1-14.そして、一歩
───「やっぱ使いおったか。もうちょい粘れるかと思うとったんやけどな」
駆け上る赤雷と響き渡った雷鳴に会場がどよめく中、観覧席で春斗と夏燐の戦いを見ていた獅郎は呟くと腕を組んで椅子に深く座り直す。
「初めて見たが、凄まじいな。あれは平気なのか?」
「……まぁ春斗君の切り札ではあるかな」
興味深げに聞いた京子に翔馬は苦笑いを浮かべて答える。
その歯切れの悪い翔馬の返答に京子は訝しむ様に眉をひそめた。
「なんだ? 何か問題があるのか? 」
「“境域”はトレーニングの副産物みたいなものなんだ」
「副産物? 」
翔馬の隣に座る睦月が確認する様に復唱すると、翔馬は真剣な面持ちで頷く。
「元々“境域”は、春斗君の超能力に対するキャパシティの向上のために設定したものなんだ」
そう言うと翔馬は白黒のハンチング帽を被り直し、視線を鋭くして説明を続ける。
「まず意図的に最大出力を発動させられるように訓練して、それが出来たら今度はその状態を出来る限り持続させる。そうやって無理矢理超能力に身体を慣らして、最大より弱い電圧に対して耐性を得る……言わば突貫工事さ。その訓練が結果的に切り札になった」
「随分と無茶をしたな」
「何せ時間がなかったからね。普通なら成長過程で自然と覚える事を3ヶ月に凝縮させると、どうしても荒療治になっちゃうんだよ」
翔馬の説明に京子は呆れた顔で感想を漏らすが、翔馬は涼しい顔でたんたんと答えた。
「それで、その“境域”とやらの持続時間は? 」
「1分や……それ以上持続出来たこたぁあらへん」
京子の当然の疑問に、獅郎が瞳を鋭くして答える。
「もし1分を超えてまったら、今んところアイツに勝機はない」
続く獅郎の言葉に一同は表情を険しくして事の顛末を見守った。
翔馬達の会話など耳に入っておらず、響く轟音と激しい明滅だけが“世界の全て”になっていた藤乃。
固唾を飲んで見守っていた彼女は、“境域”を見て脳裏にある出来事が想起していた。
初めて春斗が超能力を使い、ボロボロになりながら自身を救った、あの時の姿を───
「……ハルト……」
藤乃は不安と期待の綯い交ぜになった表情で祈る様に小さく、その名を呼んだ。
******
───「なんだよ。まだあんじゃねぇか」
離れた距離でも感じられる程の熱量を纏う春斗に、夏燐は再び口角を吊り上げ杖を構え直す。
「悪いな。こいつは長く持たねぇ」
「つれねぇこと言うな───」
言いかけた所で夏燐の表情から笑みが消える。
一条の赤い軌跡を引きながら瞬きの間に迫る春斗。
咄嗟に構えていた杖で防御態勢を取ると、次の瞬間強い衝撃を受け、しかし受け止め切れず鉄球でコンクリートを削りながら壇上を滑る。
───速ぇッ!
心の中で感嘆の声を上げ、冷たい汗を流しながらも愉楽の笑みを浮かべる夏燐。
素早く杖の両端に蒼白い輝きを灯らせ、蒼白い閃光を幾度となく打ち出して牽制する。
が、春斗はその飛来する閃光の隙間を赤い軌跡を引きながら、隙間を縫うように進み急接近する。
その不規則な軌道はまさに赤い稲妻の如く。
「……ッ!! 」
悔しげに奥歯を噛み締める夏燐の前へ躍り出た春斗。その勢いのまま、宙空で放つ二段蹴り。
夏燐は辛うじてそれを杖で受けるが、反動を殺せず杖が上に跳ね上がる。
持ち上がった杖に引っ張られ身体が仰け反り、ガラ空きになった脇腹に春斗の蹴りが突き刺さった。
「ぐッ……! 」
右脇腹を叩く強い衝撃に踏ん張り抵抗するも、堪えきれずその場から弾き出される。
壇上を数回跳ねて転がるも素早く体勢を立て直し、濃紺の髪を振り上げて眼前を睨む。
───その瞳一杯に映ったのは、赤雷を纏い拳を振り上げる春斗の姿。
だが、その追撃を前にしてなお、夏燐の笑みが消えることはない。
「ッらァあッ!!」
春斗の拳に合わせる様に蒼雷を纏った鉄球をかち上げる。
振るわれた拳を蒼白く輝く光球で受け止め相殺すると、返す手で反対側の光球を春斗へ振り下ろす。
春斗も迫る光球を払い除ければ、それと同時に右脚を振り上げる。
身体を反らして赤い一閃を躱し、杖を軸に飛び上がり蹴りを繰り出す。
