11・Side:レナート
少し日が開いてしまいました。
どうか本日もよろしくお願いしますm(❁_ _)m
帝国学院は、帝都の外れにある小高い森の中に建てられている。
森と言ってもその範囲は小さく、人の手により整備された森だ。
帝都全体を包む結界の内側に位置しているため、魔獣が入って来ることはない。
学院は約百年の歴史を誇るが、建物はそれよりもずっと昔に建てられていたらしい。レナートは、セリーナに連れられて学院中央にある尖塔に来ていた。
「――……殿下」
「……」
頂上を目指し、階段を昇ること数分。
レナートは、上段を歩くセリーナに声を掛ける。しかし、返事はない。
セリーナは両手で手すりを掴み、ガクガクと震える足で一歩一歩進んでいた。
「殿下」
「……セリーナ」
今一度声を掛けると、今度は掠れた声が耳に届く。
ぜーはーと肩で息をしながら、セリーナは振り絞るように声を出した。
「セリーナ」
名前を呼べと意図していることはわかった。
レナートは暫し悩むが、素直に従う事にした。――これ以上は、主の身が心配だ。
「セリーナ様、宜しければ――」
◇◇◇
セリーナを背負い、階段を昇ること更に数分。セリーナは、嬉しそうに足を揺らしている。レナートは顔を顰め、躊躇いがちに口を開いた。
「セリーナ様、その……匂いを、嗅ぐのをお止めください」
「え~、だっていい匂いなんだもの。そして立派な僧帽筋……うん。良い! 私は今とっても幸せよ、レナート」
セリーナの頬がつやつやと輝く。
レナートは思わず吐息だけで笑った。何て可笑しな人だろうと。
上を見上げれば、螺旋階段がなだらかな円を描くように頂上まで続いている。もう残りわずかだ。建てられてから、どれほどの月日が経つのか――煉瓦は古く煤け、所々にあるステンドグラスは割れて隙間風が吹きこんでくる。しかし、ステンドグラス越しに映し出される虹色の光は芸術的で美しく、幻想的な雰囲気を醸し出していた。眺めていたのを察したのか、背中から明るい声が落ちて来る。
「この建物は、建国時に建てられたものなの。今は使われていないけど、頂上の更にその上には大きな鐘が下げっていて、かつては敵の侵入を知らせる為の役割を持っていたそうよ」
「……お詳しいのですね」
思わず零せば、彼女は「ふふ」と嬉しそうに笑った後、得意げに言った。
「すごいでしょう? 調べ物が好きなの」
頂上に付きセリーナを下ろすと、セリーナは古びた鍵を取り出し扉を開ける。学院構内の建物の鍵は管理人の元で厳重に保管されているはずだが、この建物に入る時も、セリーナはポケットから複数の鍵束を取り出し『ちょっと……借りてるの』と悪びれもせず、それを使って錠を開けた。本当に、全く予測不可能な人だ。
差し込む外の灯りが眩しく、目を眇めるが――その先に広がる光景に驚き、レナートはすぐに目を見開いた。
絶景だ。
広いテラスの向こうに、帝都の景色が広がり聳え立つ白亜の皇宮も見える。
「すごい……」
「でしょう? 私のお気に入りの場所なの。ほら! 帝都の中央の時計塔と、皇宮が一直線になっているの。お互いに鐘を鳴らして連絡を取り合ったそうよ」
セリーナは、軽やかは足取りで手すりに近付いたかと思うと、大胆に手すりを掴んで真っ直ぐ帝都を指さした。レナートは、また落ちるのではないかと心配になり、すぐに彼女の隣に立つ。要塞の働きもしていたのか、かなり強固な造りのようで、少し力を込めて押しても崩れるようなことはなかった。
「ねえ、見える? 夏至祭の準備のために旗が掛けられているの! きっと、街はとても賑わっているのでしょうね。私ね、人の営みを見ているのが好きなの。あんな沢山の建物一つ一つに、人々の歴史があって笑顔があるのよ? 素敵でしょう?」
レナートは彼女の少し後ろに立ち、改めて景色を眺める。
そう言えば、ルイと共に帝都を巡った時も楽団が来て準備を急いでいた。
帝都を立つ直前――もう七年前だろうか。
誰と会う気にもなれず、屋敷の窓から無数のランタンが上げられる空を眺めた。
そんな思い出に浸っていると、透き通る柔らかい声が耳に届く。
「ねえ、レナートはどうして騎士になったの?」
唐突な質問に戸惑いながらも、純粋な興味を示すセリーナの表情を見て、素直に過去を思い返す。振り返ってみると、それはもう随分と遠い昔のことのように感じられる。
「……出来ることが、体を張ることぐらいしかありませんでしたので。元々、フィオレ公爵家は武門の家系です。父に強請るにしても、剣術の師事を受けたいと言う程度なら、迷惑を掛けずに済むかと思ったのです」
