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3、十年目の三つ編み(前編)

 丸屋の営業は午後6時に終わる。

 だから琴音はそこから徒歩で帰宅して、毎日ゆっくりと夕食の支度をすることができる。

 離婚して家に戻ってくるまでは、個人クリニックで医療事務の仕事をしていた。日頃はそこまで遅くなる仕事ではなかったものの、月末の締め日付近はレセプトをまとめるのに忙しくなるため、残業することも多々あった。

 そういった生活に慣れていたから、今の職場や働き方は琴音にとって驚くほど快適だ。収入はやや減ったけれど、格安で今の部屋に住めているし、都会暮らしよりもお金がかからないのが利点だ。……時折、変な訪問者さえ来なければ。


「九田さん、ナチュラルに椅子を持ち込んで寛ぐのやめてもらえません?」


 琴音はキッチンに立って鍋をかき混ぜながら、背後でだらけている九田に声をかけた。

 

「だってここ、椅子が一脚しかないじゃないか。それなら、持参するしかないだろう」

「いや、押しかけてくるなって言ってるんですよ」


 九田は週に何回か、琴音の部屋を訪ねてくる。聞けば大家として、二部屋隣に住んでいるのだという。

 建前は琴音がまたこの前みたいにサバを焦がしたりしないか心配でということだけれど、実際のところは食事狙いのようだ。その証拠に、朝食や夕食を作っているときばかりに来るのだから。

 琴音の部屋に椅子がひとつしかなく、仕方なく最初のときのようにダンボールのミニテーブルで食事をさせていたのがよほど不満だったらしい。今日はついに自宅から椅子を持参してきた。


「押しかけてくるなって言うけど、花代さんに頼まれてるから来てるんだよ」

「花代おばちゃんが?」

「そう。ひとりにしとくのは心配だから、たまに見に行ってやってくれって」

「……何か、すいません」

「ま、俺はたまにうまい飯にありつけてるからいいんだけど」

「……そっちが主な目的ですよね?」


 呆れたように言いつつも、琴音は料理の仕上げに取りかかった。茹で上がったパスタを、温めておいた卵ソースに手早く和えていく。卵がダマになるより先にさっと混ぜてしまわないと、そのぶん味が落ちてしまう。今日のメニューはカルボナーラ。卵の風味が命だ。


「できましたよ。今日はカルボナーラとオニオンスープです」


 テーブルの上に敷いていたランチョンマットと鍋敷きの上に、琴音は配膳した。九田の皿は鍋敷きの上だ。琴音はこの部屋にひとりぶんのものしか置かないと徹底しているから、九田のぶんのランチョンマットはないのだ。


「うまそうだな。俺、カルボナーラ好きなんだよな」

「それはよかったです」


 本当はトマト系のパスタが食べたかったのになと思いつつも、九田が美味しそうに食べる姿を見るとわざわざ言う気にはなれない。それに、カルボナーラは上出来だった。飴色タマネギを冷凍していたものを使ったスープも、簡単だったのにかなりおいしくできている。


「そういえば九田さん、縁結びってどうやるんですか?」


 食後のお茶を飲みながら、琴音はふと気になったことを尋ねてみた。このくつろいだ雰囲気なら、少々聞きづらいことも聞けるのではないかと思ったのだ。


「聞いてどうするんだ?」

「後学のために。言うのを忘れてたんですけど、夢にクダギツネたちが出てきて、縁結びをしてくれって言われたんですよ。たくさん結んだら、この目をもとに戻すとも言ってました」

「……何だよそれ。普通に脅されてるじゃねえか」


 あきらかに話したくなさそうだったけれど、琴音がクダギツネの夢について話すと態度が変わった。渋々といった様子で口を開く。


「縁を結びたい対象を指示すれば、クダたちが勝手に結んでくれる。能力が高いやつは見えるだけでなく結ぶこともできるが、あんたは無理だろうな。クダたちが仮初めの力を与えただけだから」

