塔の中の王子様
アイハ城の北の端にほとんどの人から忘れ去られた古い塔がある。
その前にうつろな目をした男達が立っていた。塔の住人が逃げ出さないように、そして侵入者が入らないように見張る兵士だ。
男達を操った張本人である金髪の少女がその様子を見て満足そうに笑う。 実際には彼女は侵入者なのだが、堂々とした立ち振る舞いから、彼女がこの兵士達を指揮しているようにも見える。
「中に入れなさい」
少女が命じると男達はあっさりと道をあけた。彼女は当たり前のように塔の中に入ると男達に微笑みかける。
「さあ、このやり取りは忘れて頂戴。『この塔に入ったものはいなかった』そうでしょう?」
男達は操られるがままに頷く。
少女が指を鳴らすと男達は定位置についた。
術は完成している。何もなければ、彼女がこの塔から出るときも彼らは自然に道を開けてくれるはずだ。
彼らの目は表向きにはしっかりしているように見える。これなら誰も疑わないだろう。
「お気の毒さま」
あっさりと操られてくれた男達をあざ笑ってから、少女は慣れた様子で塔の長い階段を上っていた。
いつものように最上階につくと、ゆっくり扉を開ける。
「こんにちは、ビバル様」
「イ、イライア殿下!」
ノックもせずに入ってくる少女に、部屋の中にいた少年が慌てて王族に対する礼をとる。いつも見るものと違うのはレトゥアナ王国式の礼だからだ。ここに来るようになってからいつも見るが未だに慣れない。
アイハ王国の隣にあるレトゥアナ王国の第二王子ビバル・レトゥア。七歳までは祖国にいたというからそれまでに礼儀作法はばっちり身につけていたようだ。
「『イライア』でいいっていつも言っているでしょう。その礼もいらないわ。わたくしは王女、あなたは王子。身分は同じじゃない」
「でもここは私の国ではありません」
「わたくしがいいって言っているのよ。今、ここにはわたくし達しかいないんだしそんな堅苦しくしなくてもいいじゃない」
ビバルは困った顔でイライアを見る。イライアの気持ちが変わらないのを知ると、小さくため息を吐いた。やっと折れてくれたようだ。さすがに他国の王子に礼をとられると困ってしまうので良かったと思う。
「分かりました。では『イライア王女様』で。さすがに呼び捨てには出来ません」
「そう……」
むこうも譲歩してくれているのだ。自分も譲歩しなければならない。ビバルが二脚ある椅子の一つをすすめてくれたのでお礼を言って座る。
「で、今日はどうしたんですか?」
「遊びに来たの。乗馬の授業を抜け出してね」
楽しそうに言うイライアとは逆にビバルの顔は青くなっていく。
「な、何を考えているんですか!」
「だってつまらないんだもの。いつもいつも同じコースを走るだけなんて。遠駆けの方がずっといいわ」
とは言っても遠駆けをしたのなんて今までの十六年の人生の中で片手で数えるくらいしかないが。
「そういう事を言ってるんじゃありませんよ」
「じゃあどういう事を言っているの?」
「イライア王女様はこの国での私の立場が何なのか分かっていますよね?」
「知っているけれど……」
イライアは言いよどむ。
ビバル王子はレトゥアナ王国から来た人質だ。十年ほど前、イライアの父であるアイハ王、マルティネスに攫われるようにして連れて来られたという。故に、逃げ出さないように、こうして罪人のようにこんな寒々しい塔の中に閉じ込められている。
ろくな食事を与えられていないらしく、その体はやせ細っている。着てる服も下級貴族の古着を与えられているようだ。だが、出来る限り清潔に保とうと努力しているのがよくわかる。ストロベリーブロンドの髪もいつ手入れしているのだろうと訝しむほどにつややかだ。今はきれいなアイハ語を喋っているけど、きっとレトゥアナ語も忘れてないのだろう。しっかりと姿勢を正してあくまでも自分は王子なのだと虚勢を張るその姿にイライアの心はいつも痛む。ビバルをこんな状態にしてるのはイライアの父なのだ。
一度、パンを差し入れてみたが、冷たい視線と声で追い返された。曰く、私は乞食ではない。そう言われてしまってはイライアにはどうする事も出来ない。
「でもわたくしはビバル様とおしゃべりがしたいわ」
「……それよりきちんとお勉強してください」
まったく十六歳にもなって、などと教師みたいな事を言う。イライアは口を尖らせた。
「もし、授業を抜け出してこんな所に来てる事が知れたら私の立場はどうなるかわかっているんですか。来るとしても休み時間にしてください」
来る事自体は問題ないらしい。
「私は……レトゥアナに生きて帰るんですから」
そう言って窓を睨みつける。まるでそこにマルティネスがいるのではないかと錯覚してしまうほど強い怒りに満ちている。
「ねえ、レトゥアナ王国ってどういう国なの?」
重苦しい空気に耐えられなくなり、話題を変えるために尋ねるとビバルは瞠目した。わたくし何か変な質問をしたかしら、とイライアは訝しむ。
「私は七歳までしかいなかったので今の事は……」
ごまかされた。話したくない。そういう事だろう。どことなくすべてを拒否しているような雰囲気にイライアの方がおろおろしてしまう。
「そ、そう……」
ここまで拒絶されてはどうしようもない。
「さてと、わたくしはそろそろ行かないと。次の授業厳しいのよ」
そう言いながら立ち上がった。決して逃げてるわけではない、と自分に言い訳する。
それに次の授業は休むわけにはいかない。兄がこっそりと三日に一度だけ教えてくれる授業。それだけは新しい事を学べるので大好きなのだ。授業は午後からだが、三日前に出された宿題が難しくて空欄にしてしまった所がいくつかある。昼餐の前に急いで埋めてしまわなくてはいけない。
「また来るわね」
「休み時間に、ですよ」
「……はぁい」
念を押されてしまった。イライアは苦笑してドアに向かう。
その様子を塔の向こうで見つめる視線がある事など、イライアは気づきもしなかった。