「辛くは、なかったの? 体を鍛えるのも、敵と対峙するのも怖いことでしょう?」
「……そうですね。ですが、自分にも出来ることがあるのだという充足感の方が大きかったように思います。恐ろしいことも勿論ありますが、自分の後ろには守るべき命があるのだと思うと、敵を観察し攻略することに意識も切り替わりますので……」
改めて口にすると、心が落ち着く。
それが、長い年月を掛けてレナートなりに見出してきた生きる意味――騎士としての本分だった。
セリーナの声が返ってこず、喋りすぎてしまったかと謝罪を口にしかけたが、そこで言葉は止まった。キラキラと輝く瞳と紅潮した頬、真っ直ぐな笑顔がこちらを向いていたからだ。
「……すごい! あなたの筋肉こそまさに『本物』だわ! 命を賭して人々を守り、その崇高な精神と共に鍛え上げられた輝かしい結晶! ああ……なんて尊いの? この世にこれほどまでに完璧な存在があるなんて……」
揶揄われているのかとも思える台詞だが、彼女は至って真剣に語る。その大きな瞳は、感動で僅かに潤んでさえいた。予想の斜め上を大きく飛び越えた反応に、レナートは困惑する。そもそも、褒められることに慣れていない上に、褒められていると思われるポイントにも違和感――と言うより、まるで服の中身まで見られているような、もぞもぞと落ち着かない気恥しさを感じる。
どう返せばいいのかわからなかったが、彼女が歩み寄ろうとしてくれていることは、これまでの行動からも十分すぎるほど伝わって来ていたので、小さな咳払いと共に気持ちを切り替え控えめに尋ねた。
「……セリーナ様は、私が恐ろしくはないのですか?」
ずっと疑問だったことを口にすれば、きょとんと可愛らしい顔で首を傾げられた。
「いいえ? 恐ろしい思いをさせられていないのに、どうして恐れなくてはいけないの?」
「……人は皆、恐ろしいと」
「それは、外見が? 普通に格好いいと思うけど……」
「そうね……」と呟きながら、セリーナはまた景色に視線を戻す。
風に靡く髪を抑え、まるで愛おしいものを見るような眼差しで告げた。
「今年は難しいでしょうけど……来年か再来年の夏至祭にはきっと、東の大陸の珍しい食べ物があの店先に並ぶわ。商人が頑張れば、陶磁器や絹織物も流通するかもしれない。人も、きっと沢山流れて来る。犯罪率の増加が気になるところだけど、それはイージス騎士団のみんなが頑張ってくれるって、私は信じてる」
自らが所属する騎士団の名前が出て、鼓動が跳ねる。
彼女を見れば、とても嬉しそうに頬を綻ばせていた。
「あなたが齎した奇跡よ? 東の離島は、この大陸の殆どの国が密かに注目してたわ。魔力の噴出口が大きくて、大型の魔獣が蔓延り誰も手を出せなかったけど……あなたが討伐に向うよりもっと昔には、各国から毎年何人もの騎士が送られていたの。家族を失った者も少なくない。……でももう、誰も戦わなくて良いの。あなたは、この国の文化を発展させ、未来に送られるはずだった騎士達の命さえ救ったのよ? 誰にでも、出来ることじゃないわ」
セリーナが、くるりと体ごとレナートを振り返り見る。
日の光に照らされ輝く金色の髪。瑞々しく美しいその姿と、その向こうにある荘厳な白耀の宮が重なる。レナートはなんとなく――これが皇族かと感じていた。
「『見た目』が、何だと言うの? そんなもの、幾らでも偽ることが出来るのよ? ……本物の輝きに、勝るものではないの。あなたは、私には勿体ないくらい素敵な人。私はあなたを、とても誇らしく思うわ」
『――……『あなた』は素敵な人。『あなた』として生まれた事を、ただ誇りなさい』
記憶の中の女性と、目の前の女性の声がピタリと重なった。
レナートは焦り、鼓動が徐々に強まる。
(まさか、そんなはずは……彼女は、あの時既に俺よりもずっと大人だった。しかし……)
思えば、口調や抑揚もよく似ている。その思いを肯定するかのように、爽やかな花の香りが風に舞い広がった。押し黙るレナートに、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「レナート?」
レナートは、思わず口を開いた。
「……私からも一つ、お尋ねしても宜しいでしょうか?」
「ええ、もちろんよ」
「セリーナ様は――『妖精』について、どう思われますか?」
貴重なお時間を使ってお読みいただき、ありがとうございます。
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