1-1.宮代相談事務所
─放課後。
部活のヘルプを断った事で大袈裟に騒ぎ、終いには春斗に縋り付いてきた勝輝を一蹴し、春斗は昨日翔馬に貰った名刺に書かれた住所に赴いた。
バスに揺られること30分。そこから更に10分ほど坂道を登った先にそれはあった。
手入れの行き届いた庭とレンガ調の外壁が高級感を漂わせる、二階建ての家屋。
門の横には“宮代相談事務所”と木製の看板が掲げられている。
春斗はやや強ばった表情で呼び鈴を押す。
暫くすると門を隔てた数歩向こうから何やら騒がしい音が聞こえて、扉が開く。
「……っとに喧しいわ……はい?どちらさん?」
現れたのは翔馬ではなかった。
ボサボサの黒髪に黒のTシャツ。ダメージ加工なのかボロボロなのか判別のつかないジーンズと清潔感の欠けらも無い男が愛想なく出迎える。
「昨日宮代さんにお世話になりました、櫻井 春斗です。宮代さんは……」
「ああ、お前が……話は聞いとる、まぁ入りや」
男はぶっきらぼうに言いながら門の鍵を開けて春斗を招き入れる。
「お邪魔しま……」
春斗は言いかけ、“何か”を感じて後ろに跳び退く。
そのすぐ後を、煌めく一閃が上から下へと空をなぞった。
躱しきれなかった春斗の癖の強い赤毛の毛先がハラリッと落ちる。
男の手には夕陽を鋭く反射する刀がひと振り。
「ほぉん、やるやんけ」
いつ抜いたのか、そもそも何処に隠していたのか分からないが今や抜き放たれた刀を右手に握り、その峰で肩を叩きながら男は楽しげな笑みを浮かべる。
「テメェ……なんのつもりだ」
「お前、赤木をノしたんやってなぁ。ありゃ俺がやる予定やったんに、人の楽しみ掠め取りよって……代わりにちぃと遊べや」
言うや否や男は飛び出し春斗を間合いに納め、左から右へ刃を走らせる。
春斗が再び跳び退けば、すぐ後ろには民家の塀。
逃げ場を失った春斗に男が素早く刃を翻し、袈裟斬り。
春斗は刃が振り切られる前に男の右手首を左手で掴み、そのまま男の顔面目掛けて右足を振り上げる。
男もその蹴りを左手で防ぐと、右足で春斗の腹を蹴りつけた。
「ぐっ」
強い衝撃を受け左手を離し後ろの塀に背中をつける。
痛みに思わず瞑った瞳を開くと、眼前には刀を振りかぶった男の姿。
春斗は壁を転がるように右へと逃げる。
が、躱しきれず肩にかけた鞄のベルトが切られ途中で落下したが、気にする余裕もなく距離をとる。
「チョロチョロチョロチョロ、忙しないやっちゃなぁ。そないに離れてどないすんねん?」
つまらなさそうに言いながら男は刀を肩に乗せる。
「アンタなんなんだよ!翔馬さんの仲間じゃないのか!?」
「はぁ?仲間だったらなんやねん。それで俺がお前を切らん理由になるんか?」
混乱と苛立ちの表情の春斗に男は落胆したように答える。
男は小さく息を吐くと、
「……さっき言うたやろ、お前は俺の楽しみを邪魔した。理由はそんだけ。翔馬がどうのは全く関係ないねん。分かったか?分かったら早よぉ超能力使えや、使わんと……」
1度言葉を切り、刀を鞘に収めると腰を低くして柄と鞘を握る男。
そして、不敵な笑みをうかべる。
「……細切れになるで?……出力:増強」
言葉と同時に男の左右の頬に1本ずつ赤い帯のような模様が伸びる。
それは全身に浮かんでいるようで、両腕には2本の帯が交差するように手の甲まで伸びていた。
先程とは明らかに違う男の雰囲気に春斗は警戒する。
───が、男は視界から消えた。
瞬きすらしていない本当の一瞬で、男は消えた。
次に男を見たの時には、もう男の間合いの中。
鯉口を切り、半身ほど抜かれた刃が夕陽に鈍く光る。
─……避け……
春斗が考えるより早く体が動いた。
アスファルトを蹴り、後ろに跳ぶ。
そして気付けば男とかなり距離を空けていた。
踏み切った右脚にやんわり痺れるような感覚が残る。
空を切った刀を振り抜いたまま男は笑みを浮かべている。
「え?」
「なんや、やっぱ使えるやんけ」
自分でも信じられない程の距離を一足飛びに移動した春斗に男は楽しげに笑を零す。
─……使える?何を?超能力を?誰が?なんで?どうやった?
