レトゥアナ初日
第二章スタートです。
レトゥアナ王国へ入って一時間くらい走っただろうか。突然馬車が止まった。
奇襲か、と思ったが、それにしても止まるのがゆっくりだった。何故ここで停車するのだろう。
ビバルを見たが、平然としている。いや、何故かそわそわしている。むしろ、どこかワクワクして見えるのは気のせいだろうか。
しばらくして周りが騒がしくなって来た。殺気は感じないが、そのぶん何が待っているのか分からず不安になってくる。でもいつでも戦えるようにそっと忍ばせた武器に手を伸ばす。だが、その手は隣の人の手に掴まれた。
「何をする気ですか!?」
「もし奇襲だった場合の備えです」
「ありえませんから戦闘態勢をゆるめてください」
厳しい声でそれだけ言うと、ビバルは御者が開けるのも待たずに馬車の戸を開ける。そしてイライアが止める間もなく外に出て行った。
「あ、ほら、やっぱりそうだよ。僕の言った通りだった!」
「何? 新しい王様?」
「陛下、おかえりなさい!」
「まあ、大きくなって!」
「おーさまー!」
「ビバル陛下!」
そこには平民が沢山いた。みんながみんなビバルを歓迎している。
ビバルはそれに楽しそうに返事している。まとわりつく子供の頭を撫でたり、農民と楽しくお喋りしたり。
アイハでは本当にあり得ない光景だ。イライアはただただぽかんとしているより他はなかった。
ただ、警備の姿が視界の端に見えたのでひとまず安心する。
「……ひ、王妃!」
不意に強い声がした。慌ててそちらを見るとビバルがいつの間にかこちらを見ていた。『王妃』と呼ばれたのは初めてでどぎまぎする。
「何でしょうか?」
「降りるよ。みんなに紹介するんだから」
「紹介って……う、わ?」
せかすように腕を引かれる。イライアはそれに従うより他はなかった。
「陛下、その方は王妃陛下ですか?」
好奇心旺盛そうな女性がビバルに尋ねる。
「そうだ。私の妃のイライアだ。仲良くしてあげて欲しい」
意外な言葉に驚いたが、みんなの視線がこちらを向いているのでビバルに聞くわけにもいかない。
とりあえず挨拶しようとするが、その前にみんなに取り囲まれた。
「新しい王妃様はかわいいわねえ」
「おーひさまかみふわふわー!」
「これからよろしくお願いします、王妃陛下」
「あ、は、はい」
元気な民衆につい戸惑ってしまう。イライアの側にいる少女はイライアの巻き毛の毛先を触って大喜びしている。やめさせた方がいいのだろうか。それとも触りやすいようにしゃがんだ方がいいのだろうかと思案する。何にせよ悪い気はしない。コンプレックスだった父似の金髪巻き毛なのに不思議だ。
「ねえ!」
突如聞こえた懐かしい声に記憶が昔に戻される。条件反射でぴんと背を伸ばしてしまった。
いや、彼である事はありえない、と苦笑する。ただ、ビバルも同じように息を飲んだのはやはり似た声なのだろう。
とりあえず声の主を確認するためにそちらの方を見てまた息を飲む。
「セ……!」
思わず叫びそうになる。それほどこの少年は『その人』に似ていた。
そんなはずはない、と思い返す。『彼』はもう生きてはいない、はずだ。ただの『彼』に似ている別人だ。そう無理矢理思い込もうとするのに、この子供は『彼』だ。と本能が言っている。
「おーさまとおーひさま?」
「そうよ」
動揺を隠し、目の前の少年に返事をする。
「そっかー。ねー、あそ……」
「あー! アリッツずりー!」
「ぬけがけー!」
「まあまあ、みんな待ちなさい!」
少年が『遊ぼうよ』と言い終わる前にたくさんの子供たちと三十代くらいの女性がこちらに向かって来た。それでこの少年の名前が『アリッツ』なのだと分かる。
「国王陛下、王妃陛下、すみません。こら、アリッツ大人しくしなさい」
「やだー。おーさまとおーひさまとあそぶー! はなしてよー、マルセラせんせー!」
アリッツがマルセラという女性に肩をつかまれ駄々をこねている。ビバルは笑いながらマルセラに大丈夫だと言って彼の拘束を解いてあげた。
「元気な子だな。エレストス孤児院の子か?」
「うんっ! アリッツだよ!」
孤児院、と心の中で復唱する。ではこの子は『彼』ではないのかもしれない。
「では後で王妃と遊びに行こう。いいか? 王妃」
「ええ。かまいませんわ」
「やくそくだよ!」
アリッツの言葉にビバルが頷くと、他の子供達も大喜びする。
「すみません、陛下。ありがとうございます」
マルセラがすまなさそうに言う。ビバルは大丈夫だと言って笑った。
しばらくしてからやっと領主らしき男がやって来る。騒ぎが収まるのを待っていたのだろうか。立場が弱いのかしら、と思ったが、さすがに口に出すわけにはいかなかった。
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「驚いたでしょう?」
ひとまず領主館に向かおうという事になり、馬車に戻ったイライアにビバルが苦笑しながら言う。
「あ、はい」
一番驚いたのはビバルが馬車を飛び出して行った事だ、と文句を言いたかったがやめる。それだけあの時のビバルが幸せそうに見えたのだ。
そして、何故ビバルがアイハで人っ子一人いない道に驚いていたのかよくわかった。あの状況を『普通』だと思っている人間には、しんと静まったアイハの街道は信じられないほど寂しい道だったに違いない。
「他の街でもあんな風ですから覚悟しててくださいね」
心底楽しそうにそんな事を言う。からかわれているのがわかり、イライアはむっと頬を膨らませた。これが正しい反応だ。
もしかしたらノエリア王太后は、これを見越してレトゥアナから馬車を出し、アイハ人の警備も拒否したのだろうか。もしそうしなければあの民衆の何人かは『無礼な』と切られていたかもしれない。改めてそんな事を考えぞっとする。ここにいるのがレトゥアナの者ばかりでよかった、と心の底から思った。
「しかし、今はマルセラが院長をやっているのか」
ビバルがぽつりとつぶやく。何か不満があるのだろうかと不思議に思う。イライアの見た所、マルセラという女性は悪い人間には見えなかった。
その横顔が少し寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。
何故そんな表情をするのだろうと不思議に思う。先ほどまでとても楽しそうに見えていたのに。
「もう十年以上経ってるんだもんな。カルロッタばあちゃんがいなくても無理はない、か」
蚊の鳴くような声だったがイライアにはしっかりと聞こえた。
その後、領主館に向かうまで、ずっと窓の外を見ているビバルに、イライアは何と声をかけていいのか分からずうつむいていた。




