1・プロローグ~二人の主人公
はじめましての方も、他の作品をお読みくださった皆様も、
本当にありがとうございます。
今作もよろしくお願い致します(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)
『妖精に関する伝記――著者オルド・リンド
神々は、精霊の力を通じて、我々人間以外にもさまざまな命を創造された。
その一つである妖精は、非常にユニークで、ユーモアに富み、魅力的な存在である。
目に見えるもの、見えぬもの、人の姿を持つもの、そうでないもの――彼らはそれぞれ固有の能力を持ち、陽気で自由な心を持ちながら、自らが生まれた場所や育ての親となる存在を本能的に守ろうともする。
人に害をなす者もいるが、長い歴史において、その多くは人々に寄り添い、生活を支えてきた。
善き隣人。本書は、彼らと共に歩んだ長い年月の記録であり、私が目にしたすべてを記すものである……――。』
パラリ、パラリと、古く乾いたページを慎重に捲る。
外は、小雨が降っていた。荷馬車の革張りの屋根に水滴が落ちる音を聞きながら、雲間から差し込む僅かな光を頼りに視線を滑らせていく。暗がりの中、アンティークゴールドの瞳が燃えるように煌めく。
大陸最強と謳われる、ニンフィア帝国イージス騎士団。
その中でも、国防の要と言われる魔獣討伐隊で、若くして一部隊を任された第七部隊長――レナート・ディ・フィオレは、任を終え、一個連隊を率いて東の駐屯地から帝都に向かっていた。
ガタガタと揺れる荷台は決して心地が良いとは言えないが、馬を操らずに済む分、普段は出来ないこういった楽しみを持つことが出来て良い。愛馬の脚が故障した時はどうしたものかと頭を抱えたが、思わぬ快適な環境と本の内容に目元が緩む。しかし、程なくして、ガタンっと音を立て馬車が止まった。
「――……部隊長! 魔獣です!」
本を閉じて外を見ると、クラウド・ビヒモスと呼ばれる狼の形をした大型の魔獣が群れを成し、行商人の馬車に襲い掛かろうとしていた。どうやら泥濘に嵌り、車輪が壊れて森の出口で立ち往生していたらしい。一人の壮年の男性が、斧を手に魔獣を追い払おうとしていた。腰に魔獣除けの香壺もぶら下げてはいるようだが、それは一過性のものだ。一箇所に留まり続ければ、香りの効果を越える者が出始める。
レナートは荷台を降り、するりと腰の剣を抜く。
「俺が行こう」
「わ、我らもっ……」
「必要ない」
腰を屈め大地を蹴り、闇が忍び寄るように音もなく、次の瞬間にはビヒモスの巨体を二つに裂いていた。ものの数秒で全ての個体が黒い血の上に転がり、地面に沈む。
静寂を取り戻したその場所で、レナートは剣に付いた血を拭い、鞘に納めた。
あまりの素早さに、その場にいた誰もが声も出せずに息を飲む。
「――……さすが、『戦場のデルム』」
背後に追いついた騎士達の中から、そんな言葉が零れる。
デルムとはこの国の伝承で、闇や泥から生まれ人に死を齎す妖精のことだ。その通り名が自分を示していると気が付いたのは、もうどのくらい昔のことだろう。
レナートは、小さな溜息を一つ零し、被害状況の確認の為行商人に近付く。
彼は、「ヒィッ……!」と息を飲み、レナートに向かって斧を振り上げた。
不運にも斧はするりと手から離れ、勢いよく飛んでくる。しかし、寸での所で躱すことが出来、頬に小さな筋を一つ作るに留まった。
行商人は、そのまま血の気の失った顔で膝を付き、ガチガチと震える口で掠れる声を出した。
「……し、死にたくねえ……まだ、死にたくねえんだ……! ど、どうか……、どうか、命だけは……!」
彼がここまで怯えるのは、一連の出来事の所為か――それとも、この見た目の所為か。
冬の枯れた木々を思わせる石炭のように暗い髪。この国では非常に珍しい褐色の肌。浮かび上がる瞳は獲物を狙う獣のように鋭く、無駄に整った顔立ちは却って冷淡に人の目に映るらしい。成長しすぎた体は、男性の平均的なそれより頭一つ分大きく、小柄な者からしたらそれだけで威圧感があるのだろう。
表情だけでもにこやかに出来れば良いのだが、生憎、どのように顔を動かせば良いのかレナートには皆目見当も付かない。