「仮初めの力……だから触ることができなかったんですね」


 琴音は、自分の右手小指から伸びる赤い糸を掴もうとして空振った。何度やっても、やはり掴むことはできない。


「クダちゃんたち、糸を結んだりできるんですね。あんなちっちゃくて柔らかそうな手で」

「あんた、飯田と結ばれてたぞ」

「え? 本当ですか?」


 九田に言われて慌てて自分の手を見るも、赤い糸の先には見えない。琴音の糸の先は、無理やり引きちぎったみたいに短くなっているだけだ。


「赤いのじゃなくて、別の色のだ。仕事とか、そういう縁の。あんたが丸屋のメニューを充実させたいって言ってたから、あいつらがそういう縁をたぐり寄せたんだろ」

「そういうことだったんですね。……飯田くんと恋愛フラグが立ったのかと思って焦りました」

「いや、あんたの糸はちょん切れてるから今は無理だぞ」

「え……」

「ちょっと考えればわかるだろ。そんな短いの、結べるわけがない」

「……ぐちゃぐちゃに絡まってる人に言われたくないです」


 誰かと結ばれる気などまったくなかったものの、はっきり無理だと言われて悔しくなって、琴音は九田の指先を見た。彼の糸はネコか何かに蹂躙された毛糸のように、毛先も見えないほどこんがらがっている。


「糸を見るのには慣れたか? 人が多いとこ行くと、嫌になるだろ?」 


 ぐちゃぐちゃと言われても気にした様子もなく、九田は琴音に尋ねた。心底嫌そうな口振りだ。糸を見ることが自分にとって嫌なものだから、琴音も当然嫌なのだろうと気遣っているようだ。


「いくらか慣れました。最初の頃は目がチカチカする気がして疲れてたんですけど、今は『あの人の糸、三本くらい引っかかってる』とか『あのカップル、彼女のほうが色がくっきり』とか見て楽しんでます」


 見えたばかりの頃はとにかく戸惑って疲れていたけれど、最近の琴音は見えるのを楽しめるようになっていた。それを聞いて、九田は信じられないものを見るような目になる。


「……何が楽しいんだ。糸が複数見えるのは気が多いのか多数に気を持たせてるかだし、付き合ってる片方だけ色が違ってるのは想いが釣り合っていないか変質してきてるかだな」

「へえ。やっぱり面白い」


 解説を聞いて、琴音はさらに興味津々といった顔になる。それを見て、九田は呆れたように首を振った。


「面白くないより面白いほうが、まだいいか。どのみち面白がってても、自分の糸は結べないわけだしな」



 ***


 琴音の努力が実って、丸屋は少しずつ客が入るようになってきていた。

 飯田と一緒に新メニューを考えただけでなく、コーヒー無料チケットを駅前で配布したり、チラシを新聞に折り込んだり、黒板アートの看板を店の前に置いたり、様々なことをした。

 その甲斐あって、まず近所の人が興味を持って訪れてくれるようになり、その中には週に何度か通ってくる人も現れた。

 そして、縁結びとそれにちなんだメニューを打ち出しているから女子高生を始めとした若い女性たちの集団も足を運んでくれるようになった。

 女子高生の若さゆえの眩しさに琴音が目を潤ませたことをきっかけに面白がられて親しくなり、年上のお姉さん的存在として恋愛相談もされている。

 飯田の身の上話を聞いたとき同様、琴音は人が苦労した話や切ない話を聞くと涙腺が刺激されるのか盛大に泣き出す。その情緒不安定な様子を九田はドン引きした目で見ているけれど、話した本人や周囲の人たちは親身に聞いてくれていると感じるようだ。

 飯田が「琴音さんに聞いてもらうと人生うまくいく」などと客の誰かに言ったこともあり、女子高生を中心に琴音に自分の話をして泣かせるのが流行っている。

 ちなみに、飯田や親しくなった客たちが琴音を名字で呼ばないのは、「バツイチの初一はついち琴音です」という笑えない自己紹介をかましたからだ。

 琴音としては、九田に散々いじられているから予防線のつもりで言ったのだけれど、いじろうなどと思っていない人間たちにはただ驚愕だった。みんな触れてはならぬと申し合わせたいように「琴音さん」と呼ぶようになった。


 そんなふうに常連と呼べそうな人たちができて、店らしく営業できるようになったある日のこと。

 いかにも観光客という男女が店を訪れた。


「ねえ、ここ縁結びにちなんだメニューがあるんだってぇ」

「へえ、いいね」


 琴音の「いらっしゃいませ」には一切反応せず、その男女は空いている席に向かっていった。

 別にレストランではないのだから「空いているお好きな席へ」というスタンスではあるものの、この反応は少し感じが悪いと言えるだろう。でも、琴音が気になったのは別のことだった。


