1-8.蠢く者
─── 翌朝。
外は涼しく爽やかな青空が澄み渡る。
春斗はいつも通りの時間に登校し、普段と変わらぬ学校での時間を過ごす───はずだった。
教室についてすぐに妙な違和感を覚える。
いつもなら教室に着くなり勝輝が声をかけてきていた。
昨日は下校寸前まで元気に絡んできていたが、今日はその姿がない。
「アイツサボりか?」
鞄を下ろしながら独り言ちるが、呟いた言葉とは裏腹に言い知れぬ不安感が胸に渦巻く。
普段の言動はやや軽いが、根は真面目というのが春斗の抱く勝輝への評価だった。
現に体調不良以外での欠席は今まで聞いたことがない。
昨日の教員の注意喚起や自身の巻き込まれた出来事も頭をよぎり、不安をより煽っていた。
だが、教室内の雰囲気はいつもと変わらず、勝輝が来ていないこと以外の変化はない。
他の生徒達がチラホラと集まり、小さな喧騒が生まれつつあった。
「……考えすぎだな」
違和感を払拭するように自嘲気味に笑いながら呟く。
畳み掛けるような“非日常”が少し神経を過敏にしている。
そう思うことで嫌な動悸を抑えようとした。
と、ポケットのスマートフォンに通知音が流る。
取り出して確認すると、メッセージアプリに勝輝から写真が届いたと表示が出ていた。
「んだよ、何遊んでんだ?」
自分の不安が杞憂だったことに安堵し表情を緩めながらも呆れたようにアプリを開く。
──そして、写真を見た春斗は全身に鳥肌が立つのを感じた。
届いた写真はどこかの廃工場のような場所。
写真からも分かる埃っぽさと錆び付いたコンテナの様な物の前で、手足を縛られ薄汚れたコンクリートの床に転がされた勝輝が映されていた。
「……なんだよコレ……」
視界に入ってきた物が理解出来ずただただ困惑していると、再びスマートフォンが振動する。
今度は勝輝の携帯から音声通話の表示が出ていた。
春斗は表情を硬くして反射的にスマートフォンを耳に当てる。
「もしも……」
『ハロー!どーも初めまして、櫻井 春斗くん?』
電話の主はやはり勝輝ではなかった。
聞き慣れぬ軽薄な声音の男。
その声を聞いて、春斗の眉間に深い谷間が生まれる。
怒鳴り散らしそうなるのを抑えて相手の言葉を待った。
『あれ?聞こえてるかな?……まぁいいや。櫻井くん、早速本題なんだけど“彼女”と“彼”、交換しよう?』
「彼女?」
『もぉー、分かってるくせに!春日井 藤乃ちゃんと北野 勝輝くん。君が藤乃ちゃんを連れてくれば勝輝くんは五体満足で返してあげるよ』
「ふざけてんのかテメェ」
『マジマジ、つか選択の余地ないっしょ。片や会って日の浅いガキ、片や10年来の親友。迷うことなくない?』
奥歯を噛み締めて堪えるようにそう言う春斗に、軽い調子で電話の男が答える。
その返答に春斗の額の青筋は更に濃く浮かぶ。
「……どいつもこいつも……」
『あ"?』
「……場所と時間は?」
『場所は今送るよ。2時間以内でよろです!あ、言い忘れてたけど、警察や宮代に泣きついたら……分かるよな?……じゃそういう事で〜!』
そう言うと一方的に電話は切られる。
そのすぐ後に勝輝のメッセージでURLが送られ、指定場所のマップが開く。
片道1時間程の今は使われていない港にある廃屋にピンが建てられていた。
─……どうする?……アイツが釘を刺してきたって事は何処かで監視してる可能性が高い。電話?論外だ、聞かれてたらどうする。1度事務所に行くか?どちらにせよ……ダメだ、怪しまれたら終わりだ……クソッ。考えろ、考えろ、考えろ考えろ考えろ……
あらゆる方法が浮かんでは消えていく。
スマートフォンを握り締めたまま、纏まらない思考に苛立ちながら険しい表情を浮かべている。
と、不意に昨日の獅郎や京子とのやり取りを思い出しポケットに手を突っ込む。
春斗が取り出したのは京子に渡された例の“防犯ブザー”。
