2-14.拘泥の果て
────時間は少し遡る。
陽の落ち込む街の中、春斗と別れた藤乃と椿はビルの密集した路地裏へ退避していた。
「ハァ、ハァ、ハァ…………とりあえず平気、ですかね」
言いながら超能力を1度解除してビルの壁を背にズルズルとへたり込む。
呼吸を整えながら狭く切り取られた夕焼け空を見上げ、視線を隣にいる藤乃へ移すと、その顔色は真っ青に血の気が引いていた。
「ふ、藤乃ちゃんッ!! 大丈夫ですかッ?!どこか痛いところでも…………」
「わた、わたしが…………なんで…………」
椿の言葉など届いていないように、藤乃は青い顔のままその場に蹲る。
「藤乃ちゃんっ?! 」
慌てて立ち上がり藤乃の傍に寄るが、藤乃は何かをうわ言のように呟いていた。
それは椿の耳には聞き取れず、恐らく聞き取れても理解はできないだろう。
「…………私は……私が…………お父さん…………お母さん…………」
それは、自ら蓋をしていた記憶の奔流。
春斗と出会う以前の、幼過ぎる心ではおよそ受け止められない経験。
封じた4年間の、|人として扱われなかった記憶。
超能力の名を紡いだ時から徐々に溢れ出し、今や決壊したダムのように容赦なく溢れ返る記憶は、やがて目眩や吐き気という形を取り、呼吸すらも抑制していく。
「藤乃ちゃん! 藤乃ちゃんっ!! 」
薄れゆく意識で映った椿の不安げな表情。
────その瞳の奥の奥に揺らぐ暗い光は、現か幻か。
******
────「やぁ春斗君、お疲れ様。無事でなによりだよ」
夕陽も沈みかけ薄暗くなった街の大通りで、翔馬は紅く薄明るい光を全身に纏う春斗へ声をかけた。
「翔馬さん、遅くなりました」
「いやいや、さっき来たところさ。それにしても春斗君、随分元気そうだね? 」
翔馬は顎に手を当てて、不思議そうに春斗の姿を見つめる。
着ている服は破け、引き裂かれ、煤けていた。
しかし当の本人はピンピンしており、見える箇所に傷は見られない。
翔馬の疑問に、春斗はバツが悪そうに苦笑すして口を開いた。
「いや実は────ッ!!」
春斗の言葉を遮るように崩れた外壁の山が弾け飛び、噴煙の中から怪物が不揃いな翼で悠然と飛翔する。
春斗と翔馬は揃って目を細め、夕闇の中に浮かぶ漆黒の異形を見上げた。
「やっぱ一撃じゃダメか。光の粉みたいなのも出てなかったし」
「多分それは出ないよ。あれは青山さんだ」
「…………過剰発現ッスか」
苦虫を噛み潰したように表情を歪めた春斗だが、翔馬は首を横に振る。
「いや。割愛するけど、あれは恐らく過剰発現じゃない。暴走状態に違いはないけど、自壊は期待できない」
「なら……」
「そうだね……」
春斗は上空を見つめたまま、翔馬の言葉の続きを汲んだ。
それはつまり、“殺す以外はない”ということ。
特許証の取得以来、それなりに戦闘になるケースもあった。
しかしその中で過剰発現での自壊はあっても、自ら進んで命をつんだことは無い春斗は、表情をさらに歪めた。
「大丈夫、最後は僕がやるよ。合わせるから好きに動いて」
春斗の表情から察した翔馬が、言いながら朗らかな表情を浮かべる。
およそこれから人を殺す人物の表情ではない。
もちろん春斗を慮っての事ではあったが、その気遣いに安堵している自分に気づき、春斗は言葉を返すことも出来なかった。
「さっき吠えた時に人の口内のようなものが見えた。多分有効打になるのは頭部、次点で胴体だと思う。それを意識していこう」
「…………はい」
翔馬の言葉に小さく息をついて返事を返すと、気持ちを切り替えて構えた。
「いくよ」
翔馬のそれを合図に、薄暗がりを背負う怪物へ、紅と緑の軌跡は伸び上がる。
******
────春斗達が戦闘を続ける街より離れた森の奥。
自然を切り分け建てられた無機質なビルの一室で、スポーツ観戦でもするように春斗達の様子を眺める男──灰原は、片肘を机について怪物と化した青山とその眷属達の様子を興味深げに観察していた。
「やはり意識の混濁はネックですね。超能力の安定的な発動に必須の創造力が不安定になってしまう。それに──」
灰原が誰にともなくブツブツと1人呟いていると、白衣のポケットが不意に振動する。
画面に注視しながらポケットからスマートフォンを取り出すと、画面に映る表示を見て僅かに口元を歪めた。
黄緑色の髪を耳にかけ、スマートフォンを耳にかざす。
「もしもし? 」
『経過はいかがでしょう? 』
電話の向こうで聞こえてきたのは、加工された機械音声。
