死闘の幕開け
祭りの朝が静かに訪れました。
祭司の一行が、ライラを迎えにやってきました。
「本当にありがとうございました。昨夜は本当に楽しかったです」
ライラがそう言うと、カンナも頷きました。
「うん、ボクも。なんだか勇気をもらった気分だよ。きっと、魔獣は倒してみせるから」
君が安らかに眠れるようにきっとしてみせるから、とカンナは強く誓いました。
そう言ってライラと抱き合った後、カンナは一輪の花を取り出しました。
花弁がオレンジ色に輝く雛菊の仲間です。
「勇気のお守りだよ、どうぞ」
涙を流して頷きながら、ライラはそれを受け取りました。
そして親子の別れの時が来ました。
「ライラ……」
「お母さん……ありがとう」
使いの者が引きはがそうとするまで、母と娘は長い時間抱擁を交わしていました。
ライラが去った後、カンナはしばらく泣き崩れるリムラに寄り添っていました。二度も愛娘との別れを味わわねばならぬ母の心境とは、どれほどのものでしょうか。
「それでは、ボクも行きますね」
「はい、娘をよろしくお願いします」
深々と頭を下げるリムラに見送られて、カンナも祭りの丘へと向かいます。
村の広場は、それはもう大賑わいでした。こんなにも人がいたのかと思うほどに人で溢れかえっています。露店が所狭しと並び、老若男女問わず、鮮やかな晴れ着を身にまとった人々が行き来しています。
恐らく例年の祭りと変わらない風景。ほとんどの村人は、今日、自分たちの長が祭神に歯向かうなどとは露ほども知りません。無用な混乱を避けるためです。
神殿内に一歩足を踏み入れると、静謐な空気が肺に流れ込んできました。
廊下を歩いていると、レミと出会いました。
彼女もまた、今夜の本祭で祭司たちの手伝いをするため、白い装束に身を包んでいます。薄く化粧を施した顔はいつも以上に妖艶に見えます。
すれ違いざま、カンナは
「今夜のこと、よろしくね」
と話しますと、レミは小さく頷きました。
昨日の村役場前での頼み事。
実は、花園の管理以外にも、彼女にお願いしていたことがあるのです。
カンナは祭司たちと最後の打ち合わせを行った後、沐浴をしました。
神殿に仕える女性たちの手を借りて、カンナも衣装に着替えました。
たっぷりと白絹を体に巻き付かせ、余った分は両手足に輪のように掛けられて結ばれます。
(なるほど、棒にでも引っ掛けて、魔物の口に放り込むにはちょうどいいってわけだ)
それでも涼しい顔で神殿の外に出ます。既に陽は高く昇っています。
神殿から祭壇の丘までは、小さな籠に乗って運ばれました。
丘の上には、埋め尽くすように人が集まっています。
祭壇の周りは厳めしい垣に囲われ、ここが聖域であると示しています。その聖域の中、祭壇とは五メートルほど離れたところに、白い砂を撒いた場所があり、その後ろには4人の男たちが長い儀式用の槍をもって控えています。
カンナはそこまで運ばれると籠から降り、しゃんと背を伸ばして砂の上に座りました。
正午から始まった祭りも、日暮れ頃にはいよいよ最高潮を迎えていました。
いつの間にか、雨雲が空を覆い、遠くの方で雷が鳴っています。
低く響く太鼓の音に合わせて、祭りの巫女、ライラの登場です。薄絹に金銀の紗々をかけた衣装に身を包み、化粧を施されたライラは、かがり火の光を受けて、この世ならぬ雰囲気を纏っています。
そして、その髪にはカンナがプレゼントした花が髪飾りのようにつけられていました。
祭壇に取り付けられた階段を上り、彼女は一人、その頂上に立ちます。
長く尾を引くような囃子の声に合わせて、ライラは舞を踊ります。初めは静かに摺り足で、舞台を回ります。やがて、演奏に熱がこもり、音楽のリズムが増すにつれて、舞も激しくなっていきます。石舞台の上で、細くしなやかな肢体が踊るたび、薄絹は羽のように風を切り、橙色に光る肌から、玉の汗が飛びます。
