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愛国妃  作者: ちかえ
第一章 アイハ編
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お説教

 廊下を歩くと聞こえて来るひそひそ声にももう慣れた。


 『政権争いに敗れた王女』だの『セドレイ様に無様に逆らって押さえつけられた愚かな娘』だの『笑顔すら浮かべないなんてさすがは闇の第二子』だの。


 悪態の一つでもつきたいが、残念な事につくべき悪態が分からない。


 嘘は言われていないので、イライアも否定出来ない所があるにはあるのだが、ここまで陰口を叩くのはどうなのだろう。大体こんな陰口を聞きながら笑えるわけがないではないか。


 案内をしてくれる王太子付きの女官も無言を貫いている。職務に忠実なのか、陰口をたたく者と同意見なのか分からない。でもどちらにしても気まずい。だが、気にしない振りをする。イライアは王族だ。こんな事で怯むわけにもいかない。


 ちらっ、と声のする方に目をやると陰口がぴたりとやむ。だったら最初からやらなければいいのに何故そんな事をするのだろう。

 それでも陰口だけならまだいい方だ。時にはドジの振りをして目の前で荷物と一緒に転び、退路を塞ぐなどという嫌がらせをして来る者までいるのだから。おまけに大きな声で『も、申し訳ありません、王女様! お許しを!』などと叫ばれた事まである。あの時は大変だった。そういえば最近あの侍女を見ない。嫌がらせのためにわざとやめたのだろうか。


「どういたしましたか、王女様?」


 案内役の女官が話しかけて来る。なんでもないわ、と答えると、わかりました、と返事が返って来る。少しだけ不満な気持ちになる。だからと言って何かをして欲しいというわけでもないが。


 じゃあ自分はどうして欲しいんだろう。考え込んでいるうちに王太子セドレイの間についた。

 控えの部屋に通され長時間待たされる。

 いつもの事なので出されたお茶をゆっくり飲みながら待っていると、先ほどの女官が呼びに来た。


「失礼いたします、セドレイ様」

「礼はいい。それよりちょっとここに座れ」


 声がどこか怒っている。しかも臣下の礼を省略させて座らせるのは今までの経験からしてお説教モードだ。

 女官は二人の前にお茶を用意すると、兄の従者であるミゲルを残して全員が下がっていく。つまり人払いをしたのだろう。


 自分は何かしただろうか、と考える。そういえば一月前にうっかり兄の不在中にこの部屋にあった彼のお気に入りの硝子細工の置物を割ってしまった事がある。叱られるのが怖くて近くにいたミゲルに口止めをして隠してもらったが、それが兄の知るところとなったのだろうか。それでも人払いまでするのはおかしい。


「あの置物の事でしょうか」

「置物? ……ああ。あれを割ったのはお前か」


 冷たい目で睨まれびくりと震える。地雷を踏んでしまった気がする。


「あ、あの……」

「ミゲルが割ったと聞いていたが」

「王女様があまりにも真っ青な顔をしていたので……」

「つい可哀想になって罪をかぶってあげた?」

「はい。申し訳ございません」


 ミゲルは平然と答えている。『セドレイ様』が怖くないのだろうか。


「イライア、何か言う事はないのか?」

「申し訳ありません、セドレイ様」


 必死になって謝ると兄は呆れたようにため息をついた。


「……まあいい。それよりお前、最近よく北の塔に出入りしているようだな」

「そんな! まだ三度目です!」

「ほう。行った事は認めるんだな」

「……あ」


 また地雷を踏んでしまった。お兄様が威圧的なのが悪いの、と勝手に兄のせいにする。そして視線が鋭くなった兄からそっと目をそらした。


「イライア、こっちを向きなさい」

「はい」


 塔の管理人が言いつけたのだろうか。拗ねたい気持ちになる。


「誰から聞いたのですか?」


 鋭い声で尋ねる。もし、言いつけたのが塔の管理人ならビバルの境遇を話して兄に罰してもらおうと考える。自分への怒りもそれるし一石二鳥だ。しかし返って来たのは予想外の答えだった。


「僕がこの目で確認した」

「え? どういう意味ですか?」

「聞いた通りだ。侵入者がいないか確認するのも僕の仕事だからな」


 つまりそういう事なのだろう。


「お兄様がビバル様を虐待した張本人なのですか?」


 ジト目で見る。父と違って兄はまともだと思っていたのだが違うらしい。許せない、という気持ちがむくむくと沸いて来る。


「王女様。セドレイ様はこれでも必死に努力しているんです!」


 ミゲルが慌てて彼の主(セドレイ様)をかばう。


「従者だからかばいたい気持ちも分からなくはないわ。でもそうなんでしょう?」

「いいえ、はっきりと否定させていただきます。セドレイ様は塔の管理人となった二年前からビバル殿下の体調改善に必死に務めておりました。私はこの目でしっかりと見ております。食事を増やしたり、清潔にしたり、勉学の指導も……」

