18・SIDE:レナート
毎年、夏至の日を境に、不思議なほど雨の季節が終わりを告げる。
夏至祭当日。レナートは初夏の眩しい日差しに目を細めながら、セリーナの後ろに続く。いや、眩しいのはその後姿だ。
セリーナは、夏至祭の伝統に則り、純白の装いを身に纏っていた。最高級のシルクで仕立てられたラップドレスは、肩回りの露出を避けながらも清廉さを際立たせ、生地の柔らかな光沢が日差しを受けてほのかに輝いている。つばの広い白い帽子が、より一層優雅な印象を添えていた。隣にはカルロが控え、繊細なレースで縁取られた日傘を差している。
「ここが、グラディオン闘技場ですか」
荘厳な柱を見上げながら、カルロが思わずといった様子で呟いた。
セリーナもまた、帽子を押さえながらその全容を眺める。
「ええ。かつて魔法が栄えていた時代には、魔法師同士の闘技会も行われていたそうよ。建築家は、かの有名なアンドリュー・レヴィエン。押し寄せる時波にも負けず、美しい石材が作られた当時のまま……素敵よね」
闘技会場は、急遽、予定されていた都心部の闘技場から街外れの野外闘技場へと変更された。紳士淑女から令息令嬢に至るまで入場希望者が殺到し、都心部の闘技場では収容しきれないと判断されたためだ。
一大事業となったこのイベントには、主催者であるアーヴィング公爵家の私設騎士団のほか、街の安全を護るイージス騎士団の帝都守護隊から小部隊が派遣され、さらに不足する人員は近衛兵隊から補完された。三種それぞれの制服を身に纏った騎士たちが、会場の至るところで待機している。
レナートが、雑談している騎士二人組を何気なく見つめていると、視線に気付いたのか、彼らは振り向いてビクリと肩を跳ねさせる。そして、レナートがイージス騎士団の人間だと認識するや否や、その場を慌てて立ち去った。――また睨んでいたと、勘違いさせてしまったのだろうか。
「レナート、緊張してる?」
「……いえ。問題ございません」
不意に尋ねられ、レナートは姿勢を正す。
実際、緊張しているわけではない。しかし、この天気に反して気持ちは晴れない。
この数週間、セリーナの顔に泥を塗るわけにはいかないと、手の空いた夜は修練場へと足を運んだ。思えば専属護衛騎士に任命されて以来、剣を握る機会が殆どなかった。今回相手取るのは三大公爵家の私設騎士団。どの騎士団も先鋭揃いだと聞く。実際に剣を交えたことはないが、ある程度の実力を心して置いた方が良いだろう。
ただ、修練場に通った理由はそれだけでない。オパール宮への配属を、引き受けてくれそうな騎士達が見つけられたらと考えたのだ。
けれど、結果は散々だった。初めて修練場を訪れたその日、訓練していた数名の騎士達はレナートの姿を見るなり顔を青褪めさせた。声を掛けようものなら、口をはくはくと戦慄かせ、会話も出来ないまま走り去ってしまった。――丁度、先程見かけた騎士達のように。以降、修練場で人影を見たことはない。
(魔獣討伐隊にいた頃は大体が赴任先で双方逃げ場も無く、手合わせをしている内に隊員とも距離を近付けることが出来たが……。まるで学生の頃に戻ったようだ。そんな俺が、大衆の前に出て試合などして良いのだろうか)
闘技会の結果によっては、フィオレ公爵家所属の騎士団の者とあたることもあるだろう。尋ねてはいないが、もしかしたら公爵も見に来ているかもしれない。彼らは自分のことをどう見るのだろうと考えると、体が強張る。
その様子を察してか否か、セリーナは軽やかに微笑んだ。
「ふふ、私の騎士様は頼もしいわね。あなたの大きな背に守られているのは、本当に心地が良いわ。……良い? どーんっと、派手にやってちょうだい! ただ、怪我だけはしないでね?」
彼女の柔らかい笑顔と言葉に、体から余計な力が抜けていくのを感じる。
それはまるで『いつでも私が後ろにいるから』と告げられているようで――胸の奥が温かくなった。
「……善処します」
レナートは、一度丁寧に頭を下げる。
セリーナは、満足げに微笑み、再び前を向いて歩き始めた。
「セリーナ様。それに、カルロさんにフィオレ卿も。本日は、ようこそおいでくださいました」
建物の入り口に入ろうとしたところ、爽やかな声が聞こえ、そちらを振り返る。
レナートとカルロは、思わずぎょっと目を剥いた。そこには、今回のイベントに関する変更と運営の一切を任されたユリウスが、目の下に隈をたたえ、随分とやつれた様子で立っていた。しかし、セリーナは気にする様子もなく優雅にカーテシーをし、微笑みながら告げる。
「ユリウス様。本日はお招きいただき、ありがとうございます。まさか、わたくしの『お願い』をすべて叶えてくださるとは思いませんでしたわ」
カルロは、すべての元凶はここにあると言わんばかりに顔を顰め、深く溜息を吐いた。さすがのレナートも、表情にこそ出さないがユリウスが少々不憫に思えた。しかし、さすが当代一の公爵家の令息とだけあり、ユリウスは上品な振る舞いを崩すことなく恭しく礼をした。
