青いバラ
その晩。カンナは教会そばの神父宅で夕飯をご馳走になっていました。
「ふぁ~、このカボチャのスープおいしいですねぇ~!」
幸せそうな声を出しながら、スプーンで次々とスープを口に運ぶカンナ。
テーブルの上には、炒り豆を入れた小皿があって、小鳥のレイが一粒ずつついばんでいます。
「レイにもご馳走をいただけて、本当に嬉しいです!ねっ、レイ」
カンナがそう話しかけると、レイもチチチッと囀って頭をぴょこっと下げました。
「気に入ってもらえて何よりです。お代わりならあるから心配しないでね」
そう言って神父の妻が微笑むと、
「本当ですかっ!」
と瞳を輝かせるカンナの口の端から黄色い雫が零れ落ちると、さほど行儀作法にはうるさくないクローニ神父もさすがに眉を顰めます。
(このがっつき方、よほど日ごろから飢えているのでしょうか?)
「一体、いつも何を召し上がっておられるんですか?ちゃんと食べておいでなのですか?」
カンナは口の端をぬぐってえへへ、とはにかみました。
「実は、あんまり……お花の世話にもお金がかかりますし」
せっかく稼いでも、肥料や薬液など野花の手入れに消えていくようです。
「本当に、花が好きなんですね」
と神父は苦笑しました。
「はいっ、お花が生き生きとしていると嬉しくなっちゃいますし。……あ、もちろんレイもだよ!お花も動物も、おいしそうにご飯を食べてるのを見ると幸せになれますから、ね?」
そういいながら、カンナは頬をつついてきた相棒の小鳥の羽を優しく撫でます。
「ふふっ、あなたもね。こんなにおいそうに食べる顔を久しぶりに見たわ。……この人ったら、どんな料理を食べる時でもニコリとも笑わなくて」
神父の妻はカンナを褒め、返す刀で夫を軽く詰ります。
「……リムラには会えましたか?」
話題を変えようと神父が問うと、カンナは姿勢を正して頷きました。リムラとは昼間にスズランを手渡したあの女性のことです。
「はい、今夜お尋ねするとお約束しました」
「そうですか。蘇生が上手くいくと良いですね……神に仕える私がこんなことを言うのもなんですが」
そう言って神父は曖昧に笑います。
「いえ、お気遣いありがとうございます」
カンナは小さく首を振り、優しく笑います。
神父が信奉するフォルラ教では、人には定められた天命があると教え、死人を蘇らせる術などもってのほか、とんでもない外法・邪道と考えられています。
フォルラ教の過激派の中には、そうした異教・邪教の者は即刻うち滅ぼすべきと考える者が大勢いて、事実ひそかに各地で「魔女狩り」を行っているという話もあります。
そんな中、神父がそうした邪法使いの少女の世話をしているのは、彼が属する主流派が、なるべく他教や土着の宗教と共存し、穏当に徐々に布教していくという姿勢をとっていることもあります。
しかし、それ以上に重要なのは、カンナ自身がフォルラ教の本部に属し、時に密命を帯びて各地に赴き特殊な任務をこなす人間である、ということです。
「……」
クローニは、食事を再開した目の前の少女を見つめます。
無心にスープを掬い、パンを齧る姿は、16才という齢にしては少し幼く見えます。
けれど、彼女こそはフォルラ教本部で急速に力をつけつつある、若きヴァルクトン司祭の“懐刀”なのです。
今回、この土地にカンナが来たのも、ある任務のため。
リムラの願い―娘を生き返らせたいというもの―を叶えるのも、その任務の一段階に過ぎません。
「……どうかされましたか?」
神父の視線に気づいたのか、カンナは不思議そうな顔でクローニを見つめ返します。
「スープならおかわりがあるって、奥様が」
そういってスープ皿をかばう仕草をする少女に、神父はガクっときてしまいました。
「……いえ、別にあなたの食事を狙っているわけではありませんので」
「ふふっ、冗談です」
邪気なく笑う少女に、
(本当に、この娘が今回の計画のカギを握っているのか)
という不安を抑えて、クローニは続けます。
