予感
「セドレイ様がマルティネス陛下の罠にかかるなんて信じられませんよ。あの『息をするように魔術を使う』と言われているセドレイ様が」
イライアの湯浴みを手伝いながらモニカは言った。
兄がそんな風に言われている事はイライアは初耳だった。きっと女官や侍女の間でこっそり言われていたのだろう。
「モニカはお兄様をかなり過大評価しているわ」
「それ、セドレイ様が聞いたら怒りますよ。『ふざけるな、馬鹿妹が!』とか言われますよ」
「お兄様は聞いていないもの。モニカも内緒にして頂戴ね。ミゲルやニコラスにも言っては駄目よ。絶対に伝わるから」
厳しく言うイライアにモニカは苦笑する。
それにしてもモニカは兄の口まねが上手だ。兄妹の様子をよく見ていたからだろう。
そう伝えるとモニカが笑った。
「光栄です」
「もうっ、モニカったら」
イライアもつられて笑ってしまう。しばらく二人で笑い続けた。
「それにしても本当に行くんですか?」
イライアの髪を洗っていたセリナが不安そうに尋ねる。マルティネスから魔術決闘の申し込みの手紙が来た事はもう城中に知れ渡っている。イライアが魔力持ちだという事も同時に伝わった。最初は使用人も驚いていたが、『そういうもの』と納得してくれたようだ。
「ええ。ビバル様からの許可もいただいたし、すぐにでも行きたいのだけれど。準備もあるし」
「そうはいきませんよ。そのために日時をわざと遅く指定したのですから。エレストスにいる精霊にはこちらの精霊から連絡してもらっているんですよね?」
「それはそうだけど……」
イライアはうつむく。きちんと精霊同士のコンタクトはとってもらっている。精霊の記憶からマルティネスの魔力を伝えさせて、当日まで国内には絶対に入れるなと伝えてもらっている。どうやっているのかは知らないがうなずいていたから大丈夫だろう。
そして、イライアは決闘の前日に転移の魔術で先に行き、ある程度有利になるよう準備する事になっている。精霊ともその時に合流する事になっている。
ちなみに他の地方の精霊にもきちんと回復薬を摂取させている。ミュコスの使者に聞いたら問題ないと言われたので安心して与えられるのだ。おかげで精霊によるレトゥアナの防衛は完璧だ。
それにしても、日時はこちらで決めていいというマルティネスの『寛大さ』はとても不思議で不気味だ。きっと返事をどう出すかでイライアが本当にまだ魔力持ちなのか確かめたかったのだろう。
イライアもきちんとそれに答えた。魔法紙——義母が持っていた——に手紙を書き、アイハ城の王の私室まで魔術を使って送り届けた。『イライア・レトゥアが決闘を受ける』と書いたのできちんと伝わっているだろう。
だからこそイライアはたくさん準備をしたいのだが、こうやって支度に時間をかけられてしまっている。転移術を使っていいと言われているからまだいいのかもしれない。
「陛下が『きちんと体調も魔力も万全にして行く。そうでなければ許可しない』とおっしゃったのでしょう?」
確かにそれはビバルに口を酸っぱくして言われた。でもどうしてモニカがそんな事を知っているのだろうと不思議に思う。
首をかしげているとセリナが笑う。どうやらこの事は城の侍女侍僕全員に通達されているらしい。どれだけ心配されているのだろうと呆れる。でもそのおかげで今日の昼食にムール貝——レトゥアナ語で『強い人』という言葉と同音なので験担ぎとして出る事がある——のオーブン焼きが食べられた事はよかったのかもしれない。
「でも湯浴みなんて必要かしら」
「湯浴みにはリラックス効果があるんですよ。必要です」
きっぱりと言われる。そう言われてしまえば『そうですか』と受け入れるしかない。
イライアはそっとため息をついた。
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のんびりと髪を乾かしてもらう。最初は風魔術ですぐにでも乾くと言ったのだが、『駄目です!』とみんなに言われた。魔力は温存しなくてはいけないらしい。
なのでその間は義母に防水の魔術をかけてもらった魔術書を読み返していた。セリナは興味を持ったらしく、後ろから覗き込んでいる。
「これは私たちの知っている文字ではありませんね。何の言葉ですか?」
「魔術師専用の文字よ。魔法陣や魔術式を書くのに使うの。でも説明はアイハ語よ」
ほら、と解説の部分を見せると納得した顔をする。ただ、セリナはアイハ語の読み書きがあまり得意ではないので意味は少ししかわからないだろう。
「イシアル語ではないんですね」
先ほどまで衣装部屋にいたルシアが部屋に入って来て言う。どうやら聞き耳を立てていたようだ。あまりいい事とは言えないが、イライアは咎めない。彼女達も少しでも情報が欲しいのだろう。
「わたくしの本だもの」