「――……っおい! こっちは助けってやったんだぞ! それを……」
「……やめろ!」
同行の騎士の一人が怒りに声を上げ、レナートはそれを制した。
そもそもは彼らが通るこの道を、何者にも脅かされない安全なものに出来ていなかった帝国騎士の責任だ。
あまりに縮こまり震える肩を見るに、この辺りで退いた方が良さそうだ。
「……数人残り、手を貸してやれ」
「はっ!」
頬に滲む血を軽く拭い、指示を出す。
行商人は、怯え切ってしまっていて、恐らくもうまともに会話することも叶わないだろう。近づくことはせず、懐から金子の入った袋を取り出し、その膝元に見えるように落とした。
「……役立ててくれ」
レナートは荷台に戻り、放ってしまった大切な本を拾い上げた。
一行は、再び動き出す。帝都は、もう目と鼻の先だ。
帝都を離れ六年――皇宮に至っては、十数年ぶりになる。
レナートは本の表紙を捲り、再びその内容を眺め瞳を細める。
『彼らはそれぞれ固有の能力を持ち、陽気で自由な心を持ちながら、自らが生まれた場所や育ての親となる存在を本能的に守ろうとする。』
それが事実なら、彼女は、まだそこにいるはずだ。
(……今度こそ、会えるだろうか……)
長く降り続いていた雨が止む。雲の隙間から差す朝日に、聳え立つ白金の宮殿が照らされていた。
◇◇◇
ニンフィア帝国には、誰からも愛される第二皇女がいる。
名を、セリーナ・イザヴェル・ニンフィア。第二后妃リリー・イザヴェル・ニンフィアの忘れ形見だ。
若くして母を失ったにも関わらず、悲壮感を全く感じさせない凛としたその姿。それどころか、その瞳は慈愛に充ち溢れ、穏やかで明るく、清廉な雰囲気を常に纏っていた。
いつの頃からか、毎年更新される王族の姿絵は彼女の分だけが飛ぶように売れるようになり、彼女の誕生日には城下町で記念コインも作られるようになった。誰もが彼女と話したがり、誰もが彼女の側に寄りたいと願っていた。
「あ、セリーナ皇女殿下だわ。何をなさっているのかしら?」
今年十七歳になる彼女は、帝国立学院二階のテラス席でオペラグラスを手に持っている。
「バードウォッチングではないかしら? 動物の愛護団体を後援し、先日はいち早く鳥類の病の流行を聞きつけ、感染が広がらないよう迅速に対応されたとの話でしたもの」
ふと、その翡翠色の瞳がオペラグラスから離れ、声を発する女生徒達を見る。
彼女が親し気な笑顔を向けると、女生徒達は顔を赤らめ黄色い悲鳴をあげながら去っていく。
再びオペラグラスに目を戻す。
「セリーナ様……また騎士科の生徒をご覧になっているのですか?」
「カルロ」
護衛兼侍従のカルロは、紫紺の瞳を呆れたように細める。
セリーナはオペラグラスを外し、紅潮した頬に手を添え、溜息を零しながら呟いた。
「……いいっ! やっぱり鍛え上げられた筋肉は素敵ね」
侍女のマリアは、クスクスと微笑んでテーブルの上のカップに紅茶を注ぐ。セリーナは、興奮したようになおも続けた。
「学生達のどこかまだ線の細い、未完成な形もそれはそれで趣きよね。でも、やっぱり私は鍛え上げられて、使い込まれている筋肉の方が私は好きかしら?」
カルロはわざとらしく盛大な溜息を零す。
「噂の王女殿下の趣味が覗きなんて……国民が知ったら暴動が起きます」
そう、噂など当てにはならない。彼女は、決して清廉ではないし、本当の姿は黄金の髪でも翡翠色の瞳でもない。ましてや皇女ですらない。
彼女の本当の名は、パルカ・ポルカ。変装が大得意。人間が大好きで、悪戯が大好きな『善き隣人』――〝妖精″だ。
風の精霊達が姿を見せずに現れて、彼女に何やら耳打ちする。
彼女はその美しい口元を、にこりと微笑ませた。
「そう言わないで、カルロ。さあ、新しいカモの登場よ。楽しい悪戯の時間と参りましょう」
プロローグから、だいぶ長いですね……(笑)
貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございました。
いいね、ブクマ、感想等お待ちしております。
どうか、素敵な一日をお過ごしください!