1-13.赤と蒼
───春斗が一撃を持って試験を終了させる十数分前。
源該は真剣な表情の中、僅かに倦怠の色を見せながら、先程まで行われていた試験の採決を行っていた。
「うーむ、どうにも今回は……」
整えられた髭を触りながら源該が呟くと、他の審査官や職員が一斉に視線を源該へ向ける。
「草加さん。出来ればその、手心という物も……」
「そう申されましてもな。今日の受験者は一線に出れば半数以上が命を落としますぞ? それともそれを承知で合格の判を押せと?」
「いや、その……全員が戦闘行為に関わるとは……」
おずおずと地雷原の中を歩く様に、慎重に言葉を選びながら中年の審査官が話すが、その一言は見事に地雷を踏み抜いた。
源該はスゥ、と瞳を細め、呆れた様に小さくため息を吐く。
「……今何と? ……貴殿は本当に特許証を持って仕事をされた事があるのですかな?」
口調こそ丁寧だが、その声音には聞いた者に拒絶を許さない絶対的な圧があった。
源該の他の審査官達もそれなりの経歴があり、あらゆる経験をしてきた者たちだ。
そんな彼らですら一瞥と言葉ひとつでそれ以上誰も口を開く事が出来ず、重い沈黙が流れる。
───その室内の沈黙を破ったのは、試験開始の機械的なブザー音だ。
その音に、源該が部屋のモニターへ鋭い視線を向ける。
今日、源該が1番注目していた人物、櫻井 春斗が会場へ上がっていた。
─さて、宮代の新人が何処までできるか……
心の中で独りごち、腕を組みながら整えられた髭を擦りモニターを睨んでいる。
その雰囲気だけで周りの人間達は気圧されるが、次の瞬間には室内の空気が一変する。
今しがた鳴ったばかりのブザーが再び鳴り響く。
誤作動を疑ったが、モニターには床に倒れたまま動かない男と、その男の横に立つ赤毛の少年の姿。
「な、にが……」
「ふぅむ……これはこれは……」
源該に気を取られてまともにモニターを見ていなかった者たちの混乱を他所に、源該は満足げな笑みを浮かべ小さく頷いている。
「……か、彼は、一体……」
「彼は“宮代相談事務所”の人間のようですな。いやはや、末恐ろしい」
先の息の詰まる重圧を一変させて、柔和な笑みでそう答えた源該。
が、その温和な雰囲気も束の間、モニター越しにも響く轟音が室内に再び緊張感を走らせる。
「なんだッ! 」
先程まで萎縮していた中年の審査官が身を乗り出してモニターに齧り付くが、轟音と煙塵の立ち込めたあと映像に大きな動きは見られない。
「おいッ! 現場からの報告はッ!?」
「警報を出せッ!」
にわかに騒然となる室内。慌ただしく飛び交う指示。
そんな中静かにモニターを見つめ状況を観察していた源該は、煙塵の中現れた人影を目にした瞬間目を丸くして、深いため息と共に肩を落とす。
「……はぁぁ……警報は必要ありません」
「ハッ?! しかし草加さん……」
1人だけ場違いな雰囲気でそう言う源該に、試験官の1人が流石に食ってかかるが、帽子を下に傾けて肩を落としているその姿にトーンダウンしていく。
そしてモニターに視線を向けると、その審査官の表情に困惑が色付く。
「草加さん……これは……」
「……あンの馬鹿娘が……」
審査官の言葉に答えることなく、源該は語気を荒げてモニターに映る孫娘に呟いた。
******
───「思ったより早かったじゃねぇか春斗」
立ち込めた煙塵の中、黒いスカジャンとグレーのパンツを履いた夏燐は勝気な笑みを浮かべている。
夏燐は両端に鉄球の付いた、身の丈ほどの杖を肩に担いで春斗に語りかけた。
春斗は訝しんだ表情で超能力を解くことなく、警戒の色を宿した瞳で夏燐を見返す。
「アンタ、病院で会ったな。草加 夏燐とか言ったか? 」
「おう。無事退院出来て何よりだぜ櫻井 春斗」
「前にあった時もそうだが、アンタ無茶苦茶するよな」
「……? あぁ、握手の時のあれか! 」
