秘密~Under the roses~
遅くなりました、予告通り追加投稿いたします。
ライラは虚を突かれたように少し沈黙しました。何のことを言っているのかは彼女も理解しているはずです。けれど、アハッと乾いた笑いを浮かべると、
「目を逸らすって何のことです?」
とはぐらかしました。カンナは
「村長の好きにさせたままでいいの?」
と重ねて問いかけました。ライラの瞳が揺れ動きます。その頬からは血の気が引いています。
「……もう終わったことです。それにカンナさんが神様を、いえ、ノレグを斃してくだされば、もう誰も巫女として苦しまなくていいんでしょう?」
“巫女として操を守るべき少女を汚してはならない”
当然のように「禁忌」と考えていたことが、ただの人間側の思い込みであり、そんな禁忌を犯しても、特に「天罰」はくだらない。
その事実に村の上層部が気づいたのはいつからなのでしょう。いずれにしろ、それ以来、彼らは神の威光を盾に、いとけない少女を囲い、自らの欲望の餌食にしてきました。しかし逆に言えば、生贄の因習が終われば、男たちに食い物にされる娘もいなくなる。ライラはそう考えているようです。けれど―
「終わってないよ」
カンナは一歩詰め寄ります。
「悲劇は終わってない。魔物がいなくなっても、あいつら自身が化け物であることに何ら変わりはないから」
現に、レミは苦しんでいます。レミは自らも凌辱されていることを親友にも告げることができずにいるのです。否、親友だからこそ、でしょうか。
ライラは青ざめた顔のまま俯いています。カンナは、小刻みに震えるライラの肩を抱き締めました。
「それにね、ボクは『君』の気持ちが聞きたいんだ、村のため、友達のための気持ちじゃなくて、君の気持ちを」
人として過ごす最後の夕暮れに、わざわざカンナを誘って思い出の場所に来た―それは(カンナの自惚れでなければ)ライラが何か伝えたいと無意識に思っているからでしょう。
いつだって、誰かのためを思っている、美しく優しい心の持ち主。けれど、奥底に秘めた心はきっと叫びたがっています。本当の自分を見つめてほしいと。それをくみ取れるのはもう今しかありません。だから、カンナは語気を強めてこう宣言しました。
「ボクが奴らの罪を暴いて見せる。君の汚名を雪いで、君を『役目から逃げた卑怯者』と謗ったバカどもの前に真実をぶつけてやる!」
「カンナさん……」
ライラはもう目を真っ赤にさせています。
「そのための舞台も材料も揃っている。けれど、それを君が望まないというのなら、ボクに手出しする権利はない。……だから、聞かせてくれないか、君の心を」
「私の……」
「大丈夫、ここにはボクたち以外誰もいないから」
カンナへの見張りも、あれは単に外部の人間との接触を恐れてやっていることですから、今はライラの家の前にでも張り付いていることでしょう。
「ちょうどここには薔薇も咲いている。よく言うでしょ、“薔薇の下で話したことは秘密”って」
カンナがそう微笑むと、ライラは唇をわななかせます。
「……して……あいつらを滅茶苦茶に叩きのめして!!……わたしを、滅茶苦茶にした奴らを地獄に突き落としてえええ!!!」
ライラは大声で叫ぶと、火が付いたように泣きました。泥のように黒い感情を吐き出して、少女は唸るように泣き続けました。
よく言えたね、ようやく言えたね、とカンナも涙を流しながらライラの髪を、背中を何度も撫でました。夕闇の中、カンナはライラが落ち着くまでずっと抱きしめていました。
その夜、ライラとリムラ、カンナの三人で囲んだ夕餉は楽しい一夜となりました。
カンナはどんな場所でどんな花を見つけたか、どれほどに美しかったかを語って聞かせました。冒険譚を聞く子供のように、顔を輝かせたライラの瞳がどれほど綺麗であったか。カンナはきっと忘れないだろうと思いました。
再び場所は移り、同時刻。