「例の計画ですが、既に手はずは整っています。明日にはカンナさんにも会議に加わっていただきますので、よろしくお願いいたします」
「分かりました。あ……でも、ボク朝早いのはちょっと苦手で、そのぉ」
上目遣いでこちらをうかがう少女に、神父は苦笑します。
「えぇ、ヴァルクトン様からも伺っております。会議は昼頃からを予定していますからご心配なく」
「えへへ、お手数かけます」
カンナははにかみながら、頭を掻いた。
そこに、ずっと話を聞いていた神父の妻が話しかけます。
「あの、本当になさるんですの?」
妻は一度言葉を切ると、辺りを伺い、声を低めて
「あの“悪魔”を退治するなど、そんなことをしたら―」
「おい!」
咎める夫に、妻は怯えの混じった視線を投げながら、「でも」と反駁します。
「大丈夫ですよ、奥様」
神父たちが振り返ると、カンナはいつの間にか食事を完食して立ち上がっていました。
「“我らが主”の御力は偉大です。その御手は異教徒のボクすらお包みくださるのです。ましてお仕えする皆さまなら必ず、悪魔の災いからお守りなさいますよ。それをゆめお疑いなさいませんよう」
カンナは静かに微笑んでいます。
「違うの、私は!」
ハッと胸をつかれて妻は言いかけますが、
それでは、とカンナはお辞儀をすると、レイを肩に乗せて部屋を出ていきました。
扉が閉まると、クローニは肩を落とす妻に歩み寄りました。
先ほどの言葉は、彼女がカンナに呪いや災いがかかるのではと、思いやってのことと理解できていました。
「大丈夫だ、あの娘は強い」
そう言って伴侶の肩をそっと抱きます。
ただ、カンナが自身を「異教徒」と言った時、瞳によぎったほのかな昏さを神父は見逃しませんでした。
聞くところによれば、彼女自身も、幼いころに迫害を受けたということです。
そんな彼女が、どうしてフォルラ教の尖兵となったのか。
神父は、彼女の来歴に思いを馳せるのでした。
さて、その夜。
カンナはお供のレイを肩に乗せて夜道を歩いています。
昼間のつなぎ姿ではなく、夜闇に溶けるような黒いローブに身を包んでいます。
道沿いの家々の灯りはすっかり消え、屋根も木立も黒い澱のように沈んでいます。
街灯などない田舎道。けれど、少女は明かりの一つも持たずに道をゆきます。
時折辻角で立ち止ると、形のよい鼻腔を動かします。
首を巡らせて、何か匂いを嗅いでいるようです。
「こっちだな」
そうやっては、何の目印もない辻角を、カンナはひょいひょいと曲がって歩いていきます。まるで土地勘なんてないはずなのに、家路を帰るように軽い足取りです。
そのうち、遠目に白くぼうっと光るものが見えてきました。
一軒の家の庭先、バラの垣の上に白い花が掲げてあるのがわかります。
スズランです。
カンナは家の戸口に立ち、古びたドアを小さくノックしました。
間もなく扉は開き、ランタンの明かりが辺りを照らします。それを捧げ持っているのは一人の女性。
「はい、どちら様―」
そこまで言って、ランタンの光に照らし出された少女の顔を見たとき、女性はハッと息を呑みました。その面差しには様々な感情がよぎったようでした。
本当に来てくれたのか、という驚愕。
これから起こることへの緊張と昂ぶり。
女性は目を伏せてそれらを押し込めると
「お待ちしておりました」
深々と頭を下げました。
「ご遺体のほうは?」
カンナが問いかけますと、
「用意ができております。……どうぞ、こちらへ」
そう言って中に招き入れました。小さな石造りの家の中は温かく、よく手入れが行き届いています。
廊下の一番奥まで歩き、扉を女性が開くと、そこには木製の小さなベッドが二つ。窓際の一つには少女が横たわっていました。
年の頃は十四,五歳といったところでしょうか。
三つ編みにした髪には花の冠。瞼は閉じられ、長い睫毛が白い肌に影を落としています。両の掌は胸の前で組まれ、細い身体は白い木綿のワンピースに包まれていました。
一見静かに眠っているように見えますが、頬から血の気はすでに失せていて、呼吸も全くありません。