「結びロールキャベツと結びオムライス、食後に結びクッキーセットひとつです」

「おお! カップルのお客様でがっつり縁結びメニューのオーダーだ! これは、特別なサービスの発動ですか?」


 キッチンにオーダーを伝えると、飯田のテンションが上がった。

 飯田には赤い糸のこともクダギツネのことも当然話していないけれど、縁結びを求めて来たお客さんには何か特別なことをしたいと濁して伝えてある。

 今のところ具体的に「縁結びありますか」などと聞いてくるお客さんがいないため実施したことはないけれど、これはという人が来ればクダギツネに伝えようと考えているのだ。


「メイドカフェでオムライスに魔法かけるみたいに、何かありがたいことをしちゃう感じですかー?」


 琴音の考案していることに興味津々な飯田はノリノリで尋ねるものの、琴音は渋い顔で首を振った。


「あの人たちはだめです。縁、結んじゃ。不倫カップルだから」


 楽しそうに談笑するカップルを見て、琴音はこっそり嫌な顔をした。男性の小指から伸びる糸は緩くリボン結びされているのに、そこに女性の小指から伸びる糸がくるくる巻きついているのだ。男性はアラサーくらい、女性は女子大生くらいに見える。年齢差のあるカップルに見えなくもないけれど、この糸の状態を見れば健全な関係でないのは明白だった。

 

「え? どうしてそんなことわかるんですか?」

「あの二人、指輪がお揃いじゃないんです。男性がつけてるのはあるブランドのブライダルリングなのに対して、女性がつけてるのは同じブランドのカジュアルラインのもの。つまり、ペアリングをつけてるわけじゃないってことですね。男性は奥さんとペアのものをそのままつけてて、女性のほうはおそらく男性に贈られたものをつけてるんでしょ。……あくまで推測ですけど」

「おお……」


 糸のことを話せない代わりに、琴音は注文を取る間に気づいたことを話した。店に入ってきたときから感じていた違和感を裏づけるために観察して気づいたことなのだけれど、飯田はそれで納得したらしい。調理に取りかかる前にちらっと店内を見てから、納得するように頷いていた。


「でも不倫って、純愛っぽくないですか? 道ならぬ恋っていうか」

「は?」

「いや、だって、いけないってわかっててもそれでも互いを求め合うって純粋な感じするじゃないですかー」


 できあがった料理を手に琴音のところへやってきながら、飯田が無邪気に言った。その瞬間、琴音のまとう空気が凍りついた。

 飯田は琴音が離婚経験者と知っていても、離婚の理由が夫の浮気によるものだとは知らない。だから仕方がない面はあるにしても、倫理的に問題のある考え方だ。離婚前から不倫や浮気というものを嫌悪している琴音にとっては、聞き流せないセリフだった。


「……じゃあ、サッカーの試合でボールを手で運んでゴールした人は純粋なんですか? そうまでして勝ちたかったんだ、勝ちたい気持ちがそれほどまでに純粋だったって言います? 言わないでしょ? 不倫は不倫、ルール違反はルール違反なんですよ!」


 静かに怒りをたぎらせて吐き捨ててから、琴音はできあがった料理を提供しにいった。

 そのときの琴音の顔や醸し出す雰囲気に気圧された飯田が「般若だ……」と呟いたのも、それを聞いた九田が「あれは般若になる前の生成なまなりだ。でも、罪や悪徳を美化しないあの人の姿勢には俺も賛成だな」と言って飯田を暗にたしなめたのも、琴音の耳には届いていなかった。



 そんな感じで客が来るようになっても縁結びにつながらない日々を過ごしていたある日のこと。

 

「あの……ここって縁結びをしてもらえるって、本当ですか?」


 これまでのお客さんとは少し雰囲気の異なる、若い女性が丸屋を訪れた。


「好きな人との仲を取り持ってもらいたいんです」


 三つ編みの似合う高校生くらいに見えるその女の子は、恥ずかしそうに、でも目に決意を込めてそう言った。

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