春斗の言葉に一瞬考える様に首を傾げるが、焼け飛んだ袖を思い出して夏燐は苦笑する。
「いや悪ぃな。気になっちまったもんだからさ」
「おかげで看護師さんにスゲェ怒られたわ……で、今度はなんだよ?」
怪訝な表情で春斗が問うと、夏燐はニヤリと口角を上げスカジャンのポケットから四角い箱のようなものを取り出す。
そして箱のボタンを押すと、そこから繋がるピンマイクを口元に当て口を開く。
『……あ、あ……んん……御来席の紳士淑女の皆々様、まずはこの度の非礼をここに陳謝させていただきます』
会場中に声を響かせながら、夏燐は恭しく頭を下げる。
その格好や登場の破天荒さから想像もつかない丁寧な謝罪に、一時騒然としていた会場は静けさを取り戻し夏燐の次の言葉を待った。
『しかしッ! 私はこの受験者……櫻井 春斗の実力を計るには、先程の内容では不十分であると感じているのです! 何を隠そうこの受験者は、この界隈でも有名な“宮代相談事務所”の期待の星! まさにスーパールーキーなのです!』
夏燐は頭を勢いよく上げて切り出すと、まるで胡散臭い政治家の街頭演説の様な、オーバーな身振り手振りを交えて語り出す。
煽る様な夏燐の言葉に会場にはどよめきが広がり始めた。
『そこで! 不肖、この草加 夏燐が彼の力量を計りたく思い、些か強引にはなりましたが壇上へ上がらせていただきました。どうか私と同じお気持ちの方々は拍手をお願いいたします!』
そう言ってもう一度恭しく頭を下げれば、最初はまばらだった拍手はやがて大雨の様に音を会場中へ響かせた。
******
───万雷の喝采の中、観覧席にいた睦月が立ち上がり飛び出しそうなのを翔馬は苦笑いで引き止め、獅郎は愉悦な笑みを浮かべ、京子は興味深げに成り行きを見守っていた。
藤乃だけは夏燐の言葉の意味が分からず不安げな表情で京子を見上げる。
「心配ない。試験自体は恐らくさっきので合格さ。これは所謂エキシビションマッチと言うやつだ」
「……? 」
「訓練の延長みたいなものだよ。何かあればすぐ止めに入るから大丈夫だよ」
京子を挟んだ反対側に座る翔馬が付け足すが、藤乃からは不安の表情は消えず静かに会場を見守っていた。
「ホントに良いの? 流石にいきなりあの暴力女には敵わないと思うけど」
表情を変えぬまま瞳に不満の色を乗せた睦月が、翔馬に耳打ちする様にそう言うと、翔馬はモノクロのハンチング帽を少し下げて口元を緩める。
「さぁ? それはどうかな? 」
「……? 」
経験も超能力者としての長さも夏燐が圧倒的に春斗に勝っている。
単純に考えれば春斗に勝算などない。
睦月の訝しむ様な瞳を翔馬は不敵な笑みのまま受け止め、目深にかぶった帽子の向こうで期待を込めた瞳を壇上の2人へ向けていた。
******
───「……い、如何しますか? 草加さん」
夏燐の宣誓は、観覧席に座る者達の不完全燃焼な燻りを煽り煌々と火を付けた。
今や割れんばかりの拍手が会場を埋めつくしている。
そんな中で、両手を組み俯く草加に先程地雷を踏み抜いた中年の審査官が伺いを立てた。
しばしの沈黙の後、深い、それは深いため息が源該から漏れる。
「……申し訳ない。私の孫が勝手をしました。しかしこのままでは収集がつかないのも事実でしょう……異例ではありますが、この場で櫻井 春斗君を合格とし、公開演習としましょう」
「そうですわね。直ちに放送をかけましょう……しかし彼女の言い分も分かります。私も年甲斐もなく、彼の実力を見てみたくなってしまいました」
「……そう言って頂けると救われます」
スーツを着た目尻に小じわの目立つ初老の女性審査官がそう言うと、源該は力無く笑いゆっくりと立ち上がる。
「おや? 見ていかれないので?」
「あのじゃじゃ馬娘がやらかさないように下で待機しておきます」
「それはそれは。気苦労が耐えませんね」
