12・Side:セリーナ
「――それで、何と答えたのですか⁉」
セリーナは昼間の出来事を簡潔にカルロに伝えた。
カルロは店のマスター風の装いに着替えながらセリーナの話を聞き、驚きに声を荒げた。
ここは帝都の中腹、大通りから外れた裏路地の一角だ。カルロはセリーナをレナートに任せている間に、廃業した店を買い取り、今夜の舞台を用意してくれていた。今や、店内はすっかり上質な大人の空間に変わっている。
セリーナはすでにフィリップ・デュボワの姿に成り代わっていた。椅子の上に膝を抱え、杖を指先で弄ぶ。
「えっと……『お友達になれたら素敵よね』って。それ以上は、何も言っていないわ」
この大陸では、〝妖精″はとても身近な存在だ。
かつては人と共に暮らしていたこともあり、その存在は歴史や伝承、国の法典にまで刻まれている。しかし、妖精たちが実際に人前に姿を現さなくなってからは久しい。
どうしてレナートが〝妖精″を話題に持ち出したのかは、わからない。
けれど、聞き返せば却って藪蛇になるのではと敢えて口を閉ざした。
カルロは、準備を進めながら、思案する。
「……何か、勘付かれたのでしょうか?」
「どうかしら。身体的な接触はあったけど、『セリーナ』の姿の時は髪と瞳の色と、顔立ちを少し変えて見せているだけで体は殆どそのままだから、それが理由じゃないとは思うのだけど……」
「何にせよ、暫くは様子見ですね。フィオレ卿の配置換えの当てくらいは見繕っておいた方が良いかもしれませんね」
配置換えという言葉を聞いて、セリーナはドキッと胸を跳ねさせる。
口を閉ざしていると、カルロは目ざとく詰め寄った。
「……もしや性懲りもなく、もう心を許してしまったのですか?」
「……っち、違うわ! ただ、レナートに非は何もないから、悪いなぁと少し思っただけで……」
確かに判断するには早計だと言えなくもないので、一先ず否定してそっぽを向いて置く。けれど実のところ、セリーナの中でレナートのことを警戒する気持ちは、もう殆ど無い。
知り合ってまだ数日だが、彼は至って真面目で紳士的だった。いっそ生真面目すぎる姿勢に肩が凝りそうにもなったが、後ろを振り返る度に見える、固く引き結んだ唇と俯くその表情からは――ただ申し訳ないと、彼自身の利益や保身の気持ちなど微塵も感じられず、彼を取り巻く評判がセリーナに悪影響を及ぼすのではないかと案じる真摯な思いを感じた。それに、あんな素敵な筋肉を持つ人に悪い人はいない。
(だから、少しでも元気になって貰えたらとあの場所に行ったのだけど……私、何か失敗した?)
心当たりはない。カルロは、呆れたように溜息を吐いた。
「まったく。良いですか? 正体を知る人間が増えれば増える分だけ、危険も増していくのです。そもそも、彼は国の法を守る騎士団の人間です。最も正体がバレてはいけない立場の人ではないですか」
妖精でも罪を犯せば裁かれる。人のそれとは少し違う方法で。
「……わかっているわ。だから今日も、細心の注意を払って出て来たんじゃない」
現在、オパール宮の護衛騎士はレナート一人。
しかし、レナートにも休養が必要だとカルロが彼を説得し、週に二晩だけ夜間を預かる事になった。
今夜は、レナートが離れたその隙を狙い、特性セリーナちゃん人形に幻影の魔法を掛け布団に忍ばせてきた。
「……とにかく! この件を終わらせたら、どうしていくか本格的に考えるから……今は集中しましょう!」
セリーナは、杖を握って勢いよく立ち上がる。
そして、用意した蝋燭に火を灯した。甘い香りが、店内中に広がる。
それから数分後。今宵限りのこの酒場に、ただ一人の客人――クライスト・フォン・クライスト子爵がやって来た。
◇◇◇
クライストは、貰った用紙を頼りに店を訪れた。
店は、高級な店が立ち並ぶ大通りから少し逸れた場所にあり、言われなければ気が付かない程細やかな看板が掛けられていた。
揶揄われたのではと不安に思いながらも扉を開ければ――外観の素朴さから一転。高級ながらも品の良いビロードとベロアの質感で統一され、落ち着いた居心地の良い空間が広がっていた。
フィリップ・デュボワは、ソファー席に座って酒を飲んでいた。
「同じものを」と頼み席に着けば、無口な店主はコトリと酒を置き、店の看板を裏返しに行った。懇意にしている店と言う話は、本当だったようだ。
それから数時間。王女アンネの絵を絶賛され、クライストはすっかり有頂天になっていた。芸術について語らい続け、酒も入り二人はすっかり打ち解け合っていた。
デュボワは思っていたよりもずっと親しみやすい人間で、クライストは身分の壁も越え、友情さえ芽生えた気がしていた。
「ぜひ、今度我が領地へ! 私の所有する全ての作品をお見せしましょう!」
「はっはっはっ……もう私も年寄りだ。そうそう山は登れまい。そろそろ、引退も考えているところだ」
「……! 何故です! あなた程の見識の深い人間は、恐らくこの世にいないでしょう。引退など、勿体ない……」
「……年には敵わぬものだよ」
デュボワは、目尻の皺をより一層深くして微笑む。
クライストは、その笑顔に何故だか少し鼓動が跳ねた。
――どこか、懐かしい気持ちがして。
「君自身も、絵を描いていたんだったかな?」
「え……ええ。昔の話ですが」
「何故、描くのをやめたんだ?」
「え……それは……」
