
「こっち、いけるかも。」
ミレイが指さした先には、壁の一部が崩れ、ちょうど人が通れるほどの穴が開いていた。向こう側は城壁の影になっており、見張りの目も届きにくい。
「やっぱり、ここから行くの?」
「他に安全そうな道はないし……リーナ、大丈夫?」
「う、うん……がんばる。」
リーナは小さく息を呑みながら、ミレイの後に続いた。
二人は慎重にその隙間をくぐり抜け、静かに城壁の裏手へと進んでいく。城内へと続く道は、もうすぐそこだった——。
城塞都市ファル=ガルドに入った瞬間、ミレイとリーナの視界に広がったのは、まるで異世界そのものだった。
石畳の広い通りには、行き交う人々の足音が絶えず響き、商人たちの声が飛び交う市場の喧騒が街全体を活気づけていた。青銅の装飾が施された街灯が整然と並び、通りの両脇には色とりどりの看板が掲げられた店舗が軒を連ねる。屋台の上には焼きたてのパンやジューシーな焼き肉が並び、甘い果実酒の香りが漂っていた。
「……すごい。」
思わず呟いたのはリーナだった。目を輝かせながら、彼女は都市の賑やかな景色に見入っている。ミレイもまた、その壮観さに息を呑んだ。これまで森の中で過ごしていたからこそ、この光景が一層鮮やかに映る。
「うわ、あれ見て! すっごい大きな建物! あれってお城? それとも貴族の屋敷?」
ミレイが指差したのは、遠くにそびえる堂々たる城塞。高くそびえる石造りの壁に、巨大な時計塔が一際目立つ。
「きっと貴族とか、お城の人たちが住んでるのかな……。」
リーナはぽつりと呟いた。その声にはわずかに羨望が滲んでいたが、それを打ち消すようにミレイはリーナの手を引く。
「見て見て! あそこ、服屋さん! めっちゃ可愛いドレスが並んでる!」
店の前に並べられた華やかな布地や繊細な刺繍が施されたドレスに、ミレイの目が釘付けになる。生き抜くことに精一杯だった今までとは違う、"普通の女の子らしい興味"がふと顔を出した。
「ミレイ、ドレス着てみたいの?」
リーナが不思議そうに問いかける。ミレイは少し照れくさそうに笑いながら、肩をすくめた。
「うーん、さすがに今は無理だけど……でも、いつかこういうの着れるくらいには、ちゃんとした生活をしたいよね。」
そんな他愛ない会話をしながら、二人は都市の奥へと足を進める。活気に満ちた都市の雰囲気に、長い間張り詰めていた緊張が少しずつ和らいでいく。
しかし——。
楽しい雰囲気の中にも、ミレイの視線は街の隅々へと向けられていた。賑やかな通りの裏側に広がる路地、警戒の目を光らせる衛兵たち。都市の煌びやかさの中に潜む"影"を、本能的に感じ取っていた。
「……まずは宿を探さなきゃね。」
現実的な課題に戻るように、ミレイはリーナに向き直る。どれだけ魅力的な都市であろうと、今の自分たちには泊まる場所も、まともな金もない。華やかな景色の中で、一つの問題が浮かび上がる。
「……お金、ないよね?」
リーナの問いに、ミレイはため息をつく。
「……ない。だから、とりあえず仕事を探そっか。」
楽しいだけでは生きていけない。どんなに現実離れした異世界でも、世の中はどこまでも現実的だった。