それでみんなは納得してくれる。もちろん、イライアは義母がイシアルから持って来た本も読んでいる。でも今は慣れないイシアル語より、読み慣れているアイハ語で読みたい。
この本は何度も読んだが、気持ちを落ち着かせるためにもう一度読みたいと思ったのだ。役に立つ事はあっても無駄になる事はないだろう。
髪が乾いたら次は着替えだ。ルシアには『動きやすく、でも王妃らしさを損なわないドレス』という注文を付けた。さぞかし選びにくかっただろう。少しだけ申し訳なく思う。でもこれも必要な事なのだ、と自分に言い聞かせる。
「大変だったでしょう、ルシア」
「いいえ。この間仕立てたものがちょうど条件に合うものでしたから」
「そう。ありがとう」
そのドレスの形を思い浮かべる。確かにあれなら申し分ないだろう。
その時、ふと変な違和感を感じる。あのドレスをどこかで見たような気がする。でも仮縫いの時の話ではない事は確かだ。なのにちっとも思い出せない。
「王妃様、どうかいたしましたか?」
ルシアは不安そうに尋ねてくる。どうやらぼうっとしてしまったようだ。何でもないと答え、着替えに行く。
ドレスを着て少し動き回ってみる。何も問題はない。可愛らしい刺繍もついていて気分がいい。
なのに、どこか不安になるのはどうしてなのだろう。何故、こんなに胸騒ぎがするのだろう。このドレスを着たのは初めてのはずだ。感触に覚えはない。
なのに、どこかで見た気がする。
だとしたら予知か何かだろうか。
とはいえ、イライアはそんなに予知が上手く出来ない。もちろん母からアルチュレタ家の魔力はある程度遺伝している。そして、まじない師の魔術も習った。だが、才能はないのか実力はそこそこ程度で止まっている。妹はもっと上手く出来ていた。きっと今はかなりの差がついているだろう。
だから予知をしたのは片手で数えられるほどしかない。それも無意識で一瞬発動したくらいだ。それを一つ一つ思い返してみる。
無意識に予知を発動したのはほとんど赤ん坊の頃だ。それを思い出すのは二十一歳のイライアには難しい事だった。
それでも必死に記憶を辿る。
二、三歳くらいのものは排除していいだろう。思い返してみても『おにいちゃまがもうすぐこちらに来る』というくらいのものしかない。なんと呑気で幸せな予知だろうか。間違いなくその『嫌な予感』はこれではない。そんな予知ばかりだったらどんなに幸せだろうとため息を吐きたくなる。
大きな予知を無意識でするとしたらもっと幼いのだろう。だとしたら生まれて間もなくの頃かもしれない。
必死に必死に記憶を宿るが、良く思い出せない。
イライアの物心のついた時にはもう父は自分の事が嫌いだった。それは良く知っている。だったらその原因が赤ん坊の時にあったと考えるのが自然だ。
最初に父に嫌われたのはいつだったのか。それを考えてやっと一つの事に思い当たった。
生まれたばかりの時はさすがの父も喜んでいた。そして長女を抱き上げた。
その時だ。イライアが無意識に目の前の男について最悪の予知をしてしまったのは。
目の前の男は、いつか今抱き上げているその手で自分の首を絞めに来る。予知の中の自分は子供ではなくしっかりとした大人だったのも思い出す。
その映像の中の自分が着ていたのがこのドレスだった。
だったら自分は——。
それ以上は考えたくない。
「王妃様?」
セリナの声に顔を上げる。侍女達の心配そうな顔が見えた。またぼうっとしてしまっていたらしい。
「な、何でもないのよ。ちょっと緊張してしまって。ごめんなさいね」
嫌な予感を振り払い、笑いかける。
「いえ、そんな! でも、もし気が進まないのであれば……」
「行くわ!」
それ以上は言わせなかった。やめる、という選択肢はもうないのだ。
イライアは父と決闘しなくてはいけない。
そのために『魔女』を名乗り動いたのだから。そのために魔力を持ってレトゥアナ王国に嫁いで来たのだから。
「大丈夫。絶対に帰ってくるから」
たとえ、首を絞められたとしても大丈夫。そう言い聞かせる。
侍女が用意してくれた鞄を持つ。
今回は侍女達は連れていかない。巻き込む危険性があるからだ。そのかわり城に残っている精霊達に守ってくれるように頼んである。
床に手をかざし、魔法陣を描き始めた。侍女達から息を飲む音がする。きっと陣など見るのは初めてなのだろう。
マルティネスに勝ち、あわよくば捕らえられているであろう兄を救い出す。自分がやるべき事をしっかりと頭に刻み込んだ。
出来た魔法陣をしっかりと確認する。そしてその上に立った。
「では行ってくるわね」
「王妃様、ご無事で」
「ええ。遅くても明後日には帰ってくるわ」
そう言って魔法陣を発動させた。侍女達にはイライアの姿が徐々に消えていっているように見えるのだろう。
イライアが彼女達が見えなくなるまで手を降り続けた。
これで第四章の「3」は終了です。
次から第四章の「4」が始まります。