(……当たり前じゃないか。私は、画家ではない。描いた所で、何になる)
クライストは、思わず口籠る。一時は、本気で画家への道も目指していた。
しかし、両親には反対され、師もまた特別な評価をくれなかった。
絵を描くには、時間も金も掛かる。売れないのなら、描かないのは当たり前だ。
「いつか、君の絵も見せてもらいたいな。私はね、絵を見るのが好きなんだ」
それは、そうだろう。だから、鑑定士なんて仕事をしているのだろう。
(……もう少し。私が若ければ、何か違っていただろうか……)
どんな師に出会えるかで、人生は変わると言う。
芸術を愛する者として、その道を極めた彼に導いて貰っていたなら、もう少しマシな人生を歩めていただろうか。
「君には、家族もいたんだったかな?」
「……はい。妻と、息子がおります」
「ほう。息子さんか……。幾つになるんだ?」
「……今年……11歳になるはずです」
最近、息子の顔を見ていない。
言葉を交わしたのが、いつが最後だったのかさえ覚えていない。
「良い年頃じゃないか。私はその頃、鑑定士になるなんて夢にも思わなかったな。両親が頭の固い人達だったからね。芸術に触れた仕事に就きたいなんて言っても、理解して貰えなかった」
デュボワ卿が肩を両手をあげて肩を竦める。クライストは、自分と同じ境遇に、また一つ心を許した。
「……わかります。うちの両親もそうでしたから」
「そうか……君も、絵を反対されたのかい?」
何となく、ぼんやりとする。甘い香りが脳を痺れさせる。
酒が入り過ぎたかも知れない。
「……はい。あ、でも、母は趣味としては認めてくれていて……よく画材を用立ててくれました。……ちょうど、息子ぐらいの年の頃、はじめて貰って。……ああ、そうだ。ネズミの絵を描いたんです」
「ネズミ?」
「ええ。うちに、昔からいたんです。大きなネズミが。私が、父と喧嘩をしたりすると、いつもこちらを伺うように部屋の隅に居て……。それ以降も。私が何か悩んだり、迷ったりしていると、ふと視線の端にいたりするんです。……単に山間の家なので、ネズミが多いだけかもしれませんが」
「猫を飼って追い出そうとかは思わなかったのかい?」
「……そう言われれば、そうですね。特段被害もなかったので、放っておきました。今思えば、不思議な話ですね」
「そうか……」
グラスの酒を、また一口二口煽っていく。そろそろ、お開きかな。
デュボワは手洗いに向かうと立ち上がる。すると、その足元にあった鞄を蹴飛ばした。彼は「ああ、しまった……!」と声をあげ、鞄の中身を仕舞おうとするが、却って中身が外に零れ落ちてしまう。
中から出て来たのは、冠だった。クライストは、その冠に強く見覚えがあった。
「なっ……! それは!」
思わず立ち上がる。そう、それは何よりも自分が最も大切にしていた物。十年近く前に手に入れた、古代ペルシカ帝国で王女達が被っていたとされる冠だった。それの為に、未だ返しきれない借金を抱えている。見間違える筈もない。領地から出てくる直前も、大切に見て来たものだ。
「なぜ、それがここに……! それは、私のものだ! なぜ、あなたがそれを……」
頭の中は大きく混乱していた。デュボワは、落ち着かせるように微笑みながら、それをテーブルの上に置いた。
「落ち着きなさい。それ……良く見てみろ」
「え……」
クライストは、まじまじとそれを見る。しかし、見れば見る程、自身の所有するそれだった。
「贋作だ」
「……贋作⁉ いや、しかし。なんと精巧な……」
信じられない。傷の位置まで、正確だ。これは、あの冠をよく知る者が作ったものだ。
「……魔が、差してしまってね」
「え……?」
「これは、私が制作を依頼した物だ。愚かだったよ。自分の身分を笠に着て、私の鑑定書を付ければ、こんな物でも金になるんじゃないかと思ってしまってね」
「……どういうことですか?」
「なに……そう難しい話じゃない。私も老い先短い。最後に、少しくらい豊かな思いをしても良いのではと思ってしまったのだ。この偽物を、私の鑑定書付きで誰か貴族位のものにオークションにでも出してもらえば……なんてね。もちろん、本当の持主は君だ。だから、昨日君が王都に出てきていると聞いて、あの美術館に行ったのだ。あわよくば、君が協力してくれるのでは……なんて考えてね」
クライストは、ドキドキと鼓動が速くなるのを感じる。
天啓を受けている様な気持ちになっていた。
それこそ、自分が今求めていた事ではないかと。神が、自分を味方してくれているように感じた。
「……忘れてくれ。馬鹿な事を思いついたもんだ。そんな事をすれば、君は犯罪者になる。……私はこの作品を今晩中に破棄し、引退しよう。焼きが回ったんだ」
冠を丁寧に布に包み、デュボワ卿は、鞄に仕舞おうとする。クライストは、思わずその手を握り、止めた。
「………………お任せいただけませんか?」
「……え?」
「その計画を、私にお任せ下さい」
胸に抱いたのは、奇妙な使命感だった。クライストは、フィリップ・デュボワの口元がほくそ笑むのに、気がつかなかった。
数日後、号外が出ることになる。
『ヴァルデマール・フォン・クライスト子爵が、所有するすべての美術品をオークションに掛ける』と。計画は、この上なく順調だった。
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