花園の乙女
カンナは一人、村の北にある丘までやってきました。
丘の頂上は木立が切り開かれ、小さな広場になっています。
その中心にあるのは、石造りの祭壇です。てっぺんを切り落とした四角錐――錐台形をしていて、四方の斜面には複雑なレリーフが刻みこまれていました。
この祭壇が祭りの最終幕の舞台となる場所です。
村の神殿で身を清めた巫女は、輿に乗せられて丘を登り、この石舞台で舞を踊るのです。
祭壇の周りには祭具や資材が所狭しと置かれ、幾人もの人が縦横無尽に走っています。
カンナはその邪魔をしないよう、器用な身のこなしで丘の頂へと上ります。
祭壇の近くまで来て振り返ると、
「わぁ……」
美しい光景が広がっていました。
秋が近づき、色づき始めた広葉樹の林が丘のふもとまで続いています。
その先につづくなだらかな斜面には、色とりどりの畑がパッチワークのように広がっています。
白い街道が重なる村の中心は、赤屋根の家々が集まって、紅のリングを描いています。その一角にある神殿は一粒の黒真珠のようです。
あの中にはライラがいて、祭事のリハーサルをしているのでしょう。
「会いたいなぁ……」
とも思いましたが、神殿を忙しく出入りしている人の波を見ていると、ライラにはそんな余裕はないように思われました。
「さて、仕事仕事」
そう言って、カンナは振り返り、祭壇を仰ぎ見ました。
(この中に、ノレグが、魔物が潜んでいる……)
掌がじんわりと汗ばむのを感じながら、カンナは黒い祭壇の周りをぐるりと歩いてみることにしました。
視線は祭壇そのものではなく、その下の地面、そこに生えている草花に注がれています。
一周し終わると、
「ちょっと物足りない植生だなぁ」
と呟きました。
計画では、この辺りにある草を、カンナの能力で巨大化させ、操ってノレグに対抗することになっています。
能力で強化するとはいえ、やはりもともと丈夫な植物の方が武器になりやすいのは確かです。
う~ん、と思案顔のままくるりと踵を返し、
「取りあえず、帰るとしますか」
丘の道をゆっくり下りていくうち、せせらぎの音が聞こえてくることに気づきました。
「川辺か……うん、いいかも!」
何か役立つ植物かあるかもしれない。
ここに来た初日には、満足に植物採集ができないまま倒れてしまいましたが、この辺りの植物に対する興味は依然として持っていました。好奇心と興奮が体の内側を静かに炙っていくのを感じながら、カンナは道を外れて、森の中へと分け入っていきました。
「ふぅ、結構採れたなぁ」
カンナがそう言いながら、村の通りを歩いていくと、行き交う人は皆驚き、彼女の方を振り返りながら通り過ぎていきます。
それも無理のないこと。無造作に束ねた髪には、一面に枯れ葉やら枝やら種やらがびっしりとくっついているのです。そのせいで、夕日に照らせば黄金のように輝くはずの美髪は冬山のようにくすんだ茶色に見えます。
それでも本人は満足したような笑みを浮かべ、足取りも軽く歩いていきます。
「おや?」
カンナは得意の嗅覚で微かにバラの香りがすることに気づきました。
「どこだろ」
香りに誘われるようにして、大通りを外れて路地の階段を上っていきます。
やがて、生垣に囲われた小さな庭園にたどり着きました。
ライラの家からもそう遠くないところです。
「へ~、こんなところがあるんだ」
と思っていると、生垣の向うからパチンパチンと音がしました。中を覗き込んでみると、一人の少女が鋏を片手にしゃがみ込んでいました。生垣の剪定をしているのか、時折鋏を動かしては、う~んと小さく唸っています。
カンナはそっと入り口をくぐると、少女の後ろに立ちました。
「お困りですか、お嬢さん?」
「ひやぁ!!」
少女は大きな声とともに振り返りました。
「……か、カンナさん!も、もう脅かさないでください!」
真っ赤になって抗議するライラに、ごめんごめん、と謝りながら、
「これは、サイハテバラだね?」
カンナは生垣に近づき、葉に触れて観察します。
「はい。けれど、最近は花が大きくならなくて……つぼみの選定をしたほうがいいのかなって思ってるんですけど」
「いや、その逆だよ。確かにこの地方の普通のバラは、花芽をある程度摘んでやらないといけない。けれど、サイハテバラはやりすぎると反って木そのものの体力を奪ってしまうんだ。」