緑色のライトが円形に光り“Safety”の文字がしっかりと浮かんでいる。
それを見つめると強く握り、再びポケットに戻すと春斗は教室を駆け出す。
その表情に怒りと決意を宿しながら。
******
───防波堤に打ち付ける潮騒が響く。
まだ昼間だが薄暗い廃屋の二階にある小部屋で白いフードの男ー白山は上機嫌な様子で鼻歌を歌いながらキャスター付きの椅子に座っていた。
「ンフフッ……いやぁ楽しみだなぁ」
「ウッス」
白山の後ろに立つアニマル柄のタンクトップを着た筋骨隆々の大男ーヨシが後ろ手に手を組みながら返事をした。
白山は椅子をクルリと回して大男に向き直る。
「この仕事をサクッとこなせば俺らも一躍有名人!何せオファーしてきた“相手が相手”だしね。今までみたいにマルチだの、ジジババ相手のせせこましい詐欺の下請けだのしなくていいわけ!レッド・クリムゾンもボロボロだし、シマの拡大もし放題!いやぁ、夢が広がるなぁ」
「ウッス」
フードから覗く口元に法悦の表情を浮かべている白山へヨシが短く返事する。
分かっているのかいないのか定かでないそんな返事に、白山は満足そうに何度も頷いている。
「そ・れ・に!巷で出回り始めたこの最新ドラッグ!なんと打てば能力増強、意欲向上、精力絶倫!……は知らんけど。メチャハッピーになって戦えるって触れ込みのコレ!とりあえずヨシくんに預けとくね」
「ウッス」
言いながら白山が小さな銀色のケースをヨシに手渡すと、ヨシはそれを受け取りポケットに突っ込んだ。
それを渡すと白山はチラリと視線を時計に移す。
時刻は約束の時間10分前。
「まぁ使うことは無いだろうけどね。さぁて、歓迎の準備でも……」
白山が言いかけた時、突然照明が落ちる。
「はぁ?んだよもぉ。ヨシくん見てき……」
口をへの字に曲げて不満気な声音でヨシへ指示しようとすると、遠くの方で物音が聞こえた。
「ん?」
よく聞けばそれは人の声で、それも短い呻きや叫びの声。
「……おいおいマジか、マジなのか。そんなにおバカだったわけ?」
言いながら白山は立ち上がり、慌てて錆び付いたドアを押し開けた。
******
───白山が部屋から飛び出すと廃倉庫の中は照明が消え、締め切られた空間には隙間から入る木漏れ日程度の光源のみ。
昼間にもかかわらず常闇が広がっていた。
『なんなんだ!』
『どこにいんだよ!』
『うぁッ!』
倉庫のあちこちから聞こえる戸惑いと恐怖の声。
白山は苛立たしげにフードの隙間に手を入れて額を押さえる。
「はぁ……バカ共がッ!さっさと予備電源入れろッ!脳みそついてねぇのかッ!」
白山が倉庫中に響き渡る怒号を上げると、程なくしてエンジン音が響き照明が戻った。
倉庫には錆び付いたコンテナが規則正しく置かれ、碁盤の目のようになっている。
その丁度中央に、床に倒れた赤いジャージの男の姿があった。
それからジャージ男の横に立つ、学生らしき少年。
癖の強い赤毛に、袖をまくったら白いワイシャツと黒のスラックス。
少年は赤毛の隙間から視線だけを白山に向けている。
その鋭く切り裂くような眼光には憎悪と怒りが鈍く光っていた。
白山はその少年を知っている。
初対面だが、この1週間調べ尽くした“カモ”だ。
「おいおいおいッ!なぁにやらかしてくれちゃってんの櫻井 春斗くん!テメェ立場分かってねぇの?!コッチには人質が……」
「ッせぇよ。チンピラ風情が説教垂れんな」
怒鳴り散らす白山を遮り、春斗は静かに、しかし地を這う様な低い声を響かせる。
が、白山含め残っているチンピラ達は怖じることなく春斗を取り囲み、ジリジリとその距離を詰めていった。
どんなに凄もうと所詮は学生、とタカをくくっているのだ。
まして白山には人質がある。
フードの下の口元に嘲笑を浮かべて2階の踊り場から春斗を見下ろしていた。