男女の区別すら困難な薄気味の悪い声に対し、灰原は満足気に頷いて答えた。
「えぇ、良好ですよ。正直最初はどうかと思いましたが、これは私の予想を超えました」
『それは重畳。拡張脳の予測を超える事態にまで育ってくれるとは』
「私も未来予知ができる訳じゃないですからね。不確定要素はどうしても読み切れませんよ。それに、“彼女”も目が覚めたようですし……」
『おぉ……!おおぉ……ッ!!』
冷笑を浮かべてそう言う灰原の言葉に、電話越しの、それも機械で加工された音声でも分かるような歓喜に打ち震える声音が耳朶を震わせた。
『それは、誠に喜ばしいことです……! 』
「えぇ、本当に。では、“あの方”にもよろしくお伝え下さい」
『はい、確かに。これはまさに天啓です。我らの悲願が運命に認められている証です……!』
「そうですね。では、また」
そう言って電話を切る灰原。
その口元には、先程とはまた別の嘲笑うような笑みが浮かぶ。
「天啓……天啓ねぇ……天に神が御座すならば、正しく天啓でしょうがね────」
灰原は呟きながらクルクルと黄緑色の前髪を弄り、嘲笑を浮かべたまま再びモニターの動向に意識を向けた。
「────残念ながら、天の座に神はおらず。全ては我が盤上の上、というやつです」
******
────「────ッ!!!」
耳をつんざくような甲高い咆哮を上げて2人を迎え撃つ怪物は、猛禽類の様に獰猛な鉤爪の生える左腕を引き絞る。
そして紅と黄緑の軌跡を描きながら迫る2人が接触する前に先制して左腕を放つと、伸ばされた腕の鉤爪は黒い汚泥の塊へと変わる。
次の瞬間には弾け、その一つ一つが無数の武器となって2人へ降り注いだ。
或いは剣、或いは槍、或いは戦鎚。
数えるのも馬鹿馬鹿しい程圧倒的な、夥しい数の殺意の群れ。
だが、降り注ぐその殺意の雨は、2人を止めるに能わず。
仄明るく紅い光を纏う春斗は、僅かに突出した槍の穂先に爪先をかけ、斜め上に跳躍。
両頬の下に帯状の黄緑色のラインを浮かべた翔馬は、真正面から迫る凶器を見据え、武器を見ながら掻い潜る。
自身の正面と、自身より更に上に別れた2人に、怪物の残った欠片のような思考が一瞬鈍る。
が、本能的に直線で迫る翔馬をより脅威であると感じたのか、踏み台にされる武器の群れを汚泥に戻し、そのまま鳥籠のように翔馬を囲んだ。
翔馬を包んだ汚泥は瞬く間に硬質化し、黒々とした巨大な胡桃のように変化する。
翔馬を押さえ込んだと確信し、漆黒の鱗で塗られた顔を上げ、蝙蝠と鴉の翼の間が盛り上がり、春斗を迎撃するため新たに生成を始める。
しかし──それは早計だった。
左腕の先に垂れ下がる黒い胡桃のような檻は、すぐさま異音を発してひび割れる。
捻り上がった2本の角は果たしてなくした瞳の代わりをするかは不明だが、音に気を取られ顔を向けた。
と、同時に翔馬が殻を突き破り、飛び上がりざまにその顎に拳を叩き込む。
下から突き上げられた怪物は空中で大きく仰け反る。
そして強制的に見挙げさせられた夜天の中に煌めくのは、紅い軌跡。
「ッらぁああッ!! 」
無防備に上体を晒したその強靭な胸部に、紅い落雷が飛来する。
引力に導かれ自由落下しながら、前転して回転の威力を加え、薄紅く灯る踵を叩き付けた。
落下の勢い、回転による遠心力、踵に灯る赤雷。
無防備のまま叩き付けられた衝撃に、為す術もなく墜落する。
落ちた衝撃はアスファルトを砕き、煙塵を巻き上げた。
上空から自由落下する翔馬が下に視線を送ると、怪物と共に降りた春斗が煙を突破って飛び出してくる。
そして、入れ替わりに起こった颶風に煙は掻き消され、歪な翼を振るう怪物の姿が現れる。
その胸部に僅かな焦げ跡は見られるが、明確にダメージが入った様子は無い。
「思ったより硬いね」
春斗の横に帽子を押さえて降り立ちながら翔馬が言うと、春斗は渋い表情で頷く。
自分の攻撃もそうだが、翔馬の拳が捉えた顎にも異常は見られていない。
防御力で言えば先の“白き王”に勝るとも劣らない。
「春斗君、まだいけるよね? 」
「大丈夫ッス。次は砕きます」
春斗の答えに小さく頷き、翔馬は小さく息をつく。
「じゃあ行こうか──纏繞強化:時限設定」
瞬間、黄緑色に光る帯が翔馬の全身に蔓のように伸びていく。
「翔馬さん、それ……」
「今日はもう1回使っちゃってるんだ。多分反動で来週の依頼は僕は行けないだろうから、悪いけどよろしくね」
春斗の言葉に翔馬は苦笑しながら答えた。
翔馬の超能力、“増強”は皮膚・筋肉・臓器・骨・神経・血管を強化するもの。