「いえ、斬新なアイディアの数々に、むしろ僕の方が感謝を伝えなければいけません。お席までご案内する道すがら、運営の状況をお伝えします」
セリーナは差し出された手を取り、エスコートを受け歩き出す。
レナートとカルロは、二人の後に従う。建物の内部には、その歴史を巧みに活かした美しい装飾が施されていた。
「椅子やカーテンは煤が落としきれなかったため、すべて新調いたしました」
「すべてですか⁉ それは、凄いですね……」
驚き周囲を見回すカルロに、ユリウスは気軽に片目を瞑る。
「勿論、この建物は帝国の持ち物ですので、費用は帝国にも一部負担していただきました。座席は細かく区分けした上で完全予約制を採用し、より安全な場所や競技場に近い席など、それぞれの条件に応じて細かな価格設定を施しております。また、一般市民向けの立見席も用意し、各試合毎に入れ替える形を取らせて頂いております」
夏至祭に向けてただでさえ忙しい中、これほど大規模な建物の装飾品をすべて入れ替えるとなると――おそらく帝国中の商人たちが総動員されたのだろう。さすがアーヴィング公爵家と言えるが、セリーナの影響力に寄るところも大きいのかもしれない。
皇族や貴賓専用の入口と通路を使用しているため、周囲に人影はほとんど見えない。しかし、手すりからほんの少し身を乗り出すと、階下では多くの人々が忙しなく動き回る様子が見えた。特に、建物の入り口付近には、大勢の人々が集まり、大きな人だかりを作っているのがわかる。
「あちらが、セリーナ様に『お願い』された一つ目の催しです。予選を通過し、本日の最終試合まで勝ち進んだ騎士達の姿絵を販売しております。裏面には、仰られた通り簡単なプロフィールを乗せています。また、各騎士団の紋章を施したハンカチーフや簡単な装飾品も用意し、全てに本日の日付を彫りこんでございます」
「まあ、本当に間に合うなんて! ありがとうございます、ユリウス様」
「とんでもありません。まさか、ここまで反響が大きいとは思わず、現在も追加で量産しております。商人たちは喜んでおりました。お約束通り、売り上げの一部はアイディア料として後日セリーナ様のお口座に振り込ませていただきます」
「ふふ。お父様に内緒で、新しいドレスを買ってしまおうかしら?」
騎士の姿絵が何故必要なのかわからないが、手にした瞬間、ご婦人方は黄色い声を上げている。騎士団の紋章の入ったハンカチーフなど、一体どの場面で使えるのだろう。レナートには想像も出来ない世界が広がっていたが、考えても仕方ないと思考を切り替え、設営や建物の構造など警護に必要な情報を仕入れることに専念した。
けれど、騎士達の控室前に設置された会場に再び目を奪われる。そこでは、セリーナと同年代の令嬢達が、夏至祭の白いワンピースにエプロンを付け、騎士達に飲み物を手渡していた。
「ここが、『お願い』の二つ目です。学院の有志の令嬢達に協力を賜り、騎士達に飲み物や軽食を支給して貰っています。まさか、使用人がするような仕事を進んで引き受けてくれるとは思いませんでした」
「騎士様に憧れる女生徒は多いですもの。丁度、学院長先生から夏至祭に置ける学院からの出し物に何か良いものはないかとご相談頂いていたのです。レシピの考案や材料集めは、微力ながらわたくしも協力させて頂きましたわ。ね、レナート」
この数週間、セリーナも随分と忙しそうに動き回っていた。
そして、そこには必ずレナートも同行する。レナートは、セリーナの後ろに付き添い、買い付けの際の荷物持ちや試食にも協力してきた。オパール宮のキッチンに籠り、フルーツをふんだんに使い幾つもの試作品を作っていたのはこの為だったのかと納得する。
「――……はい」
「羨ましいですね。セリーナ様の手づからのお料理を食べられるなんて。いつか僕にも作って頂けますか?」
「ふふ。ええ、機会がございましたら」
レナートは、思わず口を噤む。セリーナは、さまざまな調味料や薬草を駆使し、手際よくジュースやクッキーを作っていた。時折、怪しげな目つきや笑い方をしていて、菓子を作っていると言うより邪悪な魔女が毒薬でも作っているようでもあったが、それは彼女なりの楽しみ方なのだろう。見た目もとても美しく、店で販売されているものと比べても遜色ない程だった。
問題は、どれも酷く甘いということだ。体の奥底が震えるほどに。何個目かを口にした時、レナートの顔色の悪さに気が付いたカルロが止めに入ったが――あのまま食べ続けていたら、どうなってしまっていたのだろう。寄与されたレシピは、カルロによって大幅に修正されたものだ。
歩き続け、分厚い赤いカーテンの前で足を止める。
ユリウスは、側にあった紐を引き、それを大きく開いた。
「こちらが、本日セリーナ様にご用意したお席にございます」
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