事態についていけず頭の中が大混乱を起こしている春斗を他所に、男はその場で軽く跳躍する。
「そら、次行くで」
獅郎が構えるのを見て春斗は一瞬表情を固め、両頬を叩いて頭を切り替える。
なぜ使えたか分からない以上もう一度同じ事をして避けるのは無理だ。
男にまぐれだ、と言ったところで信用もしないだろう。
ならばどうするか。
春斗が選んだのは、前進。
いまだ痺れの残る右足を前に出すと、男は嬉しそうに口角を上げる。
と、その時だ。
「ぐぇっ!」
首元に真っ白な大蛇の“尾”が巻き付き、カエルの潰れたような声を上げて男が倒れる。
もがく男をズルズルと引きづり、たどり着いたのはひとりの少女の元だった。
十代後半程に見える三白眼の少女。
黒い髪を腰まで伸ばしツーサイドアップに纏め毛先をピンクに染めている。
前開きの黒いパーカーからは指先しか見えず、ホットパンツに黒のニーハイソックス、蛍光色のスニーカー。
一見華奢な少女の右手が大蛇の尾となり男を捕らえていた。
ズリズリと引き上げられ“尾”が“手”に変わると、男の襟首を掴み猫でも掴みあげているかのような状態になる。
「ゲホッゲホッ!何すんねん蛇娘!死ぬかと思うたわ!」
「何やってるはこっちのセリフ。だから獅郎じゃダメって言ったのに」
猛抗議する男-獅郎に少女は三白眼を薄く細めてジトッと睨み溜息。
「いやぁ、ごめんごめん!春斗くん、怪我はない?」
声と共に駆け出してきたのは青いワイシャツに白いスラックスを履いた翔馬だった。
襟足の伸びた髪は纏めておらず、青いワイシャツのボタンも上2つを開けてゆったりと着ている。
翔馬は少し焦った様困った様な複雑な表情で頭の後ろに手を回しながら小走りで玄関から出てきた。
春斗はと言えば、出鼻をくじかれ踏み込んだ足を戻せないまま呆気にとられて固まっている。
「突然ごめんね、獅郎さん昨日から機嫌悪くて。大丈夫?」
「あ、あぁ。怪我はない、です……鞄のベルトが切れたぐらいで」
「鞄は弁償するね……獅郎さんが。とりあえず怪我がなくてよかった」
我を取り戻し返事をした春斗を見て翔馬はホッと胸を撫で下ろす。
後ろでは少女に襟首を掴まれたまま引きづられて玄関に戻される獅郎が、弁償なんかせぇへんからなぁ……!!、と遠くで叫んでいたが春斗と翔馬に届いたかは定かではない。
「ま、立ち話もなんだし入ってよ」
鞄を拾い翔馬に促されるまま玄関の前に立つ春斗。
翔馬は屈託ない笑顔を向け、玄関を大きく開けた。
「ようこそ、宮代相談事務所へ」
******
───ようやく玄関を通り抜けることのできた春斗は翔馬の案内で奥の部屋へと通される。
そこはキッチンとリビングが一緒になった造りになっており、入ってすぐ左側に手入れの行き届いたカウンターキッチン、そのすぐ横に4人がけのテーブル。
右側にはソファが向かい合って置かれ、ソファに挟まれるように背の低いテーブルが配置されている。
奥には大きな窓ガラスがあり、その向こうには中庭が見える。
オマケにソファの裏には壁掛けタイプの大きなテレビ。
他人の家と言うのも相まって今更ながらに表情を固くする春斗。
「まぁ座って春斗くん……みんなも自己紹介してね」
翔馬の号令で獅郎は面倒くさそうにボサボサの黒髪を掻きながらソファにふんぞり返り、獅郎を引きづった少女は無表情のまま静かにその横に座る。
翔馬に促され獅郎の向かい側に春斗が座り、その横に翔馬が座った。
「じゃあ改めてになるけど僕から。僕は宮代 翔馬、宮代相談事務所の代表をやってます。超能力は強化。簡単に言えば身体強化だね」
異様に姿勢よく座る春斗に笑いかける翔馬。
何故だか胡散臭さの拭えない笑みに春斗は軽く頭を下げた。
次いで三白眼の少女が毛先をピンクに染めたツーサイドアップを揺らして、コホン、と小さく咳払いして口を開く。
「姫宮 睦月。17歳。超能力は変転、体を蛇にできる。よろしく……それで隣のボサボサが……」
「誰がボサボサや!つかなんでお前が紹介すんねん!」
「なんだ、自己紹介する気あったんだ」
肩をすくめる少女-睦月に獅郎はひと吠えしたあと、ふん、と鼻を鳴らして腕を組むと、
