プロローグ
「それでは、あとはよろしく」
戸松先生はそう言うと、足早に教室を後にした。
戸松先生の後を継ぐ形で、青木光が教壇に立った。
「では皆さんも知っていると思いますが、祭長を男女一人ずつ決めていきたいと思います。やりたいという方は挙手願います」
光はハキハキとした口調で話を進めていく。
祭長を二人決めるだけ。字面で見ればすぐに終わりそうな話であるが、実際はそういかない。祭長という役職の過酷さを皆知っているからだ。
八広高校では、体育祭を七月末、学校祭を八月中旬に行う。これは行事を早めに終わらせて受験生に勉学に集中してもらうという、進学校である八広高校らしい考えなのだが、圧迫されたスケジュールは生徒会だけでは対応できないため、祭長という役職が作られた。体育祭、学校祭の両方において、運営等に関する生徒会への手助け及び自クラスのリーダーとしてクラスを導いていくことが祭長の役目となる。前者の方は基本的には生徒会でまかないきれない雑事をやるだけなので、さほど負担はない。問題は後者の方で、クラスに関する全てのことを祭長が行わなければならない。体育祭では種目ごとに選手の選出、練習場所の確保等を行い、学校祭ではそれぞれの出し物に関しての予算やスケジュールの管理等を行う。祭長二人にはかなりの負担だ。もちろん、クラス全員で協力できれば大変ながらも祭長としての役目は完遂できるが、協力を得れなかった時はただただ悲惨だ。部活をしている人もいれば、友達と遊びたい人もいる。要は人望もあり、仕事もできる人でないと祭長は務まらないということだ。去年も勘違いチャラ男や生真面目がり勉君が祭長になったクラスの末路は中々にひどいものだった。百害あって一利なし。いや一応立場上クラスのリーダーになることで優越感に浸れることを考えると、百害あって一利ありといったところか。
そんなわけで、誰も挙手しない。当然俺も。
「うーん、立候補者が出ないな……。では今から他者の推薦も可能にします」
光はわかりきっていたかのように、次の段階へと話を進める。自発的な立候補者がいなければ、推薦を募る。学校ではよくある流れだ。
ざわざわと教室内が俄かに活気づく。「男は光で決まりだろ」「女子はやっぱり藤沢さんかなぁ」「白雪さんでもいいよね」などとあちらこちらで祭長にふさわしい人物の話し合いが行われていた。
推薦なんてものは人気投票みたいなものだ。自然に適する人は限られてくる。
「私は光くんと茜ちゃんが良いと思いまーす」
皆の意見をまとめるように、誰かが意見を述べる。
「他に意見がある人はいますか?」
光の言葉のあとに挙手する人は出てこない。おおむね先ほどの意見に賛成みたいだ。
こういったことは人気者の宿命なのかもしれない。時には面倒事を被ることもある。しかし俺みたいに話題にすら出ない人もいることを考えると、有名税を払うことは仕方がないだろう。人気者も楽ではないということだ。
「うーん、困ったな……。推薦してくれたのは嬉しいんだけど、俺はサッカー部の部長もやっているしクラスの委員長もやっているから、これ以上のかけもちは厳しいんだよね」
困ったような表情を浮かべる光。
確かに祭長になってしまうと、文化祭の終了まで放課後の時間は拘束されることが多くなり、部活動への参加は制限されてしまう。光は部長という立場上、サッカー部への参加があまり出来なくなってしまうのは避けたいところだろう。放課後の自由がなくなって困るのは光に限った話ではないが、光の場合特に厳しい事情があるし、皆もそこはわかっているので文句を言う人はいない。人徳の賜物だ。俺だったらそうはいかないだろう。
どうしようか……と、腕を組みわざとらしそうに考えている光がチラッと俺を見た気がした。しかしそれも一瞬で、すぐに視線の先は切り替わり、また別の方向に目を向けていた。その視線が誰に向けているものかはわからなかったが、それに呼応するように藤沢茜が発言をする。
「私も女バスの部長だし、祭長は出来ないと思う。だから代わりの人を推薦させてもらうわ。私は、姫菜を推薦します」
女子側の祭長に推薦されていた藤沢さんだが、彼女も女子バスケ部の部長をやっているらしい。俺の中の藤沢さんのデータは「カースト上位の美人」しかないので、部長という話は初めて知った。同じクラスということ以外に接点がないし、話したこともないから仕方がない。
藤沢さんの推薦に、大げさに拒否の仕草をとっているのは白雪姫菜。白雪さんもカースト上位で、人気だけなら藤沢さんよりも高いかもしれない。明るい性格で誰にでも優しく、その上可愛いということで、男子人気はもちろんのこと、裏表のない感じもあってか女子の友人も多いらしい。何というか、出来すぎて嘘くさい感じを受けるが、そう感じるのは俺の性根がひん曲がっているからなのかもしれない。
「俺としても、姫菜が祭長をやってくれると助かるな。皆はどうだろう?」
光の意見に皆肯定の意を示す。上手いもんだ。白雪さん自身の意見を聞く前に、全体の意見を聞くことで断りづらい雰囲気を作る。光みたいな人気者がやってほしいと言うことで、雰囲気作りもより強固なものになっている。こうなると白雪さんは断ることが出来ない。
「じゃあ、やらせてもらおうかな」
女子の祭長は白雪さんに決まった。
しかし、光らしくない。今のだと自分の都合のために、白雪さんを無理やり祭長に仕立て上げた感じだ。責任感溢れる光の行動とはとても思えない。ただこのままだと、いつまでたっても決まらなそうではあったし、多少の強引さは仕方がないのかもしれない。
「俺も代わりの人を推薦させてもらおうかな」
光はまたチラッとこちらを見た。今回は確実に俺を見ていた。そこで俺は気づいた。今までの光のらしくない行動の真意に。
「俺は秋都を推薦します。皆もいいよね?」
光は皆に同意を求める。白雪さんほどではないが、同意の声はあがってきた。
秋都と光は言った。松風秋都、紛れもなく俺の名だ。
白雪さんの時と同様に、光は俺の前に全体に確認を取った。光が言うんだから、という理由で同意した人が大多数だろう。人気者の言うことは大体正しいの法則だ。
更に言えば、中々決まらない中でもう誰でも良いという空気も少なからずあった。白雪さんと一緒にできるということで、男子陣のテンションは若干上がった(気がする)が、祭長の大変さを考えてすぐに下がっていった。
「秋都、お願いできる?」
光の言葉は、頭には入っていなかった。
友人がほとんどいないカースト最底辺の俺に頼むか、普通。他に適任がたくさんいるだろう。何で俺なのかがよくわからない。
とりあえず、後で光に理由を問いただそう。ついでに飲み物でも奢ってもらおう。
「がんばります」
脳を通ることなく、言葉が口から出た。
こうして、俺の祭長としての日々が始まった。