「正直こんなにバカだと思わなかったよ。会って間もないガキと10年来の親友……普通釣り合わねぇだろ?それともお前の中じゃ大した価値なかったか?……あ!もしかしてそういう性癖?」
「くだらねぇこと言ってねぇで、降りて来るか勝輝を解放するかしろよ。コッチは学校休んでんだ」
白山の挑発に、手をかざして手招きし挑発を返す春斗。
その挑発し返す声にすら怒気が漏れだしている。
「ハッ!マジかコイツ。この人数、この状況で勝つ気でいんのかよ。ヒーローにでもなったつもりか?……現実見せてやるよ」
そう言って白山が顎で指図すると、にじり寄っていたチンピラ達は各々超能力を発動する。
春斗は刃物の様な眼光でのチンピラ達を一瞥し、徐にポケットに手を突っ込むと何かを取り出した。
その手には件の“防犯ブザー”。
見慣れない物にチンピラ達が警戒したのを見るや、“防犯ブザー”を1度押し込む。
そして緑の電飾が赤へと変わるのを確認すると、
「……雷電」
ボソリと呟き遥斗の癖の強い赤毛が少し持ち上がる。
だがその体から赤雷は漏れ出していない。
今出せる全力を“100”とすれば“10”程度のものを全身に巡らせる。
獅郎の元で訓練していた限界の出力維持。
それに加え会得した───もう1つ。
「雷電・局光:右手」
言葉と共に意識を右手に向ければ右手の甲に赤雷の小さな稲光が漏れる。
そして更に“防犯ブザー”へ集中すると、赤雷はそこに溜まる様に流れていく。
「なにを……」
チンピラの誰かが言いかけたのも束の間、春斗は手にした防犯ブザーを真上に放り投げた。
城山を含め、その場の全ての視線は投げられた防犯ブザーに注がれる。
瞬間、過剰な電流の流れた防犯ブザーは小さな破裂音と共に爆散した。
「うぉッ!」
「爆弾かッ!」
爆発にたじろぐチンピラ達。
白山も思わず腕を回して庇うように顔を覆った。
「んだよビックリした……な……」
爆発に気を取られていた白山は我に返り、下の階へ視線を向け、言葉を詰まらせ目を疑った。
白山が階下から視線を逸らしたのは 一瞬だ。
一瞬のはずだった。
しかし、20人以上はいたはずの手下は地に伏せ、そこに立っていたのは春斗“ただ1人”。
春斗を取り囲んでいたはずの手下達は全員もれなく白目を剥いて意識を手放していた。
「お前……何しやがった……」
「……終わりか?」
白山のフードから見える口元に、最早余裕の笑みは消えていた。
驚嘆を浮かべた後、奥歯を噛み締めて春斗を指さす。
「義之ッ!殺せぇッ!」
白山の言葉で階下へと飛び降りたのは、アニマル柄のタンクトップを着た巨漢。
その体躯はもちろんだが、春斗を見つめているその目には何も映していないような虚ろさがあり春斗は薄気味悪さを感じた。
「ウッス」
“ヨシ”改め“義之”は腕を組んだまま春斗を見下ろし短く返事をする。
「邪魔だ、退けよ」
春斗は警戒しながらもそう言って威嚇するが、義之は無言のまま巨木の様な両の剛腕を春斗へ向けてかざした。
「操虫:さざめき」
義之の言葉を号令に、倉庫中のコンテナがざわめきだす。
そしてコンテナの下や隙間から溢れ出て来たのは“大量の虫”。
“黒光りするやたら速いもの”や“百本はありそうな脚を持つもの”、“不快な羽音を立てるもの”。
今までどこにいたのかと問いたくなる量の虫達が春斗へ一斉に向かってくる。
「!?」
それは本能的な嫌悪か、根源的な怖気か。
怒りで破裂寸前だった春斗ですら、その“群れ”に反射的に飛び退き距離をとる。
苦手な者なら卒倒しそうな“虫の群れ”は、春斗を追い掛け波のように迫った。
「気持ちわりぃなッ!」
悪態を吐きつつも春斗は超能力をギリギリで維持しながら逃げ回る他なかった。
四方八方から来る群れは何処を振り切っても、必ず別の場所から迫ってくる。
チラリと視線を義之に向ければ、その腕を春斗に向け群れを指揮していた。
─……クソッ、ジリ貧だぞッ!