「壱野 獅郎や。超能力は言わんで」
と言ったきり口を噤んだ。
しかし、
「獅郎さんの超能力は複写だよ。人の能力をコピーできるんだ」
「翔馬ぁ!!」
変わらぬ笑顔でそう言う翔馬に身を乗り出して吠えた獅郎。
「櫻井 春斗です。えっと、超能力は……」
「ハルト!」
不意に名前を呼ぼれて振り向くと、藤乃が弾けんばかりの笑顔で駆け出していた。
サラサラになった薄紫色の長髪を揺らして駆け寄ると座っている春斗へ飛び付いた。
「藤乃!良かった、起きたんだな」
「今朝起きたばかりだ。あまり無理するんじゃないぞ?」
続けて聞こえてきたのは知らない女の声だった。
安堵の表情で藤野に落としていた視線をあげると、茶髪の長い髪をヘアゴムで団子に纏めた眼鏡をかけた女が立っていた。
シワひとつないレディーススーツを身に纏い眼鏡の弦を押し上げるその姿は、何処かラフなこの空間には少し違和感のある風体だ。
「あの……」
「私は七里 京子。ここの事務関係などは全て私がやっている」
自己紹介しながら女-京子はテーブル席に座る。
と、翔馬がパンッと手を鳴らす。
「さて、じゃあ簡単に挨拶も済んだところで、春斗くん。これからの擦り合わせをしようか」
朗らかな笑顔の隙間に見える緊張感。
春斗は神妙な面持ちで頷く。
「じゃあまずゴールを決めよう。君はどこまで超能力を使えるようになりたい?暴発を防ぐだけならそんなに時間はかからないだろう。だけどもし“使いこなす”までなら……」
「俺は“超能力を使いこなしたい”」
「……理由を聞いても?」
翔馬の表情は笑顔のまま、視線だけが冷たく食い気味に答えた春斗を射抜く。
その問いに春斗は少し腕を組んで悩む。
藤乃が不思議そうに見上げていると、やがて絞り出すように話す。
「俺はなんていうか……自分が“気持ち悪くない”様に生きたい。ヒーローになりたい訳じゃないけど、見過ごしたり見ないフリをしないで生きられるなら、超能力の使い方は知っておきたい……じゃ、ダメっスか?」
何とかそう答えて一同を見回す。
睦月は肩を竦めやれやれ、と首振り、獅郎は面白くなさそうに顔をしかめたままそっぽを向き、京子は顔を逸らして耐える様に肩を揺らしていた。
そして翔馬は一瞬面食らったようだったが、
「いや、いいと思うよ」
と、柔らかな笑顔を浮かべる。
「……まぁ“無能力障害”の状態で超能力者に挑む辺り、どの道覚えなければ長生きはできないだろうな」
何故か涙目になった目元を拭いながらそう言う京子。
「いや、あれは一応俺なりに勝算が……」
「アホ、自分と相手の力量差を見誤ってる時点でお前の負けや。なんの奇跡か知らんが、いきなり能力使えるようになったから助かっただけやんけ。運が良かっただけや」
取り繕うように言い訳をしようとした春斗をバッサリと酷評をつけた獅郎。
春斗は横槍を入れた獅郎を睨み指をさす。
「宮代さん、俺アイツ嫌いです」
「さいですかぁ!お前みたいなガキこっちから願い下げじゃボケ!悔しかったら俺に1発でも当ててみぃションベンタレが!」
子供の様に煽り散らかす獅郎。
春斗は青筋を浮かべながらも深呼吸をして、隣に座った藤乃を見ながら自分を落ち着ける。
が、どこかで読んだ気がするアンガーマネジメントは気休めにすらならなかった。
「……毛先とベルト切ったくらいで随分とご満悦だな。もしかして髪の毛の切り方でも教えてくれんのか?それともゴミの分別の仕方かな?ゴミと言えばその“ナマクラ”は危険物の日に出した方がいいと思うぜ?」
「ンやとこんクソガキゃ!上等や、今度こそ鯰切りにしたるわ!」
声を粗げながら額を擦り合わせて罵り会う春斗と獅郎。
そんな2人を睦月は肩を竦め、やれやれ、と首を振り、京子は頭を抑えて溜息をつき、藤乃は何やら険悪な雰囲気を感じ取り不安げな表情で翔馬のズボンを少し握る。
そんな藤乃を見て翔馬は小さく息を吐くと、
「こらこら二人とも、藤乃ちゃんが怖がってるでしょ」
「知るか!喧嘩売ったんはそっちの坊主が先……もがご……」
「ボサボサうるさい」
睦月が右手を白い大蛇の“頭”に変え、獅郎を頭から丸呑みにして言葉を遮る。