救民軍のいる集落。
「なんで、軍を出してくれねぇんだ!」
兵士たちの手で後ろ手に拘束されながら、トーマは歯をむき出しにして怒鳴ります。
それでも、怒りを向けられた男は、毛ほども臆することなく爪の手入れをしながら答えます。
「ですから、先ほども申しましたように、正式な討征文書がなければ、我々も動けないんですよ」
救民軍の小隊長と名乗るこの男は、そう言って少年を冷たく見返しました。
トーマは歯ぎしりをしながら睨み返しています。
救民軍の拠点はすぐに見つけることができたものの、トーマにとっては、そこからが苦労の連続でした。
忙しいからと理由を付けられて面会の時間をどんどんずらされ、ようやく目通りがかなったのはお昼過ぎ。そして、トーマが神父から託された嘆願書を差し出すと、この男はそれを一瞥するやいなや、思いもよらぬことを言ったのです。
「あぁ、残念ながら、これではだめですねぇ。せめて司祭の方からの紹介状がなければ」
そう言って、小隊長の男はでっぷりと太った体を揺すって退席していきます。
あっけにとられて物も言えないトーマは護衛の兵士たちに抱えられて追い出される始末。そこから監視の目を潜って、ようやく男がいる休憩所へ突撃したのですが、返答は全く変わらないものでした。
「くそっ、ンなものなくても助けるのが常識だろうが!人の魂がかかってるんだぞ!」
哀れな少女の魂をみすみす魔物にくれてやるつもりなのか、と少年は食ってかかりますが、
「魂のかかった重大事であればこそ、軽々に兵は出せんのです」
「はぁあ?」
「良いですか。どんな人間にも、また組織にも、責任というものがついて回ります。位の高い人間ほど、そして力を持った組織ほど、行動に対する責任は重大なものになります。となれば、我々は責任というものに対して真摯に向き合う必要があるのです。真摯に向き合うとはつまり、己の領分を自覚し―」
「っるせぇ、早く村に来いってんだよ、このくそデブっ!!」
男の長講釈にトーマは猛然と罵声を浴びせます。
「貴様、隊長に向かってなんて口を!」
兵士たちがトーマを地面に押さえつけますが、当の隊長は、笑っています。
「やめなさい、子ども相手にみっともない。……まぁ、落ち着いて待ちなさい。今、隣町まで人をやって教区の司祭様に伺いを立てている所ですから」
悠然とした態度の男に、
「そんなの待ってられるかよ!」
トーマは身をよじりながら、怒りを燃やします。
(くそっ、なんだかんだと手前が動きたくない理由ばっかりつけやがる!やっぱり、他人を頼ろうなんて間違いなんだ!)
少年は息をはーっと吐くと、吐き捨てるように言いました。
「もういい、もうアンタらには頼まねぇ」
拘束が解かれると、トーマは
「そこで一生クソ垂れてろや、タコ!」
と捨て台詞を残して、自分の馬を指笛で呼び、さっと駆け出していってしまいました。
兵士たちは小隊長に
「良いのですか、あのまま放っておいて」
と尋ねます。小隊長は、フンと鼻を鳴らしました。
「野良犬一匹、捨ておきなさい」
そして、おもむろに席から立ちあがると、休憩所の天幕から外に出ました。ちょうどやってきた副長を呼びつけて耳打ちします。
「行軍の準備を。今日夜半には出発しますよ」
副長は驚いて、
「しかし、例の村には行かない、という話では?」
と問い返します。
「村などどうでもよい。後から如何様にでも処置できます。けれど、先ほどの嘆願書で気になることがありましてね」
隊長はトーマの駆け去った方角を見つめます。腫れぼったい瞼の隙間から、冷たい眼光がほとばしり出ました。
「あなたは、『魂摘みの魔女』というのを知っていますか?」
「……!」
副長もその名に聞き覚えがあったらしく、小さく身を震わせます。
「その魔女が今、あの村にいるというのです。……ククク、これも天命。かくなる上は討伐せねばなりますまい」