勢いのついた脚を左手で受け止め、赤雷を纏った拳を返す。
時に迫り、時に離れ、壇上を余すことなく使い、一層激しさを増してぶつかり合う“赤と蒼”。
傍目から見れば両者は互角。一進一退のやり取りをしているように見えるが、春斗の攻撃は確実に夏燐を削り、傷を増やしていく。
───だが、
「……ッ」
“赤”の勢いが強くなり始めた時、一瞬だが春斗の攻めの手が止まった。
制御出来るタイムリミットが近くなり、漏れ出す赤雷の稲光が徐々に増え始め、春斗自身を内と外から焼き始める。
僅かな隙を突き、夏燐が杖を下から掬い上げる様に振り上げる。
春斗が身を反らしてそれ躱すと、同時に後ろに飛び退き距離を取った。
それを逃がすまいと前のめりになる春斗だったが、全身を走る痛みに思わず膝を着く。
「そろそろキツそうだな」
「……そりゃお互い様だろ」
夏燐の声掛けにゆっくり立ち上がりながら答える春斗。
互いに満身創痍。立っているのもやっとの状態。
にもかかわらず、不敵な笑みを崩さない両者。
「ま、そうだな。名残惜しいが、しゃぁねぇ……最後にとっておきを見せてやるよ」
そう言うと、獲物を狙う獣の様なギラついた眼光を細め、姿勢を低くし、杖を振り上げる。
「───蒼雷:過負荷───」
言葉と共に天井を向いた鉄球に、今日一番の大きさの蒼白い光球が姿を現した。
目の痛くなるような輝きを放ちながら、光球から溢れ出す蒼白い稲妻が壇上を焼き、天井の証明を破壊する。
異常に気付いた春斗も全身を奮い立たせ、漏れ出す赤雷を引き摺りながら一気に距離を詰める。
「───蒼天霹靂ッ!!」
叫び声と共に杖を振り下ろした夏燐。
瞬間、視界が白む程の閃光と耳をつんざく落雷のような轟音が、観覧席の人間をも巻き込み広がっていく。
数秒後、視力の戻った者たちが目にしたのは壇上を丸ごと包む灰色の煙塵だった。
先程まで響き渡っていた破壊の音と鮮烈な煌めきが収まり会場は水を打ったように静まり返る。
観覧席の一同が固唾を飲んで壇上を見つめる中、徐々に煙塵が薄らいでいく。
薄靄の中、立っていたのは“4つ”の人影。
巨大な光球を打ち下ろした夏燐と、それを迎え撃った春斗。
だが煙塵の晴れた後、春斗は壇上に端におり白黒のハンチング帽を被った青いベストの男に抱えられていた。
「……え? 翔馬さん? 」
「いやぁ、間一髪。間に合ってよかった」
混乱で超能力を維持できず元に戻った癖の強い赤毛の向こうで、やはり混乱したような表情を浮かべる春斗に、翔馬は苦笑しながら声をかけた。
「あっちも間に合ったみたいだね」
翔馬の言葉で夏燐の方に視線を向けると、夏燐に相対するようにスーツと合わせた色の帽子を被った人物が立っていた。
その人物は携えたステッキで夏燐の杖を逸らしたようで、目標から逸らされ落ちた光球はコンクリートの壇上を抉り取ったように破壊していた。
その人物を見た夏燐は、先程までの愉楽に満ちた表情を一変させ、顔色を青くした。
「ジ、ジィちゃん……」
「こンのバカ娘がッ! 」
言葉と共にスーツ姿の人物─源該のステッキの柄が夏燐の脳天に落ちる。
「イッテェッ!! 」
「全くお前と言うやつはッ! これだけの人を巻き込みおってッ! あまつさえ未熟な技なんぞ使って、会場の人達に後遺症が出たらどうするつもりだッ! 」
「うぅ……悪かったって……」
腕を組み仁王立ちで叱責する源該に、夏燐は頭を擦りながら小さくなって素直に謝罪する。
「草加さん、その辺で……」
声をかけられ源該が振り返ると、ハンチング帽を少し上げて挨拶する翔馬とその後ろを脚を引きずりながら歩く春斗の姿があった。
「おぉ、これは宮代さん。この度は誠に申し訳ありません……櫻井 春斗君。私は 草加 源該、夏燐の祖父です。君にも、心から謝罪させていただきたい。ウチの孫娘の我儘に付き合わせてしまって申し訳ない」
そう言うと源該は帽子を胸元に当てて深々を頭を下げる。
「いや、そんな……」
「草加さん、どうか頭を上げてください。止めようと思えば止められたものを黙認した、私達にも責任はあります」
「……え? 止められたんですか? 」
唐突に頭を下げられ混乱していた春斗だったが、翔馬の言葉にジロリッと視線を向けた。
