1-2.脈動する思惑
───帳の下、獅郎の周りを赤雷が迸り明滅する。
静電気のせいが少しボサボサの黒髪が持ち上がって見えた。
獅郎は右手を閉じては開き、感触を確かめているようだった。
「なるほどなぁ。こらいきなり全開はキツいわ。でも……」
そこで言葉を切り、悪戯な笑みを浮かべその場で何度か跳躍したかと思えば、瞬きの間にその姿を見失う。
「使いこなせばオモロいで、これ」
声は春斗の真横から聞こえ、肩を叩かれた。
驚き慌てて左を向けば、したり顔の獅郎の姿が。
「凄い速さだね。じゃあ獅郎さん、説明よろしく!」
感心した様にそう言った翔馬だが、獅郎はその感想が面白くないようで眉をひそめてジトッと翔馬を睨む。
「なぁにが“凄い速さ”や。お前やったら止まって見えるやろ」
「いやいや、流石にそんなことないよ」
獅郎の言葉を困り顔で否定する翔馬。
そんな翔馬の態度も面白くないようだったが、溜息を吐いて獅郎は話し始めた。
「ったく……ええか?まず、この雷はほぼ体外には放出できひん。身体の中を巡って漏れたんがこうやって目に見えとる」
そう言うと右拳を春斗の前にかざす。
その拳は眩い赤の閃光を放った。
「で、身体ん中の電気を使うて反射速度を上げるわけやな。まぁ身体ん中に流れる電気をイメージすればえぇんとちゃう?知らんけど」
言い終えると同時に獅郎の周りの赤雷は消え、髪も元に戻った。
「シロウすごーい!ハルトとおんなじ!」
「当たり前や!俺を誰だ思とんねん」
部屋の中から聞こえた藤乃の歓声に獅郎は胸を張って答えた。
そして思い出したように春斗に向き直る。
「せや、俺はコピーした超能力の出力を最大には出せん。出したら多分死ぬ。せやからさっきのは80%ってとこや。この意味わかるな?……さぁて、こんなんでええか?ええよな?よぉし!1杯やるかぁ!おう嬢ちゃん!快気祝いにジュースで乾杯や!」
ひとりで強引に了承を取ったように言い残しすと、ヒラヒラと後ろ手を振りながら部屋に入り藤乃を連れて奥に消える。
「……イメージ……」
春斗は獅郎の言葉を反芻するように呟きながらジッと掌を見つめていた。
「あらら行っちゃった……まぁとりあえずいいか。睦月ちゃん、悪いんだけど獅郎さんと藤乃ちゃん見てあげてくれる?」
「了解。悪ノリしたら即座に丸呑みにして止める」
「呑まないでいいからね!ね!……おーい睦月ちゃーん!」
何やら不穏な返答をした睦月に呼びかけは届かなかったようで、振り向くことなく部屋に戻って行った。
「大丈夫かなぁ……まぁとにかく!あと必要なのは“名前”だね」
「名前?」
春斗は無理やり話を戻した翔馬の顔を見て疑問符を飛ばす。
力の使い方に“名前”が必要というのはどうにも繋がってこなかった。
「超能力に名前をつけるんだ。そしてその名前と超能力を自分の中で結び付ける。具体的には、“名前を呼んだら超能力を発動”を繰り返していく。こればっかりは反復練習になるんだけど、名前を超能力発動のスイッチにするんだ。これが出来れば暴発は9割防げる」
いつの間にやら翔馬の後ろにいた京子は、春斗へ1冊の分厚いファイルを手渡し口を開く。
「それは“特別対応許可者一覧”。その中には登録された超能力者の情報が書かれている。名付けの参考にするといい」
「……ありがとうございます」
京子に礼を言いながらしげしげと渡されたファイルを見つめる。
青色がボケはじめたファイルには“社外秘”とラベルが貼られている。
「ちなみにそれは本来出回っていないものだ。誰かに見つかったり無くしたりするなよ?」
京子は軽い調子でそう言うが、言われた春斗は手の中のやや古ぼけたファイルの重さが増したのを感じた。
「アドバイスとしては、自分の能力に関連する単語を選ぶことかな。春斗君だったら雷や電気に関連する名前をつけるとイメージ化しやすいから、その辺りを意識してみて。とりあえず今日は超能力を自発的に発動できるように練習しようか」