普段使用する際のその出力は、最大強化を10割とするなら8割り程度。
状況によって全身に施すこともあるが、基本的に翔馬は部分的な強化を瞬時に切り替えて使用している。
しかし、“纏繞強化”は自身の限界以上の強化を施して身体強化を行う、言わば奥の手。
故に時間制限を付け、使用後は使用時間の1秒に対し1時間のクールタイムを要する。
そしてそれを無視して連続使用した場合、その揺り戻しがどの程度になるかは、身体の損傷状態によって異なる為想定できない。
しかし過去の経験上1週間で全快は難しいだろう、というのが翔馬の目算だった。
過去に翔馬と仕事をした際に1度だけ見た事があった春斗は、その後の翔馬の状態も知っていた。
その時は連続使用することはなかったが、完全に復帰するのに約3日程かかっていた。
恐らく翔馬の目算は正しいだろうと理解して、無理をさせている不甲斐なさに苦々しい表情を浮かべつつ小さく頷く。
「よし。じゃあ先行するね」
春斗の頷きを柔和な笑みで受け、怪物へ向き直った翔馬は別人のように表情が鋭くなる。
刹那、春斗の眼にすら“消えるように見える”の速度で翔馬は駆けた。
怪物もまた、その様相を変えた。
背部の歪な翼を汚泥に戻し、次に生まれるのは無数の腕。
ヘドロがそのまま形を成したような見た目の腕が、放射状に飛び出す。
さらに、唯一人の名残が見える右手をかざし、無数に生まれる黒い円。
そこから歪な怪物が這い出し、2人の行く手を阻まんと立ち塞がる。
しかし、それら全ては時間稼ぎにもならなかった。
黄緑色の軌跡が屈折するように駆け抜ける。
通った後には、生まれた怪物も、汚泥の触腕も等しく弾けて形を無くして霧散する。
薄闇の中に伸びる黄緑色の閃光は、瞬く間に怪物の目の前に迫り、止まる。
怪物が翔馬を認識した時には、翔馬は既に懐に潜っていた。
「────ッ!!!! 」
耳がちぎれるような甲高い咆哮を上げ、左腕を棘の生えた巨大な球体に変えて翔馬へ振り下ろす。
迫る黒球を、後方宙返りで躱す翔馬。
宙返りの勢いで黒球を蹴り上げれば、まるで水風船のように破裂する。
薄闇を切り裂くように半月状に舞い上がる、黄緑色の軌跡。
そして、翔馬が宙返りで舞い上がり、開けた視界の向こうから迫るのは、“紅い閃光”。
「──雷電:崩雷」
翔馬と入れ替わる様に怪物の元へ飛び込んだ春斗は、全身に巡る赤雷を右拳へ集約。
引き絞られた右腕を、容赦なく漆黒の腹部へと叩きつけた。
刹那、瞳を焼くような鮮烈な閃光と、鼓膜を破るような雷鳴が鳴り響く。
腹部に受けた衝撃は怪物を護る鎧の様な黒い甲殻を粉砕し、その巨体を後方へ吹き飛ばした。
そのまま背後のビルの外壁に突っ込み、濛々と煙塵が舞い上がる。
その視界を覆うほどに立ち昇る煙塵を、間髪入れず黄緑の閃光が突き破る。
────次の瞬間、翔馬の右腕が、顕になった青山の腹部を穿った。
一拍の間を置いて、青山を覆っていた黒い外殻は破裂するように飛び散り、光の粒子となって霧散する。
残ったのは左手を無くし、両足の潰れた一人の人間。
その目は光を宿さず、虚ろのまま。
口元からは大量の血液がとめどなく滴り落ちる。
翔馬が腕を引き抜けば支えを失い、翔馬に寄りかかりながら、ズルズルと膝から崩れ落ちて翔馬の衣服を赤黒く汚す。
「────残念です、青山さん」
膝をつき仰向けに青山を寝かせると、苦々しい表情で翔馬は小さく呟く。
少し離れた所で片膝を付き呼吸を整えている春斗もまた、奥歯をかみ締めて険しい表情を浮かべていた。
「──祐希ッ!! 」
声の方に視線を向けた翔馬は、ゆっくりと立ち上がる。
視線の先には、傷だらけの京子が息を切らせて走っている姿が見えた。
翔馬は駆け寄ってきた京子へ帽子を外して胸元に当てると、小さく頷いてその場を離れる。
横たわった無惨な姿の青山の横で両膝をつき、京子は堪えるように顔を歪めた。
「お前は……本当に……」
手が血液で汚れるのも厭わず、京子が穴の開いた腹部に触れながら呟くと、幻聴かと思うほどにか細い声が青山から漏れた。
「──きょ、こ、ちゃん……僕、どう……すれば………………」
それっきり、彼が言葉を発することはなかった。
一瞬目を見張った京子だったが、またすぐに表情は歪み、両頬に生温い雫が伝う。
「────私は、ただ、私なんか忘れて、普通に生きて欲しかったんだよ……」
傷跡だけが残る街に、夜の帳が降りる。
数秒前までの争乱が嘘のような静けさの中、ただ慟哭だけが響いていた。




