家族
その日、イライアとビバルとエルナンは予約しておいた宿に泊まる事にした。
マルティネスにも一応声をかけてみたが、先に帰ると言うので、エルナンの魔術で母の元に送り返した。これから監視付きで過ごす事になるのだろう。
宿の主人には迷惑をかける事になったが、アイハとの敵対関係が終わった事、隣国の新しい王を泊められるという事で主人は機嫌がよかった。おまけに宿の女将が軽食まで作ってくれた。本当に感謝してもしきれない。
というわけで、三人は食堂で遅い夕食をとっていた。宿の主人と女将は気を使って席を外してくれている。
「それにしても僕の妹はひどいよな」
パンを千切りながら兄がつぶやく。
聞き捨てのならない言葉だ。イライアは食べていた柔らかいニンジンを飲み込んでから兄の方を向く。
「何がひどいんです?」
「だって僕の息子がレトゥアナにいるって知っていたのに黙っていたし……」
イライアはそっと肩をすくめ、スープに戻った。野菜たっぷりの温かいスープに幸せな気持ちになる。
無視している事に腹が立ったのだろう。兄の眉が潜まった。
「イライア……」
「このスープ美味しいですね、ビバル様」
「イライア、返事はきちんとした方が……」
「嫌ですわ」
ビバルの宥める声にも少しだけ反抗してみる。兄はさらに機嫌を害したようだ。厳しい目で睨みつけられる。
「この場で僕を怒らせてもいい事はないと思うぞ、イライア」
イライアはため息をついた。こんな調子で本当に大丈夫だろうかと心配になる。
兄は知らないが、今は面談中なのだ。
孤児院から子供を引き取る場合、それが実親でも孤児院長、そして王族の一人の審査がいる。信用が置けない人間が連れ帰って虐待したりするのを阻止するためだ。
アリッツはイライアが後見をしているので、王族との面談はイライアが担当する。だが、『面談』と言えば、兄はイライアを舐めてかかるだろう。だからこそ抜き打ちにさせてもらったのだ。
「お兄様は……」
「ん?」
「お兄様はアリッツを引き取る気があるんですね?」
「当たり前だ!」
「それは何故?」
兄が面食らう。こんな質問は予想もしていなかったのだろう。
「息子だからに決まってるだろう。他にどんな理由があるんだ」
きっぱりと言われた事で少し安心する。これが、『アイハの次の王太子だから』などと言ったらどんな手を使ってでもアリッツを引き留めただろう。
でもとりあえず大事な事は言っておかなければいけない。
「あの子はずっと市井で友人や優しい大人に囲まれて幸せに暮らして来たんです。アイハ王城のあの悪意のある空気は全く知らないのですよ」
ビバルが身を固くする。辛い事を思い出させてしまったらしい。
「何があってもあの子を守っていける自信はあるのですか? お兄様」
じっと兄を見る。それでイライアの真剣さが分かるだろう。
兄は一つ深いため息をついて目を合わせてくる。
「イライア、僕は今日まで、ハシントはセシリアと共に殺されたと思っていたんだ。でも、孤児院の職員やレトゥアナの王族のおかげであの子は生きる事が出来た。その事は本当に感謝している。その親切は無駄にはしない。ハシントの事は僕が命に代えてでも守るよ」
その表情は真剣で嘘を言っているようには思えない。イライアは内心ほっとした。
「お兄様にいなくなられたらわたくしが泣きますからねっ!」
「はいはい」
イライアの半分本気の言葉に兄は苦笑で返した。
****
兄は大丈夫だろう。だが、アリッツの意思というものもある。なので、イライアは、翌朝、兄と共に孤児院に向かう事にした。もちろんビバルも一緒だ。
奥の方から斧の音と『よーいしょ!』というアリッツのかけ声が聞こえてくる。去年から始めた割には上手い方だと思っている。それは今聞こえてくる年上の子供の『上手いぞ、アリッツ!』という褒め言葉からもわかる。
兄が顔をほころばせた。声だけで息子が頑張っているのが分かったのだろう。
「会いに行ってもいいですか? イライア王妃陛下」
「朝の日課の真っ最中ですからもう少し待ってください」
すぐにでも息子の所へ走っていきたいという顔をしている兄を必死に引き留める。大きい子の『よし、じゃあ交代!』という言葉にまた走り出そうとするので止めた。他の子が薪を割るのを見るのも練習のうちだ。
本音を言えば、せっかく来たのだから料理の支度くらいは手伝いたい。それでも兄が我慢しているのだからとこらえる。
不意に遠くの方から馬車の音が聞こえた。隣にいる兄が警戒しているのを感じる。ビバルも身を固くしている。無理もない。その馬車はこちらに近づいて来ているのだ。領主は基本的に馬を使っているし、よその領主なら来るという連絡が入るはずだ。