カンナは少女の亡骸の傍らに片膝をつくと、彼女の様子を観察して
「亡くなられたのは、一か月前とお聞きしていますが」
後ろに立っている女性に問いかけました。
「はい、夏越しの祭りの終わった頃ですので……あの、娘の体に何か問題が?」
母親はためらいがちに尋ね返しました。今になって『依頼』を受けられない、と言われるのではと心配しているようです。
けれど、カンナは微笑んで首を振りました。
「いえ、その逆です。一月経ってもこれほど状態が良いとは……。これなら『対価』も少なくて済みます」
そう言って立ち上がり、少女の母親に微笑みかけます。
「対価……依頼主の寿命が必要、というお話ですね?」
「そうです。復活の期間は三日でよろしいでしょうか。」
「はい。……三日後の祭りで娘は巫女を務めることになっていました」
母親はそう話しながら、娘の遺骸の傍らにゆっくりと近づいて跪きました。
「不幸にも命を落としてしまいましたが、それまで一年間、巫女とのしての修練を懸命に積んでいたのです。……その思いを遂げさせてやりたいのです」
こみ上げてくるものを必死で抑え込んでいるのか、その声は小さく震えていました。
カンナは静かにうなずきました。
「わかりました、ではご息女の蘇生を行います」
蘇生術。
朽ちた骸から肉体を復元し、新たに魂を吹込む術。
人類にとって不老不死・甦りは究極の夢です。数限りない者たちが追い求め、そしてたどり着けぬまま命を散らしていった夢でもあります。
けれど、カンナは世界でただ一人、その夢の力を手にしています。
他人から『寿命』のいくらかを『摘み出し』、死者を復活させるための『種』をつくる。カンナは、魂の一部を別の者の魂に置き換える『換魂術』と呼ばれる術の使い手なのです。
とはいえ、この術も万能ではありません。
蘇生した者の新たな寿命は最長でも三日間。
短い命ですが、愛する者、親しい者を復活させたいと願い、この方法にすがる者は数知れないのです。
この疲れた顔をした母親のように、家族に本懐を遂げさせたい、という依頼人も多くいます。
カンナは指を一本立てて、静かに話しかけました。
「まずは一か月間の寿命、あなた様から頂いてもよろしいですね?」
母親は一も二もなく頷く。
「ええ、よろしくお願いいたします」
「では、お掛けになってください」
母親がもう一つの寝台に腰を掛けると、カンナはその前に跪きました。
「ゆっくり深呼吸をして、目を閉じてください」
その通りにすると、カンナは右手を母親の胸の前にかざします。すると、5本の指の先が緑色の淡い光を放ち始めました。手の甲に円い魔方陣が、指と同じ色の光で描き出されます。母親の胸の上にも同じ文様が現れ、彼女は小さく「うっ」と呻きました。
すると、光の円の中心から緑の小さな光が浮き上がってきました。空中に躍り出た光をカンナが右手で包み込むと、光は瞬く間に消えました。
開いた手には黒い粒が一つ。
「では、目を開けて」
瞼を開いた女性の前に、カンナは掌の上の粒を見せます。
「これが蘇生の『種』です」
カンナはそう言って振りむき、少女の体に近づくと、臍の辺りに『種』をそっと置きました。そして今度は左手を種の上にかざします。右手と同じく指先が緑に光り、遺体を柔らかく照らし始めました。
しばらくすると、『種』に変化が現れます。表面が割け、普通の植物と同じように、小さな芽が飛び出し2枚の葉を広げました。それを見届けると、カンナは少女から離れます。
すると、芽は瞬く間に伸びて、幾つもの葉をつけて成長していきました。
トゲの生えた茎は大人の腕よりも太くなり、少女の体の上を縦横無尽に這い回って、覆い隠していきます。
少女の母親は目に怯えの色を浮かべ、
「ライラ!」
と声を上げて、少女に駆け寄ろうとします。それもまた無理からぬこと。得体の知らない植物が、幾十幾百の葉をこすり合わせ、ギシギシと茎を軋ませながら成長していく様は、花というよりまるで蛇のようです。しかし、
