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第十一章 〜変質〜 9

 リリスがわずかに驚いたように笑う。


 「ふふ……いいわね、その目。まだ折れてない。折れてない子、大好きよ」


 リヴィアは応じない。すでにミレイのもとへ駆け出していた。


 「……遅れてごめん。ミレイ、私も戦う」


 ミレイがわずかに目を向ける。その瞳に宿るのは、驚きでも安堵でもない。ただ一瞬の静かな光だった。


 「……お願い」


 リリスは目を細める。


 「二人がかり? ふふ、なら少しだけ本気を出してあげようかしら」


 地面に瘴気が奔る。空気が重く沈み、世界が色を失うような感覚が広がっていく。


 ——そして、リリスが動いた。


 速い。視認できたはずなのに、反応が間に合わない。

 リヴィアの背中がぞわりと粟立ち、剣を振る。


 火花。


 ギリギリのところで、刃と刃が交錯していた。


 だが次の瞬間、空間が弾けた。


 リリスの気配が消える。否——あまりにも急激に、密度を変えた。

 ただそこにいたはずの存在が、圧倒的な意志の塊へと変貌する。


 風が逆巻き、空気が押し返される。吐息すら拒むような圧力。


 リリスの手が閃いた。


 視界に三つ、いや五つ、刃の軌跡が走る。ひとつひとつが致命的。しかもそれらは、殺さないぎりぎりの場所ばかりを正確に通過していた。


 リヴィアの頬が裂け、肩口が斬られる。跳ね退こうとするより早く、幻術の世界が後ろに伸びていた。


 「っぐ……あ……っ……!」


 悲鳴にもならない呻き。感覚の中で、自分の世界が侵食されていく。


 リリスの声が、耳の奥で囁く。

 

 「ねえ、あなた、昔わたしに会ったことあるわよね?」


 「ほら……あの日、そう。あなたの国が、燃えた日——」


 「あなたが目の前で家族を失った顔。ちゃんと覚えてるわ。泣くのも忘れて、ただ震えてた」


 リヴィアの顔が歪む。


 「や……め……っ……」


 だが幻は止まらない。


 「ねえ、また見せてくれる? あの顔。わたし、大好きなの。絶望の匂い。心がひび割れる瞬間」


 剣が落ちる。


 リリスは振り返り、笑う。


 「ねぇ、あなたもそうなるのかしら? それとも、壊れる前にこっちに来るのかしら」


 その目は、もう愉しみしか宿していなかった。


 ミレイの指先が、わずかに震える。感情ではない、肉体が戦いに適応しようとする反応だった。


 「……っ!」


 口を開くより先に、地面を蹴る。リリスの言葉に乗せられることを本能が拒んだ。


 槍を引き、手元で反転させると、雷の魔力が軸に沿って走る。音が先に爆ぜ、視界が光で裂かれた。


 リリスがそれを受け止めずに避ける。だがその動きすら、ミレイの視線には刻まれていた。


 火花。雷鳴。疾風のような追撃。


 リリスが笑う。


 「ああ、いい、そう。そうやって、もう止まれないって顔、ほんとに綺麗」


 ミレイはその言葉に反応しない。雷を纏った突きを繰り出し、寸前で軌道を捻る。

 火魔法を左手で撫でるように放ち、煙と熱でリリスの視界を乱す。


 その一撃——本来なら、誰の目にも見えぬ斜め後ろからの一点を、ミレイは狙っていた。


 だが、リリスは見えていた。


 指先が空をなぞるように動くと、雷が霧散し、火が渦を巻いて跳ね返された。


 「その魔法、使いこなせてないの。だけどね——そういうの、わたし大好き」


 ミレイの動きが止まらない。止められない。突き、横薙ぎ、そして踏み込みからの跳躍。

 ただの技ではない。彼女の槍は、今この瞬間だけを生き延びるための、生存本能の結晶だった。


 「あなた、どこまで行くの? 自分でも、もう分からないでしょ?」


 リリスの声が耳元に届くよりも早く、幻影がミレイを取り囲む。


 けれど——彼女はそれらすべてを無視した。

 リリスが本物をどこに置くか、殺気と音と、空気のわずかな乱れだけで読みきった。


 そして、そこに突き出した。


 槍が風を割った——


 リリスの頬が、ほんの僅かに裂けた。


 沈黙。


 「…………っは」


 リリスが笑う。震えたように、吐息の奥から喜びが滲む。


 「当たった。ほんとに……当てたのね。あなた」


 その笑みは、何よりも恐ろしい。


 「もっと、壊していいわよ。あなた自身のこと——」


 言葉と同時に、世界が塗り変わった。


 重力が崩れ、空と地面の境が消える。光と影が反転し、空気が脈動するように耳を打つ。


 ミレイの体が引き裂かれるような圧に晒される。筋肉が軋み、肺が呼吸を忘れる。


 ——それでも彼女は動いた。


 咄嗟に雷の魔力を集中させ、地面に突き刺す。雷光が一瞬、幻の膜を焼き切るように空間を裂いた。


 裂け目の先に、微笑むリリスの姿がある。空間の奥に立ち、あたかも次元そのものを操っているかのような存在。


 「いいの、それで。そうやって、壊れても進むあなたが一番綺麗」


 ミレイは膝をつきながら、荒く息を吐く。視界が歪み、地面が揺れる。それでも——


 火魔法が爆ぜる。全方位に火花が舞い、爆炎が幻の膜を切り裂くように広がる。


 その中から飛び出す槍。


 刃が、ついにリリスの左肩を貫いた。


 だが、返ってきたのは悲鳴ではない。


 「……ふふっ、やっぱり、すっごく、いい子」


 リリスの瞳が細まり、全身からぞわりと瘴気が広がる。


 ほんの僅かに、ミレイの口元が綻ぶ。


 (……これが、戦い)


 雷の加速を乗せた突き、幻術を撫でるように通り抜け、喉元を狙う一撃。

 刃が掠め、血が散った。リリスの右肩。衣服が裂け、赤が滲む。


 続く連撃——太腿、脇腹、肩口。火魔法の明滅が錯覚を生み、槍の突きが錯綜する。


 リリスがよろめき、初めて舌打ちを漏らす。


 だがその直後、逆に反撃が走る。


 幻がはじけ、ミレイの左脇腹に鋭い痛み。


 「——っ!」


 血が噴き出す。体が横に弾かれ、転がる。


 「まだ終わりじゃないでしょう?」


 リリスの甘い囁きが、耳の奥で響く。


 ミレイは歯を食いしばり、立ち上がる。血で湿った左手を無視し、槍を強く握る。


 次の瞬間、雷と炎が爆ぜた。


 渾身の突きが、リリスの左肩を穿つ——


 明確な手応え。


 リリスがわずかに目を見開き、そして笑った。


 「今の、ほんとに痛かったのよ。でも……まだまだ。もっと、もっと奥まで——届くでしょ?」


 瘴気が逆巻く。世界が歪む。

 空間が崩れ、ミレイが押し潰されるように叩きつけられる。

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