ブランケット
異世界から乙女が召喚された。
名をヒグチ ミヤコという。こちらとは違い氏族名は前に、個人名は後にくると語った彼女を皆は"ミヤコ"と呼んだ。
ミヤコは召喚されたとき、自室のベッドで就寝中だったようで、くるぶしまでの長さで袖のない紺色の寝着姿だった。まるで猫のように丸まった彼女は、膝掛けのような大きさの布を肩から包んでくるまって眠っていた。その姿を見たとき、俺は彼女がその布で己を守ろうとしているように思えて、どうしようもない胸の苦しみに苛まれた。
幼げな寝顔は守ってやらねばという動物愛護的庇護欲を駆り立てる要因となった。
俺の家は代々王族に遣える一族で、俺自身も幼い頃から王直属の近衛騎士となるべく修練を重ねてきた。しかし、ある日状況は一変する。
過渡期の再来だ。
過渡期とは、過去にも起こった天災をさす。大地が荒れ、水が枯れ、生きとしいけるものたちの生気が奪われ続ける。大地に漂う魔気の流れに乱れが起こることで現れる現象だと、解明はできても改善の術は見いだせずにいたとき。とある時代の奇才と呼ばれた魔術師が、誤りで異世界から一人の少女を呼び出した。意図せず呼び出したこともあり、呼ぶことはできても戻すことはできなかった。仕方なく、少女は魔術師に元の世界に戻る術を探させつつ、この世界での生活を始めると、どうだろう。彼女が住まう王都周辺が日に日に潤い始めた。気づいた魔術師に請われて少女がこの世を統べる神を祀る神殿を巡礼したところ各地の天災はみるみるおさまった。彼女は世界を救った異世界の聖女と呼ばれることとなった。
以来、過渡期がくると必ず異世界から聖女を召喚することとなるわけだが。
未だに異世界へ聖女を戻す術を見つけることができていない負い目もあり、聖女には王族並みの手厚い持て成しや待遇が与えられることになる。何しろ、世界の存亡にかかわることであるから、『戻せないから召喚はしないで滅びましょう』などという選択はできるわけもなく。
元の世界には戻してやれぬが、その代わりおもねり、敬い、一生涯の生活の保証など、叶えられる限りを尽くそうと。
そしてこの度、再び訪れた過渡期に備えての聖女召喚。俺はその聖女の騎士を叙任されることと相成った。
俺の主であるミヤコは、これまでの記録に残る聖女のように泣くことも怒ることも、一切の動揺もしなかった。驚いたように周囲を見回してはいたが、こちらが丁寧に話しかければ落ち着いて意思の疎通をはかることができた。しかし、意思の疎通はできているものの、彼女は終始夢見心地な表情でいたので、俺は初見の弱々しさも手伝って、不安を覚えていた。
俺は彼女の騎士になった。常に彼女に侍り、警備や周囲に侍る侍女などを取りまとめた。そうして彼女のそばにいるうちに、その夢見心地な表情が彼女の平素なのだと気付いていったが、同時に不安にもあてられた。いつでもぼんやりとしている彼女は、自分の感情すらぼんやりとしか表さないのでとても分かりにくいのだ。良いも悪いも、喜怒哀楽の表現も無いわけではないが乏しいので、周囲は彼女を"人形聖女"と影で蔑称した。
唯一、彼女が大切にしているものがあった。"ブランケット"である。召喚されたとき、彼女が肩にかけてくるまっていたものを、彼女の世界ではブランケットと呼ぶらしい。
毎夜、毎朝、彼女の元へいくと、必ずブランケットで体を包んでいた。
俺は召喚されてからしばらくして、彼女にブランケットの洗濯を勧めた。異世界のものであっても、きっと布であるなら洗濯をするものだと思ったからだ。
ベッドに腰かけていた彼女はベッドの上で立ち上がると、俺の両頬にブランケットを押しつけてきた。想像以上の、まるで柔らかな子兎の毛皮のような滑らかさとともにミヤコの香りする。驚いて彼女をみれば、彼女は乏しいながらも得意気に、『この手触りを維持するためには特殊な洗剤が必要だけどここにはあるのか』と主張した。戸惑いつつも、俺は又聞きした話題を思い出しつつ『おそらくあるが』と答えた。彼女は悲壮感あらわにベッド上で頭を抱えて唸りはじめた。この世界にきて一番の感情表現だった。彼女は魔術師のいない世界にいたため、生活水準からみて、必要な洗剤はないと思い込んでいたそうだ。
侍女に説明をさせ、彼女が納得した上でブランケットを洗濯させた。戻ってきたブランケットに包まれた彼女は、どんなご馳走を与えられた時よりもずっと幸せそうに笑った。