女性審査官は苦笑を浮かべてそう言うと、源該は帽子を少し持ち上げて挨拶し部屋を出ていった。
******
───『……審議の結果、異例ではありますが受験番号261番 櫻井春斗を合格とし、公開演習が決定いたしました。両者合図があるまでその場で待機してください』
「いょっしゃッ! 」
場内に響くアナウンスに小躍りしそうな勢いで喜んでいる夏燐を、春斗は呆れ気味に目を細めて小さくため息を着く。
「アンタ、あんな演説出来るんだな。つか、見た目と言動のギャップがひでぇ」
「当たり前だろ? お前もこの業界で仕事すんならTPOは弁えた方がいいぞ」
“強引に飛び込んでおいてどの口が……”と言いかけたが暖簾に腕押しだろうと開きかけた口を1度閉ざし、単純な疑問を口にする。
「にしてもなんで“今”なんだよ? 別に日を改めたって……」
「私は楽しみを先に満喫したいタイプなんだよ」
得意げな笑みを浮かべて夏燐がそう答えると、いつの間にやら夏燐が壊した自動ドアの破片も春斗が一撃で倒した男も片付けられ、会場に再びアナウンスが流れた。
『お待たせ致しました。これより“草加屋所属 草加 夏燐”と“宮代相談事務所所属 櫻井 春斗”の公開演習を開始いたします』
アナウンスの声を聞き、スカジャンのポケットにピンマイクを仕舞う夏燐に春斗はもう1つ問いかける。
「なぁ、ホントにいいのか?」
「あ? しつけぇな、萎えんだろうが…… 」
「いや、一応確認しておこうと思ってよ……」
「だから何をだよ」
春斗の問いかけに夏燐は苛立たしげに眉間に皺を寄せる。
そんな夏燐の反応を他所に、春斗は口角を吊り上げて挑発的な笑みを浮かべた。
「……老舗処理屋の次期三代目が新人に負けたとあっちゃ、看板に傷が付くだろ?」
春斗の挑発の言葉が意外だったのか一瞬呆気に取られたように目を見開いた夏燐だったが、その表情はすぐに勝気な笑みに変わりスカジャンを脱ぎ捨て黒のタンクトップ姿になる。
───そして、開戦のブザーが鳴り響いた。
「いいねぇ……やってみろやッ!!」
夏燐は愉しげな笑みを浮かべて両端に鉄球の付いた身の丈程の杖を軽々と回転させ、八の字を描きながら一直線に跳び出す。
一気に距離を詰めた夏燐だが、その速さは超能力で強化した翔馬や獅郎と訓練していた春斗にとっては大きな驚異ではない 。
そこから想定された膂力もまた同義である。
しかし振り下ろされた鉄球の“蒼白い輝き”が目に映ると、背筋を走った寒気に身体が本能的に受け止める事を拒み、気付けば後ろへと飛び退いていた。
───瞬間、空振った鉄球に打ち据えられたコンクリートの壇上が、こだました落雷のような轟音と共に弾け飛ぶ。
焼け焦げ、抉れている壇上を見て、春斗の頬に冷たい汗が流れ思わず顔を顰める。
「やるじゃねえか……よッ! 」
夏燐は間髪入れずに両端の蒼白い輝きを湛えたままの杖を振るう。
当たれば致命傷は必至の連撃を春斗は紙一重で躱し続けた。
だが輝く鉄球から漏れ出す煌めきが、着ている服や肌を焼いていく。
「……ッ! 」
「オラッ!! 」
舌打ちして悪態をつく春斗に、夏燐は少し大振りになりながら鉄球を打ち下ろす。
その隙に横に飛び退き1度距離を取る春斗。
だが夏燐は追撃せず、杖を肩に担ぐと不満げに眉をひそめた。
「おい、もうちょい上げてけよ」
「……はぁ、やっぱこの出力じゃダメか。もうちょいイけると思ってたんだけどな」
夏燐の問いに答えることなく独り言を呟く春斗。
そして小さく息を吐くと、癖の強い赤毛が先程よりも持ち上がり体の随所から赤雷が漏れ出しては明滅を始める。
それは3ヶ月前の“最大出力”にして現在の“平均出力”。
3ヶ月のトレーニングの成果の一つだ。
目に見える春斗の変化に、夏燐は再び笑みを浮かべて杖を構える。
「そうこなくちゃ……なァっ!! 」
言葉と共に夏燐は“その場”で杖を振るう。
振り抜かれたその鉄球から迸った蒼白い閃光。