そして、ぱっと蜻蛉を切って着地すると、祭壇の周りから地鳴りのような拍手が沸き起こりました。
それが鳴りやまぬ中、太く長い棒を持った男たちが祭壇の四方に駆け寄り、その先端を舞台の上のライラへと近づけます。すっと立ち上がり両腕を伸ばしたライラ。彼女の四肢につけられた金属の輪に棒の先が差し込まれ、彼女の体が宙に持ち上げられます。
祭司が低い声で、長い節回しの詞を読み上げます。
祭神を呼び出す、呪文です。
おおおおおおおおおおおおお
見つめる観客から唸り声が上がり始めます。現れてくる魔神に自分も喰われないよう、まじないの声を上げているのです。
祭司の声はどんどん高く、太鼓のリズムも速くなっていきます。そして、
突然、ガラス板をひっかくような耳障りな鳴き声が聞こえました。
「来るぞぉ!!」
誰かが叫びます。魔神ノレグの登場です。
祭壇の中央がぐっと膨れ上がり、バキリという音と共にその中心に裂け目が出来ました。中から現れたのは、幾重にも重なった鋭い牙と、血が滴るような真っ赤な口。
祭壇そのものが、化け物となって吊し上げられた生贄を食らおうとしています。
(よし、今だ!)
カンナは白砂の上に手を置き、力を込めました。
「はぁあああっ!」
見る間に両手の指が一斉に緑色の光を眩いばかりに放ちました。
すると、祭壇の際の地面から、人の体よりも太い幹を持った草木が立ち上がり、祭壇の壁に取りつき、ツタのようにその表面を覆っていきます。
化け物は太い蔓が自分の体を縛ろうとするのを嫌がり、耳をつんざくような悲鳴を上げ、岩の身をよじって振りほどこうとします。バラバラと石壁は崩れ、礫石が観客へと降りかかります。
「きゃあぁ!」「逃げろ!」
悲鳴と怒号が飛び交う中、カンナは両手の光を強めて、次々と魔神を拘束する植物を地面から立ち上げます。
「くぅ……!」
しかし、思ったより魔神の抵抗は強く、いくつかの蔓は引きちぎられていきます。さらには、地面が大きく震えると、祭壇の四隅が盛り上がり始めました。
「ひ、ひぃ~!こいつ、あ、足を持ってるぞぉ!!」
巨大な爬虫類を思わせる足が穴から這い出し、岩の身体を持ち上げようとします。
棒でライラの体を支えている男たちも怯え、今にも逃げ出しそうになっています。
「巫女を落とさないでっ!そのまま支えて、もっと上にっ!」
カンナは鋭い声で叱咤激励します。
本来の予定では、この祭壇を蔓の力で砕き、中にいるであろう本体をむき出しにするつもりでしたが、今のままではこの場に縛り付けておくのが精一杯です。
(これじゃあ、らちが明かない)
4本の棒に支えられたライラはじっと目を閉じたまま一言も発しません。
魔物の禍々しい顎が迫り、血生臭い息を吐きかけられようとも、凛として立ち向かっています。
あの子の思いに応えたい……そう思ったカンナは
「後ろにいる方、聞こえますか?ボクを魔物の口の先まで持ち上げてください!」
と叫びました。
村長の言葉通り、カンナを生贄に捧げるための要員であった男たちは、まさか少女が自分たちの意図には気づいていないと考えていたのか、え、と戸惑いの声を上げます。
(どうしよう、まだ村長の合図も出ていないのに)とでも思っているのでしょう。顔を見合わせるばかりの男どもに、
「グズグズするなっ!」
カンナがカミナリを落とすと、
「は、はいっ!」
4人は慌てて、カンナの衣装に槍を引っ掛けると、ぐっと祭壇へと持ち上げました。
「さぁ、第2段階、開始だ!」
次回は、27日18:00に投稿します。
追記
すみません、22:00投稿に変更します