出力維持がブレないように意識しながら全体の状況を把握する。
これだけで心身共に削られる状況加え、打開策が浮かばない。
群れの一部を潰した所で無限とも思える“虫”の数では意味が無い。
義之を叩こうにも波状的に迫る群れに必ず妨害される。
倉庫中を駆け巡り、縦横無尽に動いても必ず群れが眼前に現れ進路を変更せざるを得ない。
足を止めず思考を巡らせながら跳び回り続ける。
迫る群れを回避するためコンテナの上に跳び乗ると、前後から挟み込むように群れが雪崩込む。
「ッ!」
舌打ちをしながら上に飛び、倉庫の剥き出しになった天井の鉄骨にぶら下がった。
一瞬反応の遅れた義之だが、すぐさま春斗を捉えその両腕をかざす。
群れは義之の指示に従いギチギチと、或いはブンブンと不快な音を立てながら天井へ迫る。
だが春斗はその隙を逃さなかった。
鉄骨に掴まっていた腕を引き寄せる反動で宙返りし倉庫の天井を踏みしめる。
「雷電・局光:両脚」
春斗の言葉を合図に両脚に赤雷が迸り薄明るくなる。
そして押し寄せる虫達がほぼ全て天井へと群がったその瞬間、両脚の力を解き放ち、義之目掛けて天井を蹴って飛び出す。
両脚から漏れる赤雷が赤い軌跡を描き、落雷の如く義之へ。
その速さに義之は反応出来ず、虫達を操る事も避ける事も出来ず、後頭部に叩き落とされた踵の威力を噛み締めるのみ。
だが見た目通りのタフさでよろめきながらも踏み止まった。
立ち上る砂埃を切り裂き、春斗は猶予を与えず雷光の霧散した左脚を蹴り上げる。
その蹴りは大木の様な義之の右腕に防がれるが構わず追撃の拳。
至近距離戦になり義之は防戦になるが、優れた動体視力と筋肉に阻まれ致命打を入れられない。
しかし、春斗に焦りの色はなかった。
数打打ち込み、右脚を蹴り上げる寸前─
「……雷電」
春斗の全身に迸る赤雷。
瞬間、蹴り上げた右脚は急加速する。
数秒前と圧倒的に違う速さに義之は対応できなかった。
抉られる様に顎下を蹴られ、視界が揺れる。
脳を揺すられ平衡感覚を失った義之は堪らず膝を着いた。
「雷電・局光:右手」
声がして何とか頭を持ち上げれば、赤雷が漏れだし薄赤く光る右拳を振り上げている春斗。
「……寝てろ」
言うと同時に拳を振り下ろし、拳と雷の衝撃が義之を駆け巡る。
コンマ遅れて響いた雷鳴の様な音の後、義之はパタリと倒れ込んだ。
天井で蠢くも移動する気配のない“虫の群れ”と義之が動かないのを確認し、春斗は視線を白山のいた方へと向ける。
明確なダメージは受けていない。
だが、全身に感じる痺れるような痛み。激しい動悸と頭を揺すられるような目眩感。
体に合っていない力を行使し続けた結果だ。
肩で息をしながらそれでも、その目から怒りが消えることはなかった。
「後はテメェだけだな」
白山に向けて声を張ると、白山は肩を落として2階からトボトボと降り始めた。
錆び付いた金属の階段が軋み音を響かせる。
1階に降り立つと、階段の下から何やら引きずり出して自分と春斗の間に放り出した。
警戒しながらドサッと重たい音のしたそれを見ると、険しかった春斗は驚き目を見開く。
それは手足を縛られ口に布を噛まされた勝輝だった。
「勝輝ッ!」
慌てて勝輝に駆け寄る春斗。
元々ふんわりとした茶髪の頭は乾いた血液で黒く汚れごわつき、眼鏡は何処かへなくなっていたが、呼吸はしている。
勝輝が生きている事を確認すると、春斗はホッと息を吐き安堵の表情を浮かべる。
「そうだよなぁ。やっぱ友達って大事だよね? じゃあなんで藤乃連れてこないわけ?」
「付き合いの長さは関係ねぇ。俺がやりたいようにやっただけだ」
「いや意味わかんないっしょ。時間の長さはイコール重さだろ?どっちが大事か天秤にかけるだろ普通。失敗したらとか考えないわけ?」
フードの下の口元しか見えない白山の心底理解できないという言葉に、春斗は溜息をつきながら勝輝を抱えて立ち上がる。
「はぁ……お前には一生分かんねぇよ」
そう言いながら春斗が踵を返す。
だが、
「おいおいおい、ちょっと待てよ!もしかしてもう勝った気でいんの?」
「……お前がやんのか?」
春斗は身を捩りながら制止した白山を睨みつける。
殺意の塊の様な眼光を受け、それでも白山は口元を緩ませたまま。
「おぉ怖ッ!まぁ焦んなって……ねぇ、ヨシくん?」
戯けたようにそう言った白山の言葉と共に、背後から何かを引き摺るような音。
目を丸くしながら音の方を見れば、ノビていたはずの義之が立ち上がっていた。
「な……ッ!」
「さぁッ!第2ラウンドだッ!」
「……ウッス」
構えるでもなく漫然と立ち尽くす義之は白山の言葉に短く返事をする。
その異様さに春斗は背筋に冷たい物が流れるのを感じ、勝輝を抱き留める手が強ばる。
「……冗談じゃねぇぞ」
そう独り言ちる春斗の顔には引き攣った笑みが張り付いていた。