「動かないで!」
カンナは凛とした声でそれを制しました。闇夜の中でも彼女の瞳が澄んだ光をたたえているのが分かります。
すっかり遺体が見えなくなると、茎はすっと上へと伸びました。そして、その先端が風船のように膨れて一抱えほどもある大きさになると、ぴたりと成長が止まりました。
どれほどの時間が経ったでしょうか。いつの間にか上った月が窓越しに白い光を投げかけ、巨大な蕾の先端を輝かせています。
突然、球形のつぼみは解け始めました。幾重にも閉じられた花びらは円舞を踊るように広がり、銀の月光の下で夜露に濡れたような艶やかな青色に輝きます。
大きな、大きな、青いバラが咲きました。
そして。
泉のように湧き上がる花びらの奥に何かが蹲っているのが見えてきました。
それは人間でした。
花の中心に膝を抱えた一人の少女。
黒いイバラの『養分』となった少女と同じ顔。
けれど、寝台に横たわっていた白い亡骸とは違い、その頬には血色が戻り、一糸纏わぬその肌は柔らかく生気に満ちています。
「ライラ!」
母親が再び、娘の名を呼びました。その声に応えるように、少女は抱えた膝の中から顔を上げ、瞼を開きます。瞬きを二、三度繰り返し、ゆっくりと声の方に目を向けました。
「あぁ、ライラ……」
母親は信じられないといったように首を小さく振ると、その場にくずおれてすすり泣き始めました。
「お、母、さん?」
まだ意識がはっきりしないのか、自分の身に何が起きたのかも、なぜ母親が泣いているのかも理解できてないようです。けれど母親を慰めようと思ったのか、少女は花びらの中から這い出ようとしてバランスを崩します。
転げ落ちようとする細い体を受け止めたのはカンナでした。
「あ、あの……?」
未だ寝ぼけ眼の少女は、見知らぬ顔に首をかしげます。
カンナはほっと息をつくと微笑みました。
「初めまして、お姫様」
「あなたは?」
「ボクはカンナといいます。お母さんの依頼で君を蘇らせにきました」
「よみがえらせ?……!」
そこまで言って少女ははっと息を呑みました。一か月前、自らに残酷な運命が訪れたことを思い出したようです。しばらくカンナの腕の中で震えていました。
「わ、私……」
「大丈夫。大丈夫だから……」
カンナは何度も何度も優しく背を撫でて少女を落ち着かせます。しばらくすると、ライラと呼ばれた少女は、
「……あの、ありがとうございます、もう平気です」
と答えました。
「君は、ノレグ神に仕える巫女だということだけれど、今でも巫女をやりたいと思う?」
ノレグとは、フォルラの神ではありません。この土地で崇められている土着の神―さきほど、神父の妻が「悪魔」と呼んだ存在のことです。
ライラはためらうことなく頷きました。
「もちろん、巫女としてお勤めしたいです。どうか、よろしくお願いします!」
そう言って胸元に縋り付かんばかりの少女に、カンナは苦笑しました。
「ごめん、ボクはここの土地の神様に仕えてはいないんだ。だから村長さんや祭司の方にお願いするといい」
「そうなんですか?生き返らせる力をお持ちだから、きっとノレグ様からお力を授かっておられるのだと」
つぶらな瞳で見つめてくるライラに、
「ボクは、ただの野花屋だよ。どうしてこんな力を持っているのか、というのは……話せば長くなるんだ」
そう言って少女を床にそっと降ろすと、カンナはこう続けました。
「けれど、本当にいいの?ここのお祭りに詳しいわけではないけれど、聞いたところでは巫女は、生贄として神に捧げられるのがその役目なんだよね?」
ライラに相対し、その瞳をじっと見つめる。
「三日後、君は生贄としてノレグに食い尽くされる。つまり、一か月前よりもさらに強い苦痛と共に死に赴くことになる。それでも、いいの?」
静かに覚悟を問いただす声が、低い天井に響きました。
けれど、少女もまた大きな瞳に強い光を宿して答えました。
「はい、それが私に与えられた使命ですから」