春斗の声で表情をハッ、とさせ、思わず出た自分の言葉に誤魔化すような笑みを浮かべて頭の後ろを掻きながら、
「あッ!? いやぁ……アハハッ……まぁ今の春斗君を外から見たかったと言うか……き、京子さんも感心してたよ! 内定は確実だね!」
と、乾いた笑いでその咎めるような視線から逃れようと話題を逸らす。
そんな翔馬に春斗は呆れたような溜息をついた。
「……最近……というか今日までの訓練で分かったんですけど、実は翔馬さんの方が獅郎よりスパルタですよね」
「えッ!? そうかなぁ……」
春斗の言葉に本当に思い当たる節がなさそうに翔馬が答える。
そんな2人のやり取りに、源該は小さく笑みを浮かべた。
「フフッ。そう責めないであげてください。元はと言えばじゃじゃ馬娘がいけないのですから。ほら夏燐も、ちゃんと謝りなさい」
「でもジィちゃんがOKしたから……」
「許したのはあくまで“演習”だ馬鹿者ッ! 誰が会場を吹き飛ばしていいと言ったッ!」
「分かった、分かったってッ! ……おう、付き合わせちまって悪かったな……」
源該に叱責されバツの悪そうな表情で夏燐が謝罪すると、春斗は自嘲的な笑みを浮かべた。
「気にすんな、お互い様だろ? 」
“不安定な技を使った”、という意味であれば先に行使したのは春斗だ。
更に言えば、互角に近しい相手との闘争に、少なからず“愉しい”という感情を抱いていたという自覚もあった。
自身の抱いた感情と行為を加味すれば、一方的に謝罪を受けることに居心地の悪さを感じた春斗は短くそう答える。
「ふむ、櫻井君の方がよほど素直ですね」
「そう……ッスかね? 」
源該の言葉に春斗は苦笑しながら答える。
「自分の非を素直に認められる人間は大人でも少ない。それは君の長所ですよ。それにまだ荒削りだが光るものも確かにある。今日の反省を活かせば更に飛躍するでしょう」
「ど、どうも……」
褒め倒されて座りの悪い春斗の返答に、源該は朗らかな笑みを浮かべて頷くと、ポケットからピンマイクを取り出して会場にアナウンスをかける。
『御列席の皆様。まずは私の孫娘が勝手を致しましたことを陳謝いたします』
そう言って言葉を切ると、再び帽子を胸元に当てて観覧席に向かって頭を下げる。
『ですが、この演習で彼の持ち得る力を余すことなく評価できたかと思います。視察に来られた方々には此度の内容を収穫と考えていただければ幸いです。それでは、これにて“特別対応許可証”実技試験と“公開演習”を終了させていただきます』
源該がそう宣言すると、会場からは割れんばかりの拍手が起こる。
そもそも会場に来ている者たちが所謂“処理屋”か、それに連なる会社のスカウトマン達だ。
名の通った事務所の若手同士の力を見ることができて、感謝こそすれ文句を言うものなどこの会場にはいない。
そうは思っていても、降り注ぐ万雷の拍手に源該は胸を撫で下ろした。
その拍手は観覧者達の全員の無事を意味していたからだ。
「では、櫻井君。君の今後の活躍を期待していますよ」
そう言うと春斗に向き直り優しい笑みを浮かべて右手を差し出す。
「はい」
春斗も表情を引き締めその右手を取り、固く握手する。
───が、
「痛ってッ! 」
握った源該の手から“紫色に迸る閃光”が右腕を駆け上がり、それを追いかけるように焼ける様な痛みが突き抜けた。
思わず手を振り払った春斗に源該は少し悪戯な笑みを浮かべると、
「ホッホッ、いやぁ失敬。恥ずかしながら、観ていた私も年甲斐もなく滾ってしまいましてな……いずれ私とも御手合わせをお願いしますよ」
そう言って帽子を少しずらして笑う源該だが、帽子の向こうから覗くその瞳に宿るのは、剥き出しの闘争心。
夏燐と同じく、強者との闘争を求める闘士の瞳に射抜かれ、右手を庇う春斗は背筋に冷たい汗が流れた。
年齢を感じさせないその色褪せぬ眼光と、今まで感じた威圧感が全てそよ風に感じるほどの絶対的な圧力に、重力が変わったのかと錯覚する程の重圧を感じ身を強ばらせる。
「んだよ、ジィちゃんもはしゃいでんじゃん」
「ホッホッ。では、失礼します」
