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野花売りの少女

「先生、せんせーい!」

 クローニ神父はその声に振り返りました。教会の戸口には背の低い少年が息を切らしながら立っています。

「あぁ、トーマですか、どうしました?」

 神父がそういいながら、少年の元に行くと、

「こいつに……早く水を」

 トーマと呼ばれた少年は肩で息をしながら、横にあごをしゃくりました。その先には大八車が止まっています。荷台の上には所狭しと花の鉢が置かれていましたが、その中心に横たえられた大きな布の包みを見て、クローニ神父は驚きの声を上げました。

「こ、これは!」

 白い布に包まれているのは、一人の少女でした。ぐったりとして、か細い息を漏らしています。

「分かりました、とにかく中へ!」

 神父はトーマと共に少女を教会に運び入れました。


「いやぁ、ご迷惑をおかけしましたぁ~」

 のんびりした声でそう言うと、少女は頭を掻きました。長い金髪が揺れて、窓から差し込んだ光を受けて輝きます。

 少女の色あせた作業着の肩に一羽の小鳥が止まり、彼女に向って(さえず)ります。

「うん、レイにも心配かけたね。もう大丈夫だからね」

 少女はそう言って微笑むと小鳥の頭を指でそっと撫でます。

「全く、驚きましたよ。カンナさん」

 クローニは小さくため息をつきました。

「確かに到着が遅いとは思っていましたが、まさか熱中症で倒れているとは。しかもトーマが発見したのはこの村への街道から外れた山中だというじゃありませんか。どうして道草などしていたのです?」

 そう言って呆れたような視線を投げかけると、少女はえへへ、と言ってはにかみました。

「道中、ソラアヤメの群生地が近くにあると聞いて居ても立っても居られなくなっちゃって。あ!ご覧になりますか?ボク、何株か採ってきたんです―」

「遠慮申し上げます!」

 椅子から立ち上がって自分の荷車へ行こうとする少女・カンナをクローニは手で制しました。

「そうですか?もうすぐ蕾が開くところなんですけど」

 そう言って首を傾げるカンナ。先ほどまで真っ白だった彼女の顔に血色が戻り、大きく丸い瞳にも生気が満ちています。どうやら元気にはなったことに安心しつつ、神父は低く落とした声で語り掛けます。

「野花も結構ですが、ご自分の体も大事にしないといけませんよ?水分を取るのも忘れて野山を駆け回っていたら、脱水症状を起こすのも当たり前―」

「あああぁ!」

 クローニの忠告が終わらぬうちにカンナは素っ頓狂な声を上げました。

「どうしました?」

「大変、あの子たちにお水をあげないと!」

 カンナは慌てた様子で外に飛び出して辺りを見回しました。

「どこ、どこなの?」

 そこにやってきたトーマを見つけると、カンナは駆け寄りました。

「あ、あなた、ボクの荷車知らない?あそこにはボクの―」

「あぁ、花の鉢なら今水を遣ったところだ」

 そう言ってトーマが視線を向けた先へカンナは駆けだしました。教会の裏手に大八車が停めてあり、その前に並べられた花鉢はどれも水に濡れています。それを見たカンナは胸をなで下ろしました。

「良かったぁ~」

「よくわかんなかったけど、一応全部に遣っておいたぞ」

 ほっと息をついているカンナにトーマが声をかけると、

「うん、ありがとう!本当に助かったよ!」

 カンナはぱっと立ち上がってトーマの両手を握りました。

「ソラアヤメは清流の中に生きている花なんだ。少しでも水を絶やすと枯れちゃうから目を離すわけにはいかなくてねぇ……あ!」

 そう早口でまくし立てるカンナは、再び目を円くすると、ぐっとトーマの鼻先に顔を近づけました。

「お、おい―」

「ねぇ、今何時?」

「え?」

 深い(すみれ)色の瞳に見つめられてたじろぐトーマの後ろから、

「さきほど11時になったところですよ」

 いつの間にか来ていたクローニ神父が答えました。それを聞いたカンナは

「大変、急がなくちゃ!」

 パッと身を翻して大八車に駆け寄り厚手の帆布を取り出しました。

 慌てた様子で帆布を広げて荷台を覆うと(かじ)棒を掴み、

「よし行くよっ、レイ!」

 お供の鳥を肩にのせ、重い荷車を引っ張って走り去ってしまいました。

 先ほどまで倒れていた人間とは思えないほどの元気の良さに、

「な、何なんだあいつは……」

 呆然と見送る少年の背中に、クローニが声を掛けます。

「あの子は野花屋ですよ。世界各地で野花を摘んでは、ああして村から村、町から町へと売り歩いているのです」

「野花屋……」

 トーマはカンナを助け出した時のことを思い出していました。少年は山菜を取りに山に入ったところ、この辺りでは聞いたことのない鳥の鳴き声を聞いたのです。何とはなしにそちらに目を向けてみると、川の傍で伏せている人影とその上を飛びまわる鳥の姿。トーマは急いで駆け寄り助け起こすと、

「水、水を……」

と訴えるので自分の水筒の水を飲ませたのですが、カンナは首を振り、

「花に……水を」

などと言い出すので、少年は驚くしかありませんでした。その上、意識が朦朧としたまま立ち上がり、荷車を動かそうとする始末。慌てたトーマは半ば無理やりカンナを荷台に乗せると、山を駆け下りて村の教会に運び入れたのです。