ミヤコは、最上級の羽毛布団が与えられていても、その内側では初めて召喚されたときのようにブランケットにくるまって眠った。それは、聖女として巡礼の旅に出てからも変わらなかった。
ブランケットはとても燃えやすい素材でできているらしい。暖炉があっても燃え移ったら嫌だからと、寒いだろうにブランケットと布団にこもる。野営をしてもテントのなかでブランケットと毛布で暖をとる。火には決して近寄らない。
俺が『寒くはないのか』と聞くと、彼女は『寒い』と返した。『ならば火に当たればいい』と指せば、『これがいい』とブランケットに顔を埋めて見せる。『風邪を引いても知らぬぞ』と言えば、『私は健康だから大丈夫』と主張する。ああ言えばこう言う女である。
俺はとんと面倒になって『もう知らん』と手当たり次第に自分の毛布や余っていた毛布をミヤコに投げつけて埋もれさせてやった。ミヤコはやはり健康だったようで風邪を引かなかった。俺はブランケットにくるまる彼女をみては『このブランケット狂いめ』とこっそり悪態をつくようになった。
旅を続けているある日、事件は起きた。
ミヤコのブランケットが飛ばされて川に流されてしまったのだ。
ミヤコは川にはいってブランケットを追いかけたが、雪解け時期の冷たい水だ。俺はミヤコを追いかけ直ぐ様引き上げた。
川から上がった頃には、流されたか沈んだか、ブランケットは消え去ったあとであった。
ミヤコが鬱いでしまった。
ミヤコは元々我儘を言うような、そもそもほとんど自己主張をしない女だ。探させようかと提案しても、彼女は『別にいいよ』と言ったので、我々は旅を続けた。
しかし、ミヤコは元気がなくなってしまった。元来快活ではなかったので、ほとんどのものは気付いていないようだったが、側に遣える俺や俺の側近、そして侍女数名は彼女の不調が目に見えるようにわかった。
彼女はしょうがない、こんなものだろう、これはこれで不幸でもないし、と諦めたり受け入れたり許したりすることができる人だ。だから誰にも何も求めないし、誰かの理不尽さえ非難しない。在るものから幸せを掬い上げそれで満足するから不幸だったりもしない。
そんな彼女が人に隠せないほど落ち込んでいる姿に、俺は内心、動揺を隠しきれなかった。
「ミヤコ、俺がブランケットを探しに行こうか」
川縁で膝を抱える彼女の背中に提案の言葉をかけると、彼女は微かに眉をひそめた。
「いいって言った。たかがブランケットのために、そこまでしなくていいし」
「しかし、お前にとってあれはとても大切なものだったんだろう」
ミヤコは沈黙で肯定していた。
「俺だけ抜けて、お前たちは変わらず予定通りの旅程で行けばいい」
「いいって。毛布とか代わりならいくらでも、そこまでしてもらわなくても」
「しかし」
「ブランケット一枚のために職務放棄はまずいでしょ。もうこの話しは終わりね」
彼女は人に迷惑をかけることを嫌う。なんとなくそれはわかっていた。
こんな時になって、ふと人形聖女と揶揄する気持ちもわかる。
彼女が世界を救ってくれる。それに感謝して返したいと思っても、彼女は見えない壁を作っている。自分達のせいで彼女はおそらく元の世界には戻れぬだろう。皆は感謝や償いをしたい。だから少しでも彼女を知りたがった。自己主張をしてほしいのだ。あるときは『元の世界へ戻せ』と詰ってほしい。あるときは『世界を救うのだから金銀財宝あつらえろ』といってほしい。けれど当の彼女は何も言わぬ。人によっては『謙虚な聖女だ』などといったが、謙虚もいきすぎれば、無関心と同意なのだと知る。どう考えてもこちらは彼女の人生を勝手に大きく変異させた。しかし怒らないし泣かない。不満を言わない、求めない。こちらに対し、最初から何一つ期待していないと言っている。このことに、きっと彼女は気付いていないだろうが。
聖女の召喚による負の一面を、歴代の王たちはすべての国民に伝えている。だから民たちは心から聖女に感謝し、申し訳ないという思いも抱えている。無関係の世界の乙女の犠牲によって成り立つ平和。今日まで、異世界の聖女に頼る以外の策は探し続けられている。
それでも頼るしかない。だからせめて異世界の聖女の幸せを皆願っている。できることはなんでもしてやりたい。けれど。
そんな不満の思いを思い出しながら、俺もまた『ブランケットが見つかるまで帰ってくるな』と彼女に泣いて怒鳴り付けてほしかったのだと気付いた。