カンナの説明に、ライラは大きな瞳をさらに円くしました。
「そうなんですか?」
「うん。サイハテバラの祖先は、園芸品が野生化したものでね。それをもう一回園芸種に改良したんだ。だから、野に咲くバラに割と近い。あまり人の手を入れない方がいいんだよ」
そうして、カンナは花芽を摘む時期や見分け方、適切な肥料の種類や施肥の時期についてアドバイスをしました。
一通り終わると、ライラは感心したように大きく息をつきました。
「知りませんでした……いろいろ教えていただき、ありがとうございます!」
ライラが深々と頭を下げると、カンナは笑って
「花の愛好家同士、ほうってはおけないからね。……それより、祭りの準備はもういいの?」
と聞きました。ライラはぺろっと舌を出すと、
「えへへ、どうしてもはずせない用事があるのでって言って……お母さんにも協力してもらって抜け出してきました。ここにいる子たちを放っておけなくて」
そう言ってライラは辺りを見回します。小さな庭ですが、そこかしこに木が植えられ、鉢植えたちは寄り添うように並んでいます。どれもこれもきちんと世話がされていることは一目でわかりました。
「すごいね、これ全部、君が育てているの?」
「母に手伝ってもらいながらですけどね。もとは父が始めて、小さいころから私も手伝っていたんです。父は薬師でしたから、最初は花園というより、薬草園という趣でした。……父が亡くなった後は、一時寂れてしまっていましたが、私や母が好きなお花を植えてお世話するようになったんです」
「なるほど、思い出が詰まったところなんだね」
「えぇ。それに小さい頃は引っ込み思案で、あまり友達もいなかったから。こうして花たちに囲まれているのが好きだったんです。今は、素敵な友人が沢山いますけど、それでもこの子たちのこともずっと好きですから。私の花が好きだって言ってくださる方も大勢いますし。その人たちが笑顔になってもらえたら、私もうれしいんです」
明るく話すライラだったが、けれど、と言って少し顔を曇らせた。
「もう後何日も命がないのに、花のことを心配するなんてやっぱりおかしいですかね?」
その言葉にカンナは鋭く振り返った。
「誰がそんなことを?」
「あ、いえ、誰がってわけじゃないんですけど―」
急いで弁解しようとするライラの肩にカンナは両手を置いて言いました。
「ライラは少しも間違ってないよ。気持ちを込めて育てた花は、いろんなことを伝えてくれるんだ。優しい気持ちを。献身の心を。そして感謝の思いを。例え自分の命が尽きても、花はきっとそれを受け継いでくれる。大切な人の傍に寄り添ってくれる。だから、大事にしてあげてね」
ライラは少し瞳を潤ませ、頬を紅潮させて小さくうなずきました。
「はい、ありがとうございます。カンナさん」
カンナとライラが微笑みあっていると、誰かが駆けてくる足音がしました。
「おーい、ライラちゃん!そろそろ戻って!」
「いけない、もう行かないと!」
呼びに来た女性に、今行きます、と答えると
「本当にありがとうございました、それでは」
ライラはぺこりと頭を下げると、急いで庭園を出ていきました。
カンナはその後姿をしばし見送った後、庭園の中を見て回りました。
「おや?」
四隅の一角に少しだけ咲いている花の群れに、カンナは見覚えがありました。
「そういえば、ここはもともと薬草園だと言ってたっけ……」
カンナはそれに近づき、あることに気づきました。
「これは……!」
それより少し前。自警団の詰め所の一角。
薄暗い檻の中に、トーマは閉じ込められていました。
「くそ……!」
なんとかここを脱出しなければならない。けれど、なすすべもなく囚われている自分自身を呪うように言葉を吐き出しました。
(今までがんばってきたのに……)
ライラを犠牲にしたくない。そう思ってトーマは、彼女を助けるために様々な努力をしてきました。祭司に神託を取り消すように迫り、村役たちに食って掛かり、それでも叶わないとなれば自分の体を鍛えて、魔物に立ち向かおうと秘密の特訓を繰り返していたのです。
(なのに、魔女一人倒すこともできないなんて……)
そう歯噛みした少年の耳に、一つの靴音が聞こえてきました。
ハッとして顔を上げると、見覚えのある人物が歩いてくるのが見えました。
「あ、あんたは!」