「彼女は広場のほうに向かったようですね。野花は鮮度が命。少しでも早く店を開きたくて仕方がないのでしょうね」

 また倒れなければいいのですが、と神父はため息をつきます。

「ずいぶんと商売熱心なんだな、あいつ」

 皮肉っぽく返したトーマに、

「そういえば、トーマ、あなたも用向きがあって山に入ったのでは?」

と神父が投げかけると、少年は「あぁ!」と思い出したように叫び、

「そうだった、忘れてた!」

自分の荷物を取ると、急いで山の方へと駆け出していきました。

「あ、気を付けていくんですよ!」

 クローニが声をかけますが、耳に入っているのかいないのか。

「似たもの同士、ですかね」

 神父は再び、やれやれ、とため息をつくのでした。



「このあたりがいいかなぁ」

 村の中心に位置する広場を眺め渡した後、カンナはそう言って広場の片隅に荷車を止めました。

 それから、10分ほどかけて車から荷物を降ろし、馬車の前に小さな天幕を張りました。広げた敷布の上に並ぶのは、沢山の花たち。

 大小さまざまの鉢植えがひな壇の上に据えられて、大きく広げられたパラソルの下には、切り花を入れたバケツが置かれています。

 最後に、花柄のエプロンを荷物から取り出すと、身に着けます。

 レイがチュチュンと囀ると、カンナは頷きました。

「うん、始めようか!」

 

「窓辺を飾るカラアオイ、食卓彩るユキドリソウ、心華やぐ鉢植えはいかがですか~!野花屋カンナにどうぞいらっしゃいませ!」

 行き交う人は皆、足を止めてカンナの方に振り向きます。幾多の視線に、にこやかに微笑み返しながら売り込みを続けると、

「野花屋ですって」

「珍しいわね」

 何人もの村人が、店の方に歩いてきて、興味深そうに花を眺め始めます。

カンナのお店には続々と人がやってきます。普通の花屋では手に入らないような花を売り歩く野花屋はどこでも人気なのです。

 加えて、たいていの野花屋は男性がやっています。野花が咲いている天然のお花畑は決まって険しい山や谷、人里離れた僻地にあるものですし、そこまでの道中には猛獣や野盗が潜んでいます。体力に優れ、そうした危険を潜り抜けられる者しかこの商売は務まりません。女手一つの野花屋はそれだけでも珍しい存在だということです。

 母親に手を引かれた子供がわぁっと声を上げました。

「綺麗だね~!」

「まぁ、本当ね~」

 微笑み返す母親の隣で、中年の女性がカンナに声をかけます。

「あの、そこの黄色の大き目の花をひとつ」

「はい!こちらのテンテンギクですね、ありがとうございます!」

 さっと対応すると、カンナは慣れた手つきで鉢植えを包んで手渡しました。

 お代を受け取ると、

「ありがとうございました!またのおこしを!」

 とびきりの笑顔で送り出すカンナの元に続々とお客さんが集まってきます。

「さぁさぁ、いらっしゃいませ!感謝の気持ちでヒメヤナギ、想い伝わるソラアヤメ、大切な方に贈る花束はいかがですか~!」

「この花束を包んで欲しいんだけど」

「お、俺はこっちのを頼む!」

 普段花にはまるで興味を持たなそうな男性もこぞって買い求め始めます。それは野花そのものの魅力もさることながら、売り手であるカンナに惹かれて、というところが大きいでしょう。ユリのように白い肌。ひなげしのように赤い唇。菫色に輝く澄んだ瞳。そして、ヒマワリのように輝く金の髪。どれ一つとして人目を惹かないものはありません。ただ一点、つぎ当てだらけのボロボロのつなぎを着ていることを除けば……


 今日も、あっという間にカンナの持ってきた花は売れていきました。

 そろそろ店じまいをしようか、と考えているところ、不意に声を掛けられました。

「あの……青いバラをいただけませんか?」

 

 カンナが振り返ると、一人の女性が立っていました。年は、40代ほどでしょうか。目鼻立ちは整っていますが、その表情にはどこか疲れと哀しみが漂っているようです。

 青いバラ。

 それは、カンナが持つ「もう一つの仕事」の依頼を意味します。

 カンナは静かに微笑みました。

「分かりました、では後ほど“お持ち”いたします。まずはこれを―」

 そう言って、カンナは懐からスズランの花束を取り出しました。

「これをお家の軒先に掲げてください。月の光を浴びるとよく光りますので」

 花束を手渡すと、女性はすがるような眼で見つめてきました。

 不安なのだろう、とカンナは思いました。

 果たして、目の前の少女は願いを叶えてくれるのだろうか、と。

 無理もないでしょう。


 ひと一人、よみがえらせるなど、本当にできるのか。


 疑いたくなる気持ちも分かります。

 だから、カンナは女性にもう一歩歩み寄り、彼女の手をそっと包みました。

「今夜、必ず参りますから、信じてください」

 そう言って優しく微笑むと、女性もわずかに微笑み返しました。

 女性は深々と頭を下げて踵を返して帰って行きます。

「またのおこしを、お待ちしております」

 彼女を見送ると、カンナはテントを畳みました。


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