「はい!お願いします!」
「じゃあさっき獅郎さんが言った様にイメージして。ただし、その電気のイメージはごく弱いものだというのも意識してね」
翔馬の言葉に春斗は頷き、大きく深呼吸。
両目を瞑り、全身へ流れる赤い電光をイメージする。
か細く、瞬きの間に流れる閃光。
神経を走り、指の先まで─
「痛ってッ!」
瞬間、全身に静電気が起こったような痛みで集中は途切れイメージは霧散する。
「初めてなのにいい感じだったよ。まだ身体が能力に合ってないからね。初めは部分的にイメージ化する方がいいのかもしれない」
「もう1回お願いします!」
そう言って今度は右の人差し指に集中。
流れをイメージ化し、少し力んで指先に意識を集める。
そして、指先に弱々しい赤い閃光が一瞬弾けた。
春斗は思わず翔馬を見ると、翔馬は少し驚いた様な表情を浮かべた後優しく笑う。
「いいね。その調子」
その言葉に全身が総毛立つのを感じる。
意識して初めて起こした閃光。
春斗は感じたことの無い高揚感を胸に再び練習を始めた。
******
───練習初日を終え、春斗が帰ってから1時間。
一緒に帰るとグズる藤乃をなだめすかして空いている部屋に寝かせた翔馬は、静まり返ったリビングの椅子に腰掛けていた。
カウンターキッチンの蛍光灯だけをつけて淹れたてのコーヒーの香りを楽しんだ後、1口。
小さく息を吐き、青いワイシャツのボタンをひとつ外す。
肩まで伸びた襟足もそのままに。
少し疲れた様子で、だが何処か楽しげな笑みを浮かべてカップの中の漆黒を見つめていた。
「いい香りだな」
不意に声をかけられて振り返れば、京子がドアを開けて腕を組み壁にもたれかかっていた。
眼鏡に上下赤のジャージ、腰まで伸びた茶髪を自由にしているその格好は、凛とした声音や立ち姿とはかなりギャップがあった。
「まだ起きてたんだ。京子さんも飲むかい?」
「いただこうか」
オンオフの激しい京子に特別リアクションはせず翔馬が声をかけると、柔らかい笑みを浮かべて答えながら京子は翔馬の座っていた席の向かいに座る。
二人の間に流れる深夜の静寂。
ふつふつと、お湯の沸ける音だけがくっきりと輪郭を帯びて聞こえてくる。
やがてカップに注がれる音とともに香ばしくも芳醇な香りが部屋を包んだ。
「……どうぞ」
「ありがとう」
京子は短く礼を言いながらコーヒーカップを受け取り、1度香りを含んでからカップに口をつける。
「……やはり君は喫茶店をやるべきだな」
「あはは。考えておくよ」
京子の賞賛に指先で頬を擦りながら、はにかむ様に笑う翔馬。
その返事を最後に部屋は再び夜のしじまに包まれる。
お互い無言でコーヒーを飲みながら、しかし心地よい沈黙が流れる。
「……で、どういうつもりなんだ?」
不意に沈黙を破った京子に翔馬は首を傾げる。
思い当たる節がないのか、はたまたあり過ぎてどれの事か分からないのか。
そんな翔馬の態度に京子は小さくため息をつく。
「とぼけるな、櫻井の事だ。彼の治療費を肩代わりした挙句、無償で超能力のレクチャーとは……何が目的なんだ?」
「やだな京子さん。目的も何も、必要だからやってるだけだよ」
「ではやはりあの少年は“オマケ”か。本命は春日井 藤乃、あの少女だな?」
煙に巻こうとする翔馬の逃げ道を塞ぐ様に京子がそう言うと、翔馬は瞼を閉じてコーヒーを啜る。
「……“やはり”という事は、調べ物はある程度終わったのかな?」
「質問に質問で返すなバカが……はぁ……まぁ一通りはな。櫻井 春斗に目を引くものは特段なかった」
面白くなさそうに答えて京子もコーヒーを1口、口に含んだ。
「……6歳で無能力障害と診断され、“主義者”だった父親は失踪。母親にとってはその男が全てだったんだろう。男がいなくなったあと息子へは一切の関心を向けなくなった。生きていく最低限の食事と住居の提供、義務化されている学校への資金援助。それらをただ事務的にこなしていただけだ。恨むなり憎むなりの感情すら、彼には向けなかったようだな」
