モーニングティー
大きめの乳鉢で薬草をすりつぶす。
これをするのは久しぶりだ。新しい乳鉢と乳棒がイライアの気持ちをワクワクさせる。アイハでは母や兄のお下がりだった。いずれ嫁ぐ女であるイライアやフローラが魔術を積極的に学ぶのを父が良しとしなかったので仕方がなかったのだ。
この乳鉢はノエリアが手に入れてくれた。そして寝室の隣にイライア用の魔術関係の書斎兼実験室まで用意してくれた。数日前に相談したばかりなのにはやい。
だが、ご機嫌とはいえ、鼻歌混じりで作業するわけにはいかない。今作っているのは薬なのだ。鼻歌など歌ったら陽気な薬が出来そうだ。それも楽しそうだが、ビバルに飲ませるものなので真面目にやらなければいけない。
材料をきれいにすりつぶし終えたらそれらを水と共に鍋に入れる。
今日はあまり魔法薬を飲んだ事のなさそうなビバルのために、甘いポーション仕立てにする予定だ。
イライアが今作っているのは解毒薬だ。イライアが晩酌に加わるようになってからしばらくは大人しくしていたミニィだったが、またビバルの、そしてイライアの飲み物に少しずつ毒を入れだしたのだ。イライアが気づいていないと本当に思っているのだろうか。まあ、ミニィは、『愚かな第一王女』だったイライアが、まさか、あの『魔女』の正体だなんて夢にも思っていないだろうからこういう行動に出たのだろう。
その毒は即効性はないが、じわじわと体を蝕んでいくものだった。『あの男』が好んで使う毒だ。本当にわかりやすい、と唇から冷たい笑いがこぼれる。
二日間くらいは、夜寝る前に甘えるふりをして解毒していたが、これから毎日それをやるのは大変だ。とはいえ、最近少しだけビバルが構ってくれるようになったのは嬉しい誤算だった。
だが、毎日これをやるのは魔力的にも大変だ。なので、あらかじめ朝に解毒薬を摂取させる事にしたのだ。もちろん義母には話してある。
呪文を唱えながら混ぜる。しばらくして、どろどろしていた液体が滑らかになって来た。それを一瞬で冷却する。
出来た薬を一日分ずつ小分けにする。薬はちょうど三日分出来た。
達成感の混じった息を吐き、伸びをする。あとは昔からつけている魔術や魔法薬の研究用のノートに、今回作ったポーションのことを記すだけだ。
このノートはレトゥアナに嫁ぐときに持ち込んだ。父に魔法薬研究の情報を渡したくなかったからだ。表紙には『日記』とだけ書いてあるので気づかれなくてすんだ。
しばらくして隣の部屋から物音が聞こえた。ビバルが起きてきたのだろう。
イライアは急いでノートをしまい、今日のぶんの解毒薬を手に取ると、さっさと部屋から出て、鍵と魔術の両方を使って扉を厳重に施錠する。そして寝室に入った。
「王妃、起きてたんですか?」
「ええ。いつもの散歩に」
「隣の部屋から物音が聞こえましたよ。まさか新しい書斎が嬉しくて、夜通し勉強していたわけではないでしょうね?」
作業している事は気づかれていたらしい。とはいえ、実験室の方は魔力持ちでなければ見えない仕様になっている——ノエリアとイライアでこっそりと設置した——ので問題はないだろう。
それでも朝早く起きていた事は気づかれている。イライアはそっとビバルから目をそらした。
「王妃」
厳しい声で呼ばれる。ごまかしを許してくれるつもりはないらしい。
「ごめんなさい」
こうやって叱られるのなら、作業はビバルが眠っている夜中にした方がいいだろうか、と考える。だが、それはそれで大変なのだ。ビバルは寝付くのがはやいのに、小さな物音ですぐに目を覚ましてしまう。何度もベッドを抜け出したらかなり怪しまれるだろう。
「勉強するなら昼間にすればいいんですよ」
「お昼間は授業とお仕事で埋まっているではないですか。だから自分の趣味は早朝にするのがちょうどいいんですよ」
反論すると、ため息をつかれる。しょうがない、と言っていたので、許してくれたのだろう。
「ただし、無茶はしないで下さいね」
「分かっています」
魔力枯渇で倒れた時の事を言っているのだろう。こういう所が優しいのだ。
「分かってるならよかったです。お茶にしましょうか」
ビバルの提案に、イライアは頷く。
寝室にはいつものように茶葉とお湯の用意が出来ていた。最近、寂しがるイライアのために、ビバルが二人きりの朝のお茶の時間を設けてくれたのだ。
これを有効活用しなくてどうするのだ、と思う。
「ではお茶の支度をしますね」
「お願いします」