息の詰まるような圧力を前に夏燐が飄々とそう言うと、先程の雰囲気とは打って変わり柔和な好好爺に戻り、軽く頭を下げて夏燐と共に壇上を降りていく。
「なんつうか……血は争えないですね……」
夏燐と初めて会った時と全く同じ行動に呆気にとられたまま呟くように感想を述べる。
「アハハッ……まぁ草加さんも若い頃は一線で活躍していた人だからね。“紫電の将軍”は今でもこの業界で知らない人はいないよ」
「将軍? 」
「あぁ、近代史とかでやってないかな? 50年位前の“開闢闘争”。テレビでもたまに特集やってたりするけど、その戦いで処理屋の一団を纏めてた人だよ」
“開闢闘争”。
50年前、“超能力は神より与えられた人類への救済”という教義の元に集まった超能力者至上主義のカルト集団“、恩寵の徒”によるテロ行為とそれに対抗した国家組織の紛争だった。
当時超能力者に対する風当たりは強く、警察など公的機関の中からも賛同者が多く出た。戦力となる超能力者が足らなくなった国は、苦肉の策として現在の特別対応許可証の雛形となる“異能一般人限定許可証”というものを発行し戦力とした。
その一団がやがて“処理屋”などと言われる者たちの原型になるのだが、詰まるところ源該はそのトップだったというわけだ。
授業でやっていなくとも度々ニュースやテレビ番組でその当時の出来事を仔細に報じているのだが、如何せんテレビは見ない、授業の中身は大雑把にしか聞いていない春斗にとってはその出来事は、“聞いたことがある気がする”程度の認識だった。
だが、翔馬の話で源該の放っていた威圧感の所以は理解出来た。
話半分に聞きかじったことがある程度でも、その闘争が如何に熾烈で凄惨なものだったかくらいは知っている。
その只中で幾度となく死線を潜ってきた源該は文字通り、年季が違うのだ。
「僕も何度か草加さんと手合わせしたことがあるけど、多分本気を出してはいないだろうね。いつも最後は講習会みたいになっちゃうし」
少し恥ずかしそうにそう言う翔馬の言葉に、春斗は乾いた笑みを浮かべた。
「翔馬さんですらそれなら、俺なんか秒でミンチじゃないですか」
「……うん……まぁ……今すぐの話じゃないよ……さ、僕達も帰ろう」
春斗の自己評価を一切否定せず話を変えて先を歩き出す翔馬。
春斗はただ“面倒な一族に目を付けられた”と遠い目をしながら翔馬の後ろに続いて会場を後にした。
******
─── 試験終了後、地上階に戻った春斗は簡単に治療を受け、事務手続きの為に窓口で書類を記入し、手続き完了を待っていた。
程なくして女性事務員が1枚の用紙を持って帰ってきた。
「お待たせしました。最後にこのQRコードを読み込んでアプリをインストールして下さい」
言われるがままに春斗はスマートフォンを取り出してQRコードを読み取ると、“特別対応許可証 認定者専用窓口”と仰々しい字面が画面に現れる。
「案内に従って登録して頂いて、特許証の本登録となります。そのアプリのページから“特許証”の表示、依頼の案内などが届きますので、ご活用下さい。分からないことがあればQ&Aのページや専用ページからメール、メッセージでの質問が可能です。では本日はお疲れ様でした。今後のご活躍をお祈りしております」
女性事務員は淡々と機械的に内容を説明すると、1度小さく頭を下げて会話を切りあげる。
主催者の訓示や、何がしかの会があったあとに証書などが配られると構えていた春斗は少し肩透かしを喰らうも、手っ取り早くて良い、と切り替えて短く礼を言うと席を立った。
レトロな廊下を出口へ向かって歩いていると、
「おーい! 春斗君!」
少し先の出口付近で翔馬の声が聞こえ、視線を向けると春斗は口元を緩める。
手を振る翔馬に、腕を組み珍しく少し満足気な笑みを浮かべる獅郎。
普段崩さない表情を柔らかく崩している睦月と、穏やかな笑みの京子。
そして───
「ハルトーっ! おめでとーっ!!」
大きな声で心からの賛辞を送り、晴れやかな笑顔の藤乃が駆けてきていた。
春斗は藤乃を迎える為に1歩前に出てしゃがみ込む。
─── その1歩は、後に“雷帝”と呼ばれる少年の、小さな、しかし確かな1歩だった。