“横に走る蒼い稲妻”の如きは煌めきは春斗のいた場所へ飛来し、爆音と煙塵を巻き上げる。
直撃に思えた一撃だったが、夏燐はすぐさま振り向きざまに杖を振るう。
蒼白い軌跡を描き振るわれた鉄球は、薄赤く輝く右脚に止められた。
背後から蹴りを繰り出していた春斗は顔を顰めて舌打ちする。
「チッ! 」
「いいぜ、やっぱ面白ぇよお前ッ! 」
渋い表情を浮かべる春斗に対し、愉楽の笑みを浮かべる夏燐。
鍔迫り合う様に一瞬膠着し、弾かれるように互いに離れる両者。
一拍置き、どちらからともなく動き出す。
薄赤く光る拳を夏燐が躱し、蒼白く煌めく鉄球を振るう。
その光球をいなし、春斗が赤い軌跡を引きながら蹴り上げる。
至近距離で繰り広げられる“赤”と“蒼”の応酬は激しい明滅と雷鳴を伴い、さながら壇上の中央に生まれた嵐のようだった。
その苛烈な応酬の中、夏燐は冷静に春斗の変化を観察する。
──……コイツ、随分器用な真似してんな……
激しい拳打の中で春斗は全身に赤雷を纏い、手や足に赤雷を留める“局光”と呼んでいた状態を維持していた。
3ヶ月前までバラバラに、一部分ずつしか使えなかったものを全て並行して行う。
夏燐は知る由もないが、これは春斗の血の滲む努力の2つ目の成果だ。
愉しげな表情で春斗を観察し、攻撃を避けながらも杖を振るい続ける夏燐。
幾度かの攻防の後、春斗の放った拳を杖で受け止めた事で一時的に静けさが戻る。
「いい感じに温まってきたじゃねぇか……もっと上げてこうぜ、なァッ! 」
声と共に夏燐の握る杖に変化が現れる。
両端に付いた鉄球は更にその輝きを増し、バリバリと大きな音を立てながら一回り大きな光球へと肥大化していく。
「なッ……!」
「オラッ! 」
夏燐の変化に驚き、一瞬怯んだ隙を付かれ力のままに押し返される。
そして体勢の崩れたところに、恐るべき破壊力の鉄球がその腹部を捉えた。
「かはッ……」
身体の酸素を全て引き出されながら力の働くままに飛ばされる春斗。
壇上を転がるも、素早く体勢を立て直して口元の血を拭う。
が、視線を向ければその瞳一杯に蒼白い輝きを放つ光球が写り込む。
転がり込む様に鉄球を回避すると、空振った光球が破裂音と共に壇上を焦がし、クレーターの様な跡を残す。
「そらそらどうしたッ!! 」
巻き上がる煙塵を切り裂き、夏燐が狂喜じみた笑みを浮かべながら杖を振るえば、蒼白い閃光が春斗へ迫る。
その閃光は先程のものとは比べ物にならない速度と質量を持って春斗に迫った。
「クッソッ! 」
思わずそう漏らしながら横に跳んで避けるが、夏燐が振るう度に放たれる稲妻の如き閃光は次第に春斗を追い詰める。
更に数発躱した春斗は、一瞬攻撃の止まった隙を突き一足飛びに夏燐との距離を詰めた。
そして勢いをそのままに身体を捩り、輝きの増した右脚で蹴りを放つ。
夏燐は待っていたと言わんばかりの挑発的な笑みで迎え、大振りなその回し蹴りを身体を屈めて躱した。
「甘ぇッ! 」
咆哮と共に下から抉る様に杖を振るい、体勢の崩れた春斗に蒼白く輝く光球を打ち据えた。
辛うじて薄赤く光る腕で光球を受け止めた春斗だが、勢いは殺せず強い力に引かれるように壇上を跳ね上がる。
赤雷を纏った状態で互角だった均衡は瞬く間に崩れ去り、誰の目にも春斗の敗北は明らかに見えた。
相対している夏燐ですら“これ以上はない”と判断し、興味の失せたように表情を消して杖を肩に担ぎ春斗に背を向ける。
その時───
「──雷電・境域──」
囁きの様にか細くも何処か力強い声が夏燐の耳に入り、それを掻き消すように背後で雷鳴が轟いた。
目を見開き振り向けば、眩い閃光を伴って“天井へ登っていく赤雷”が夏燐の瞳に映り、再びその表情を色目かせる。
目の痛くなるような閃光の後、揺らめくように立ち上がった春斗は全身に赤雷を迸らせ、癖の強い赤毛は逆立せて薄い笑みを浮かべていた。