今日はどの茶葉にしようか迷う。ポーションだから苦くないとは言っても、つい薬の味を消してくれそうな茶葉を探してしまう。
迷いに迷って二種類の茶葉をブレンドする事にした。
丁寧にお茶を淹れる。そして仕上げに先ほど作ったポーションをそっと混ぜた。
「な、何を入れたんですか!?」
手元をしっかりと見られていたらしい。ビバルの怯えた声が飛んで来る。
「ああ、お義母様に滋養のための薬草をいただいたのでお薬に仕立ててみたんです。朝に飲むとよく効くんですって。でも陛下だって朝から苦いお薬をそのまま飲みたくはないでしょう? だから飲みやすいものを作ってお茶に混ぜる事にしたんです」
「母上が?」
「ええ。この茶葉なら薬の味は気になりませんから安心して下さい。もし心配ならわたくしが先に飲みましょうか?」
「……そうして下さい」
毒味すればいいらしい。イライアはビバルに見えるように、二つのカップに均等にお茶を注ぐ。
ゆっくりと口をつける。ビバルにじっと見られているので、とても飲みにくいが仕方がない。疑われる事をしたイライアが悪い。
嚥下すると同時にビバルがカップを手に取った。
信用するのがはやすぎる。ビバルは遅効性の毒というものが存在する事を知らないのだろうか。
「あ、美味しいですね」
「よかった。これからはしばらくこれにしますね」
「という事は薬も毎日飲むんですか?」
「滋養のお薬ですもの」
すまし顔で言うと、ビバルがため息をつく。
「あ、でもわたくしと陛下とお義母様だけの秘密にして下さいね」
「え? ど、どうしてですか?」
また怯えられる。
「だって、わたくしがお薬作りが出来るなんて分かったら、薬師の立場がないではありませんか。わたくしも彼らを路頭に迷わす気はないのですよ。今まで通り普段のお薬は薬師に用意してもらいましょう。ただ、朝は滋養の薬を飲みましょう。せっかくお義母様が薬草を用意してくれたんですもの」
「はぁ……」
まだ疑った顔をしている。
「王妃は薬作りが好きなのですか?」
「ええ。王族でなければ薬師になっていたかもしれないと思うくらいは好きですよ」
「もしかして新しい書斎って……」
「薬草についての本とか薬学とかそういう系でいっぱいです」
「完全に趣味なんですね」
ビバルは苦笑した。そうしてまたお茶を飲む。
「王妃、ずっと聞きたかった事があるのですが」
「何でしょうか?」
「もしかしたら気分を害するかもしれませんが」
「何のお話でしょうか?」
じれったくなって促す。
「あなたは私を殺す気はないのですか」
「……は?」
素で不機嫌そうな声が出た。今、あなたが飲んでいるお茶は、あなたを助けるための解毒剤入りなのだけど、と怒鳴りたくなってしまう。
「あ、いや……その……」
ビバルは慌てている。仕方がない。しばらく怯えていただく事にする。
イライアはカップをソーサーに置いてビバルを見つめる。口元には冷たい笑みを乗せた。
「わたくしにあなたを殺す理由などありませんわ、陛下」
「どうして?」
「どうしても何も。あなたはわたくしの敵には回らないでしょう?」
「レトゥアナ王国を破滅させる気がないのなら、ですが」
そんな事はする気はない。
どうして憎めるのだろう。どうして敵に回れるのだろう。『傀儡』ではなく一人の人間である『イライア』として自分を受け入れてくれているこの国を。そして『妻』としては扱ってくれなくとも、『レトゥアナ王国の王妃』としては最大限尊重してくれているビバルの事を。
そんな事を考えていると怒りの心がしぼんで来るから不思議だ。どうしてか心の中がくすぐったい。
「ビバル様、わたくしはこの国の人たちにとても感謝しているんです。本来ならわたくしみたいな存在は疎まれるものでしょう?」
「そういうものでしょうか。私は結構あなたに酷い事をしています」
そうだろうか。イライアにはそうは思えない。このお茶の時間がその証拠だ。
「とにかく、わたくしはあなたを殺す事は絶対にありませんわ。安心して下さい」
「あ、はい」
「でも……もし誰かがわたくしやビバル様の敵に回るのなら、わたくしはその者を遠慮なく潰しますけど、いいですよね?」
「え……?」
「いいですわよね?」
イライアは邪悪だとわかる『魔女』の笑みをその顔に浮かべた。
ビバルは怯えたようにこくこくと頷いていた。
「言質はとりましたからね」
イライアはそう言って締めくくった。
これで第三章の「2」は終了です。
次から第三章の「3」がはじまります。