「かなりやせ細って見えたわ。『あれ』で食事を増やしたというの?」


 冷たく言い放つと兄はため息をついた。


「増やしたよ。言っておくけど僕が来たばかりの時は餓死寸前だったんだからな」


 信じられない言葉に呆然とする。


「あれでも回復している方なんだよ」


 こんな事は知らなかった。知らずに兄を責めてしまった愚かな自分が憎たらしく、イライアは唇を噛んだ。


「どうして……」


「管理人となった時に父上にマニュアルを渡された。食事の内容まできっちり決められた、な」

「食事の内容?」

「食事一回につきスープ一杯と、パン一つ」


 目を見開く。兄は悔しそうな顔をしている。


「これではあんまりだと思って食事の回数を一回増やしてもらった。あと、週に一回は好きなものを一つ足していい、と書かれていたから肉料理を足しているんだ。それでも父上に目をつけられないよう少量しか出せないが。まあ、カラスコ侯爵の時は虫が混入されていた日だったらしいからまだいい方かな」


 カラスコ侯爵というのは父の側近だ。野心が強く、立場の強いものだけにすり寄り、弱いものは徹底的にいじめる最低な男だ。イライアも何度もすれ違いざまに当てこすりを言われた。


「では虐待をしたのはカラスコ侯爵なんですね」

「ああ、そうだよ。イライア、管理人交代の日にあいつがビバル殿下に何て言ったと思う?」

「『小国のガキが』とか?」

「……レトゥアナ王国に失礼だろう」

「カラスコ侯爵の言いそうな事ってそれくらいしかないではないですか。それで? なんて言ったんですか?」

「『今度の管理人はおれよりずっとお偉い方だ。せいぜい苦しむんだな、骸骨坊や』」


 顔をしかめてしまう。なんて男だろう。大体ビバルをその『骸骨坊や』にしたのは彼ではないか。


「多分僕が虐待を続けると思ったんだろうな。ひどいな、と思いながら入って行ったら彼の惨状はもっとひどい物だった。王子どころか貧民街スラムの……、いや。とにかくあれは今でも夢に見るくらいだ」

「じゃあ今の服装は?」

「僕の昔のお忍び用の服。それくらいしか用意出来なかったんだよ。古着で申し訳ないんだけど……まあ、サイズがあっていないつんつるてんの服よりはいいと思うよ。きちんと髪も服も体も洗って清潔にもしているしな。未だに恐縮されるが」


 それは使用人の仕事ではないだろうか。だが、あの状態なら父が使用人を置くのを許していたわけではないだろう。改めて酷いと思う。


「お兄様、何とかビバル様を助ける方法はないのでしょうか。こっそり逃がすとか」

「逃がしてどうする。どこかの街に置き去りにするとか? ビバル殿下が困るだろう」

「直接レトゥアナ王城に……」

「お前の魔術の実力ではそんな距離の長い転移は出来ないだろう」

「だったらお兄様が……」

「どうせ父上に連れ戻されるだけだ。やっても無駄だ」

「そんな……」


 ではどうしたらいいというのだろうか。一国の王子をそのままにしていいわけがない。

 イライアが悩んでいると、兄は苦笑した。


「イライア、初秋の月に王家主催の舞踏会が開かれる事は覚えているな?」


 いきなり話が変わった。つまりビバルの話は終わりという事だろうか。イライアはむぅっと頬を膨らませた。


「ええ。そうですがその舞踏会が何か?」


 舞踏会の事はイライアも出席するから知っている。兄がその準備に追われているのも知っている。きっと手伝えと言っているのだろう。だが、話を変えられた腹いせに条件でもつけてやろうか、と思ってしまう。


「レトゥアナ王家にも招待状を送ってある」

「レトゥアナ王家の方々ににあの状態のビバル様を見せるのですか?」


 信じられない、という気持ちを込めて怒鳴ると兄は呆れた顔をした。


「まさか。だから近いうちにビバル殿下は塔を出されるだろうと言っているんだ」

「え!?」


 思いがけない話にイライアは目を見開いた。


「お父様がよく許しましたね」

「ああ、少しだけ交渉したんだ。レトゥアナ王国は責めて来ないし、このまま人質にしていても無駄なのではないか、と」


 本当によく父が許したものだ、と感心する。だが、次の言葉に顔がひきつった。


「まあ、交渉を頑張りすぎて熱を出したが、これは収穫だろう」

「お兄様、それは……!」


 イライアが声をあげようとした途端指に痛みが走る。エルナンが訝しげな顔をした。


「どうした?」

「……なんでもありません」


 うつむき、唇を噛みながらひりひりと痛む指を机の下で撫でる。兄は納得していない顔をしていたが、追求はされなかった。


「それで舞踏会の後はどうするんですか? また塔に戻されるのでしょうか」

「いや、レトゥアナ王国との交渉次第ではもしかしたら帰国出来るかもしれない」


 つまり正攻法で返すために努力してくれていたのだ。いろいろ文句を言って悪かったと反省する。


「イライア、協力してくれるか?」


 その言葉に一も二もなく頷いた。兄は満足そうに笑う。

 それと同時にミゲルが部屋の隅に移動した。これから勉強の時間、という合図だ。


「今日から新しい詩を読もうか」


 そう言って渡された本はかなり古い本だった。詩の本という事は分かる。ただ、古文が苦手なイライアはつい顔をしかめてしまう。

 その様子を見て兄は小さく笑った。


「レトゥアナ王国建国についての叙事詩だよ。言葉がレトゥアナ語に近くて難しいかもしれないけど、レトゥアナ語の基本文法が分かれば読み解けると思うよ。どうする? やめる?」

「読みます! 読ませていただきます!」


 きっとビバル関連で選んでくれたのだろう。だったら贅沢を言うわけにはいかない。つい興奮してしまったのは不覚だったが。


「いい子だ」


 エルナンはそう言ってイライアの頭をなでた。

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