王太后
ビバルの言う通り、自分たちはどこの街でも歓迎された。そのたびにビバルは十一年という月日の長さを何度も痛感していたようだった。
『カルロッタばあちゃん』は、年のせいで足腰が弱ったので、孤児院長を引退して、のんびりと余生をすごしていただけだったが——ビバルは『よかった!』と大泣きし、カルロッタに『いつまでたっても子供みたいですねえ』と苦笑されていた——、亡くなった者もいたし、子を産んだ者もいた。民の変化に一喜一憂しているビバルを見るたびに、ここが彼の故郷なのだと痛感した。
とはいえ、よそ者のイライアの事は遠巻きに見ていた人も沢山いた。
無理もない。自分はレトゥアナ王国を侵略しようと画策している国の王女なのだから。
勿論イライアにはそのつもりはない。でもそんな事はまだ誰も知らない。前途多難だ。
道中で精霊もよく見た。おまけにその精霊達もかなり友好的でイライアの気分を時々慰めてくれた。兄が持っているような『癒し』の力を使ってくれたのだろう。
精霊はアイハにもいるにはいるが、少ない。この国みたいに森の中にわらわらいるなんて事はなかった。
そんな毎日を送り、国王夫妻が王城に着いたのは国境を越えた五日後の夜だった。
ここまでの時間はとても楽しかったと思う。途中で市場にも寄り、新鮮な野菜や果物、お菓子を試食させてもらったり、国王帰還のお祭りに行き、大道芸や芝居なども見た。ビバルが見ていたからか、演者も張り切って演じていた。そんな毎日を送っていたから退屈だと思う暇がなかった。何もないアイハ王国での道中はとても退屈だったのだが。
レトゥアナの王宮では着いた日の式典などはない。そのかわり、数日後に晩餐会が行われるそうだ。そこで貴族の当主達に紹介されると侍女から聞いた。
イライアはビバルに連れられ王城に入る。
レトゥアナ王国の王城はきらびやかすぎるアイハのそれと違って落ち着いた雰囲気だった。そしてそれでも荘厳な雰囲気に包まれている。イライアは一目で新しい住居であるこの城を気に入った。
そのまま二人は王太后のサロンに通された。
王太后は兄の言う『逆らっては駄目な女性』には見えなかった。やわらかそうな茶色の髪をふんわりとまとめ、同色の瞳は穏やかだ。
「よく……帰ってきてくれましたね」
王太后の第一声はそれだった。つまり息子しか目に入っていないのだろう。
ビバルの涙腺が緩んでいる、無理もない。婚儀では会っていたが、個人的に言えば久しぶりの母子の対面なのだ。
「おかえりなさい、ビバル」
「母上!」
ビバルは周囲も気にせず母親の胸に飛び込んだ。そのまま子どものように泣きじゃくる。
イライアはそっと気配を消し、空気に徹した。なるべくビバルの泣き顔を目に入れないように気をつけながら。それでももらい泣きしないようにするのは骨を折る事だった。控えている侍女達はハンカチで目を押さえている。ビバルはみんなに愛されているのだとここでも実感する。
「そういえばアイハ王国から王女殿下が来ているそうね」
ビバルがひとしきり泣いた後、ノエリアが思い出したかのようにそう言った。イライアは慌てて気配を戻す。
「イライア・レトゥアでございます、これからよろしくお願いします、王太后殿下」
丁寧にお辞儀をする。『レトゥア』姓を名乗ったのは勿論今の名だからなのと、『わたくしはこの国に害を為す気はありません』と主張するためだ。
そのやり取りで自分の妃の存在を思い出したのだろう。ビバルがイライアの方を向く。
「あなたは先に部屋で休んでいてください」
つまり、母子の再会の邪魔をするな、と言っているのだ。イライア自身も邪魔などするつもりはないので問題はない。
「ビバル?」
だが、イライアが返事する前に、ノエリアが彼に向かって微笑む。ビバルが怯んだ。
「今、イライアと話しているの。わからない?」
「わかります。ごめんなさい」
ビバルが大人しくなってしまった。笑顔一つでこれが出来るのが凄い。兄の言う通りこの人には逆らわない方がいいだろう。
ノエリアはビバルとイライアに椅子をすすめた。ありがたく二人で座る。ただ、指定された席がビバルと隣同士というのが少し気になるが、もう夫婦なのだから仕方ないだろう。
それにしても『夫婦』、という響きがなんとなく恥ずかしいのはどうしてだろうか。そこで何故か前に兄に言われた『好きな男』という言葉が蘇って来てさらに恥ずかしくなってしまった。そんな表情がビバルとノエリアに見えないようにうつむく。
そんなイライアは、ノエリアがその様子を微笑ましく眺めていた事など気づきもしなかった。
侍女が三人の前にアイスティーのグラスを置く。そうすればもう立ち上がって退出する事など出来なくなってしまった。
「改めて、ようこそレトゥアナ王国へ、イライア」
「ありがとうございます、王太后殿下」
「そんな。『王太后殿下』だなんて。あなたはここに嫁いで来たのよ。気楽に『お義母様』って呼んで頂戴」
「あ、はい、お義母様」
ビバルが『信じられない!』という目で見て来る。後で責められるのだろうか。ノエリアから言い出した事なのに納得がいかない。
ノエリアがグラスをとったのでそれに習う。入っているとは全く思っていなかったが、毒の有無を確認してから口に運んだ。柑橘の果汁が入っているのか、さわやかな香りが口の中を満たす。お茶自体もさっぱりしていてとても飲みやすい。
「おいしい」
自然とそうつぶやいてしまった。
「そうでしょう?」
ノエリアが心底嬉しそうにそう言う。
「ヴィーテー産のお茶ですか。久しぶりだな」
ビバルも幸せそうにお茶を口にしている。
ヴィーテーはレトゥアナ王国の南部にある街だ。つまりこのお茶は国産という事だ。そういえばレトゥアナ王国はお茶の産地として有名だったはずだ。
兄に教わった地理の授業内容を思い出しているうちに、ビバルはもう二杯目のお茶を注いでもらっている。
「あ、そうそう。イライア、一つ言っておきたい事があるの」
ノエリアが笑顔のまま、でも真剣な声で言う。イライアは背筋を伸ばした。ビバルもこちらの様子をうかがっている。
「はい。何でしょうか? お義母様」
「あなたの家はここよ。そしてあなたは今日からレトゥアナ王国の人間なの。あなたの名前は『イライア・レトゥア』。それだけは忘れないで頂戴」
つまりレトゥアナ王国をアイハに売るな、と言っているのだ。
「その事を忘れない限り、私達はあなたの味方よ、イライア」
つまりノエリアはイライアを受け入れてくれるという事だ。恨んでいるだろうに、それを表にも出さないのだ。本当にできた女性だ。イライアは自分の義母にいい印象を持った。
「ありがとうございます。お義母様、ビバル様、これからよろしくお願いいたします」
イライアはゆっくりと頭を下げた。