「そうか。だから彼は……」
翔馬は春斗とマリの医院で話していた内容を思い出した。
連絡の必要がないとは、つまり自分が生きていようが死んでいようが母親にとっては変わりのないことだと。
「子供にとって親からなんの感情も向けられない、というのは明らかに虐待だ。だが、これは珍しい事じゃない。“超能力者至上主義”という新たな動機が追加され、その件数は日増しに増加している。彼の境遇には同情も憤りもあるが、悲しいかな、最早歩けば当たる小石程度の目新しさでしかないのさ」
そう言って言葉を切った京子の瞳には悲嘆にも諦観にも似た色が映った。
「彼に特筆すべき点があるとすれば、突然超能力が目覚めた事くらいだ。これに関しては今のところほぼ手掛かりがない」
「藤乃ちゃんについては何か?」
「結論から言えば“何も分からなかった”」
「京子さんが調べたのに、かい?」
瞳を鋭くする翔馬に京子は無言で頷く。
「有り得ないほど綺麗に痕跡が消されていた。記録上では彼女は最初からこの世に存在していない。住民票はおろか出生届けまで跡形もない」
京子は忌々しげに言いながら眉間を寄せると、苛立ちを流すようにコーヒーを流し込む。
その京子の報告に翔馬は顎に手を当てて虚空を見つめる。
─……公的機関の記録を消されている。しかも京子さんがサルベージ出来ないほど跡形もなく……その少女は“商品”と呼ばれて赤木に攫われた。赤木の依頼人は何処から彼女の情報を……
「それで話を戻すが、何が目的なんだ?」
「え?あぁ、さっきも言ったけど目的って程のものは……」
言いかけた言葉を遮ったのは京子の刺すような視線。
誤魔化しを嗅ぎ分け、嘘を見抜こうとする精察の瞳。
その瞳に射抜かれて、翔馬は諦めたようにため息を着くと肩をすくめる。
「……まぁ本当に、春斗くんに関しては8割嘘じゃない。残り2割は打算があったけど……」
「打算?」
「うん。藤乃ちゃんをここに留めておくための要石になって貰えたら助かるなってね」
「藤乃を留める?なんの為に?」
当然の京子の疑問に、翔馬は少しバツの悪そうな表情を浮かべて話し始めた。
「昨日の“レッド・クリムゾン”の捕縛依頼、誰からの物かは京子さんも知ってるでしょ?」
「ん?あぁ、和戸刑事だろ?……そういえばなんで今更チンピラ集団の取締りなんか……」
唐突に脈絡のない話に一瞬戸惑いながら思い返すようにそう呟く京子。
「それなんだけど……昨日の早朝に、赤木くんはあるトラックを襲って内容物を奪取したらしいんだ。和戸さんからの依頼は、その奪取された“なにか”の回収も含まれてたんだ」
「トラック襲撃?そんなニュース……」
「圧力をかけて揉み消したんだろうね。何せ“高松製薬”のトラックだ。公にできないものだったんだろう」
そう言って冷めかけたコーヒーを口にする翔馬に京子は怪訝な顔を浮かべる。
「高松製薬?ちょっと待て、お前まだ……」
「“レッド・クリムゾン”のアジトにそれらしい荷物はなかった。そして赤木くんは藤乃ちゃんの事を“商品”と呼んでいた。推測だけど“藤乃ちゃんが何らかの理由でトラックに乗っており、それを赤木くんが攫った”、と言うのが流れとしてしっくりくる」
「待てと言った。つまりお前と和戸刑事はまだ高松製薬を追っていて、藤乃が高松製薬の急所になり得ると?」
「それは分からない、あくまで可能性の話しさ。赤木が本当にただの人身売買目的で藤乃ちゃん攫った可能性も充分ある。ただ本当に高松製薬から藤乃ちゃんを攫ったんだとしたら、高松製薬からも、赤木くんに誘拐を依頼した人物からも狙われている事になる」
翔馬の答えに京子は眉をひそめ表情を険しくする。
「藤乃は“餌”というわけか」
「この推測があってたら警察よりここの方が安全と思っただけなんだけど……まぁそう言えなくもないのかな」