馬車は孤児院の目の前に止まった。その馬車を見てイライアはますます不思議に思った。
「アイハの馬車か。おまけに王家の。一体誰だ?」
兄がつぶやく。その言葉でビバルはますます混乱したらしい。どうしたらいいのか分からずおろおろしている。
それでもイライアは誰が来たのか、何の為に来たのか、二人より先に分かってしまった。あの日のビバルは見間違いなどしていなかった事も。
御者がうやうやしく馬車の扉を開く。中から出て来たのは予想通りの人物だった。
「フローラ!?」
でも表向きは驚いておく。
「姉さま、ビバル義兄さま……って兄さままで何をしているんですか!」
フローラもここに兄姉がいる事は予想していなかったらしい。アイハ語で驚いている。幸い、いつもは叱る兄もぽかんとしているので問題はなかった。
「フローラこそどうしたの?」
対してこちらはレトゥアナ語で返す。暗に注意しているのだ。兄が注意出来ないのだからイライアが叱るしかない。
フローラは困った様子で兄の方を見ている。兄はすでにハシントの事は知っているので問題はない。
「一人で来たの? フローラ」
そっと『言え』と促す。きっとアイハで兄を驚かせようとする計画だったのだろうが、ここに兄がいる時点でもう破綻してしまっている。観念して話してしまえばいいのだ。
「いいえ、同行者と一緒ですわ、お姉様」
「そう……。どなた?」
そこまで促した事でフローラはイライアが知っている事に気づいたようだ。ぽかんとしている。
「姉さま、どうして……?」
「わたくし達がここにいる時点で察しがつくでしょう? ……そっくりなのよ」
誰が、とは言わなかった。だが、意味が分かったビバルは目を見開く。兄はまだよくわからないようで首を傾げている。
「分かっていたら仕方ないですね」
そう言って御者に同行者を降ろすように命じる。イライアとビバルは自然な調子で兄の後ろに回った。
そして降りて来た女性を見てエルナンが大きく息を飲んだ。後ろにいるから顔は見えない。だが、どんな表情をしているのかは兄と向かい合っている女性の顔からもわかる。きっと同じ表情を浮かべているのだろう。
「エル……?」
「……セシリア? セシリアなのか!?」
しばらく二人は呆然とお互いの名前を呼び合う。まるでそこに存在しているのを確かめ合うかのようだ。いや、実際そうなのだろう。
兄の声が段々と涙声になってくる。ついにこらえきれなくなったのか彼はその妃を思い切り抱きしめた。
「セシリア! 生きてたのか!」
「ええ。妃殿下に救われて、ミュコス国に亡命しておりました」
「そうか。母上とミュコスの者には感謝しなければいけないな。後日、改めてお礼に行こう」
「そうですね」
もうすっかり二人の世界だ。フローラが呆れ顔をしている。
不意に騒がしい声が近づいてくる。どうやらこの騒ぎに子供達が気づいてしまったようだ。
「わぁ! おっきいばしゃ!」
「あーっ! なんか抱き合ってる人がいるぞ!」
「ひゅーひゅー!」
「やめなさい、あんたたちは本当にデリカシーがないわね!」
子供達にはやし立てられ、兄と義姉の顔が真っ赤になる。それでも兄は義姉を離さなかった。離したら消えてしまうとでも思っているのだろうか。
「なにー? 何の大さわぎ?」
遠くにいた薪割り組も追いついたようだ。そのアリッツは父親と彼の手に抱きしめられている女性を見てぽかんとしている。
「パパ?」
きょとんと問いかける。その言葉に周りの子供達がまた騒ぎ始めた。
義姉が目を見開く。そして自分の息子をじっと見つめた。それから夫の方を見上げる。
「セシリア、この子はハシントだよ。ここの孤児院に拾われて、ずっと今まで幸せに暮らしていたみたいなんだ」
兄が義姉に説明をした。案の定、義姉はぽかんとしている。
「フローラちゃんの用って……」
「居場所の察知の魔術を使わせていただきました。義姉さまの魔力から直系の血縁を探したんです。勝手にこんな事をして申し訳ありません」
「じゃあ、間違いないのね。この子は私の……」
「……ママなの?」
今までのフローラとセシリアの会話を聞いてたのだろう。アリッツが呆然とつぶやく。
「そうだよ、ハシント。この人はお前のママだ」
「で、でも……ママは……」
「お前のおばあ様が助けてくれたんだそうだ」
「ママ……、ママ……!」
ついにアリッツの涙腺が緩んだ。そのままセシリアの腕に飛び込んでいく。それをエルナンがセシリアごと抱きしめた。今の三人には驚きの声も冷やかす声も聞こえないのだろう。
そうして元の姿に戻った家族はずっと喜びの涙を流し続けていた。
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