「獅郎さんにはこれから春斗君のトレーニングを手伝ってもらうんだから。2人とも仲良くね」
「「えっ!!なんでコイツと!!」」
大蛇の頭を退けながら顔を覗かせた獅郎と、テーブルに手をついて身を乗り出していた春斗は声は綺麗に重なっていた。
******
───「では早速始めよう!」
そう言った翔馬は意気揚々と窓を開けて裏庭に出ていた。
それなりに広さのある裏庭は手入れの行き届いた芝生が生い茂っている。
「流れを説明するね。まず獅郎さんが春斗君の超能力をコピー。あらゆる超能力をコピーしてきた獅郎さんならすぐにどんな能力か分かるだろ?で、それを春斗君に伝える。簡単だろ?」
「嫌や!なんで俺がこないな生意気クソ坊主の手伝いせなあかんねん!」
翔馬の説明に睦月の左手から伸びる大蛇の“尾”で引きずられながら猛抗議している。
「俺は宮代さんが教えてくれるもんだと思ってました」
春斗も不満気にそう漏らしながら外に出てきた。
翔馬は困った様に頭の後ろを掻きながら笑いかける。
「いやぁ出来ればそうしたいんだけど。そもそも超能力の使い方を教えるのって結構難しくて。例えるなら……そうだな、“今貴方はどうやって歩いていますか?”と質問されて明確に手順を説明できるかい?」
「どうって、足を交互に使って……」
「じゃあ“君はその足を意識して使っている”?」
「……」
そう言われて春斗は言葉につまる。
“歩く”とは、人間が子供から成長するにつれ獲得していく能力だ。
子供の頃、“立ち上がる”“歩く”など、出来るようになったことを連続する毎日の中で行い、無意識下で行えるようになったものだ。
つまり、子供の頃から超能力者として育った彼等にとって“能力を使う”とは“歩く”と等しく自然と行えるものなのだ。
「僕達超能力者にとって超能力は当たり前にあり過ぎてその使い方を1から10まで言葉で教えるのは難しい。基本その力の流れをイメージするんだけど、能力の種類によっても様々だからね」
それを聞いて春斗は少し表情を曇らせる。
一朝一夕で出来るとは思っていなかったが、どうにも幸先は良くないように思えた。
「そんなわけで、コピー能力のある獅郎さんの助けがいるんだ。幸い君の能力は君の体に作用するもののようだから、獅郎さんならすぐ使い方は分かるよ。ね?獅郎さん」
不安げな表情の春斗の肩に手を添えて獅郎に向き直る翔馬。
その獅郎と言えば、いつの間にやら自由になっていた両手を頭の後ろに回して、すっかり暗くなった空を見上げていた。
「えー、でもなぁ。そいつ俺じゃ不満なんやろ?嫌な相手に教わっても身にならんてぇ」
そう言いながらチラチラと春斗に視線を送る。
春斗にも言わんとしている事は伝わったが、その出会いからここまでの関係が最悪過ぎて別の言葉が出そうだった。
ただただ眉間に谷を築いて飛び出そうな罵詈雑言を必死に噛み殺していると、不意に部屋の中から裏庭を覗く藤乃が見えた。
そして思い出す。
赤木に完膚無きまでに叩きのめされたこと。
先程の獅郎の指摘通り、運が良かっただけ。
─……それじゃダメだ……
春斗は深呼吸した後奥歯を噛み締め獅郎を見据える。
「……超能力の使い方……教えてください……」
「あ?」
「超能力の使い方を教えてください」
声を張って頭を下げる春斗 。
それを見て獅郎は深い溜め息を吐いた後、面倒くさそうに頭を掻いて半目を開けながら、
「……しゃあないのぉ……じゃあこれから俺の事は“アニキ”と呼べ」
「なんでだよ!イヤだよ!」
「ンでやねん!ええやんけ教えたんねんから!なら“師匠”って呼ばすぞ!」
「もっと嫌だわ!」
今にもお互い飛び掛りそうな2人。
その間にため息混じりで割って入った翔馬。
「はいはい落ち着いて。とにかく獅郎さんがそう言ってくれてよかったよ。じゃあ早速始めよう」
半ば強引に話を戻して獅郎に催促する。
獅郎は面白くなさそうに舌打ちした後、春斗をジッと見つめる。
「わぁたわぁた、ったく……はぁ……複写」
気だるげな言葉と共に獅郎は両目を見開く。
そして、
「……出力」
言葉と共に獅郎の全身を赤雷が駆け巡った。