翔馬の返答に京子は面白くなさそうにため息を漏らす。
「……追ってることも否定しないんだな」
「それは……うん、いずれ知られることだからね」
「気に入らんな」
そう言ったのを最後に重い沈黙が流れる。
先程と違いなんとも居心地の悪い静寂。
カウンターキッチンの明かりに薄く照らされた天井を見上げて、翔馬は口を開く。
「……言い訳に聞こえるかもしれないけど、藤乃ちゃんが高松製薬と関係してるかはそれ程重要じゃないんだ。彼女の身柄が安全になったら然るべき機関に委ねようと思ってたんだよ。でも記録が一切ないとなるとそれも難しそうだね」
京子は不満気な表情のまま、コーヒーカップを傾けるだけ。
翔馬が襟足の黒髪を撫でながら困った様に言葉を探していると、京子はコーヒーカップをテーブルに置いて立ち上がる。
「……分かった、高松製薬は少し探ってみる。藤乃の件も含めてな」
「ありがとう、助かるよ」
「ボーナスははずめよ?それから……」
「ん?」
「在り来りな助言だが、あまり過去に縛られるな。お前はもう警官じゃないし、奥さんだって……」
「分かってるさ。でもこの件は僕の私情だけじゃない」
そう答えた翔馬の顔は鋭く、酷く冷たい瞳でカップの深淵を覗いていた。
「はぁ……まぁとにかく、獅郎と睦月にもちゃんと伝えるんだぞ?」
「ああ、必要な時にね」
「まったく……じゃあおやすみ。コーヒー、ご馳走様」
呆れたように言いながら京子は扉を出る。
翔馬は薄暗い部屋の静寂の中で、しばらくカップを見つめると冷めきった漆黒を呷る様に飲み干した。
*****
─── 墨汁で満たしたように真っ黒な波が波止場当たり轟音を立てる。
港の朽ちた廃倉庫の2階で、男はパソコンを眺めていた。
モニターの明かりだけが照らし出す男の姿は、白いパーカーのフードを目深に被り口元だけが覗いている。
と、不意にマウスを動かす手が止まり、歯をむき出して口元を卑しく吊り上げる。
「おーい、タっくんタっくん!ちょっと来て」
体を仰け反らせて声を張り上げると、金属の階段を上がってくる音が聞こえ始め、金髪の男が上がってくる。
「どうしたんスか、白山さん?」
「新しい依頼。これ見て」
そこにはやや荒いが倒れた人物に縋り付く少女の写真が添付され、件名には金額のみが記されていた。
その額、500万。
「500万!このガキ連れてくるだけでッスか!」
興奮気味に金髪の男が言うと、フードの男-白山は口元に笑みを浮かべる。
「そ!ただこの子、今どこにいると思う?」
「え!場所まで分かってんスか!」
「そうなのよ、なんと!あの宮代相談事務所です!はい拍手〜!」
おどける様に拍手しながらそう言う白山。
かたや金髪の男は一気に血の気が引いている。
「宮代相談事務所って、ここいらじゃ一二を争うやり手の処理屋じゃないっすか……無理ッスよんなの……」
「ん?なに?なんて?」
「いやだから……」
白山は座っていた椅子をくるり回し、言いかけた金髪の男の股間を蹴り上げる。
下から脳天を突くような衝撃と形容出来ない激痛が全身へ駆け巡り、脂汗を顔いっぱいに浮かべて男は内股になって股を押さえたまま蹲る。
「俺が!言ったら!返事は!“YES”だろが!」
言葉に合わせるように蹲る男を蹴り続け、ふぅ、と息を吐いてその足を下ろした頃には金髪の男はその場で蹲ったまま動かなくなっていた。
「ッ……おーい、ヨシくーん」
横たわる金髪の男を見下ろして舌打ちしたあと、白山は先程の調子に戻りまた誰かを呼びつける。
「ウッス」
上がってきたのは色黒の筋骨隆々の男。
アニマル柄のタンクトップをピチピチにして今にもはち切れんばかりだ。
「このゴミ片しといて。あとさ、“おつかい”行ってきてよ」
「ウッス」
そう返事をしながらアニマル柄の男は金髪の男を軽々肩に担ぐ。
白山は椅子を戻してモニターに向き直ると、その口元には三日月が浮かんだ。
「よぅし……まずは“アキレス腱”を探そうか」