旅はやがて佳境にはいった。
城で待つ幼馴染みの友人たちに頼み、秘密裏にブランケットを探させているが未だ明るい情報は届いていない。
もう大分時が過ぎている。
旅はもう次の最後の神殿で祈りを捧げれば終わる。
結局、ミヤコは最後まで一言だって自己主張をしなかった。
王都に戻ったミヤコは、身の振り方について『希望はない。任せる』と投げやりに言って、ほとんどの時間を一人ぼんやりとして過ごしていた。
今も彼女はベッドの上に膝を抱えて、窓の外の闇を見ていた。
「ミヤコ」
呼んでも彼女は振り向かない。ため息をはいて、彼女に近寄る。
俺は寂しそうな彼女の肩に、ブランケットをかけた。
吃驚したように彼女は俺を振り返る。しばらくそうして見つめてから、彼女は埋もれるようにブランケットに顔を埋めた。
「あったかい」
嬉しそうに頬を綻ばせる。俺はその背中をそっと抱きしめた。
「すまない。見つけられなかった」
彼女のブランケットは見つからなかった。触れは出してあるが、正直いって、見つかる可能性は限りなく低い。
このブランケットは国中の毛織り職人を糸紡ぎ女などを集めて作らせた、今この国で作れる最高の手触りのブランケットだった。それでも、ミヤコのブランケットほどにはならなかった。
本当は満足のいくブランケットができてから渡したかった。しかし俺は見ていられなかった。
ブランケットがない代わりに腕で自分を守るように抱きしめるミヤコを黙ってみていられなかったのだ。
ブランケットにくるまるミヤコを見るたび、向こうにいる愛しい男にでももらったものだったのか。ブランケットはそんな男の腕の代わりのように、ミヤコの心の支えとなっていたのか。そう思わずにはいられなかった。
ミヤコは一度だって騎士である自分に求めたことなどない。俺はミヤコただひとりの騎士だというのに。
ブランケットが飛ばされたとき、俺は本当は嬉しかったのだ。これでミヤコは自分を頼るかもしれない。そう思ったからだ。自分の浅ましさに恥辱が襲う。
ミヤコは結局、ブランケット失ったことで自分の腕で自分を守った。もしかしたら、ブランケットによって守られていたかもしれないのに、自分の浅ましい欲望のためにミヤコは。
己の罪を全てミヤコに吐露した。すまなかった、と何度も合間に口をついて出てくる。謝るくせに抱きしめた腕を離せなかった。ミヤコはそんな俺の懺悔がおさまると、腕を優しく叩いて離れるよう促した。未練がましくゆっくり離れれば、ミヤコはなぜだかとても照れくさそうに笑っていた。
ミヤコは言葉を必死で探しながら、語った。
「元の世界では浅い人間関係だった。多分、普通の範囲なんだろうけど、私わがままだから、それがすごく寂しくてね。友達とかと話してても冗談でも『えっ別にあんたに聞いてないんだけど!』とか『他の子と約束したから遊べなくなった』とかそういうのばっかで」
ミヤコは必死で笑いながら悲しい話をする。
「好きな男とか、いるわけないよ! 会う人会う人みんなが嫌な人なわけじゃなかったよ。それなのにみんな離れていくのは私がその程度の人間だったから。誰にだって選ぶ権利はある。私と一緒にいたいって言ってくれる人はいなかった。私も選んでもらえるように自分なりに頑張ったんだけどね」
そう言いながら、ミヤコはブランケットをぎゅっと握りしめた。
「あったかいフワフワのブランケット。あれにくるまってると前に抱き締められたこと思い出して、安心するんだ」
意思のないブランケットに包まれて、幸せを噛みしめ満足したふりをする。彼女はとても孤独に見えた。
「ただそれだけなんだよ!欲求不満を暴露するみたいでちょっと恥ずかし」
やはり照れたように笑った彼女を遮って、俺はもう一度彼女を抱きしめた。
俺は彼女が誰にでも平等にしていることが気に入らなかった。誰かを特別に懇意にしない。選ばない彼女を思い出せば、ようやく気づく。愚かだけど彼女はいつでも選ばれなかった人の気持ちがわかるから誰も選べなかったのだろう。選べと言われたときの、困惑した表情。
選ぶことは権利だ。義務ですらあるだろう。しかし今の彼女は、打ちのめされ過ぎて、選ばれないことが当然で、選ぶどころか望むことさえ自分には権利がないと思い込んでいるのだ。
抱き締め続けようと思った。
この孤独な女性のブランケットになろう。
「……あの、変な話してごめんなさい。あんなこと言ったら気にするの、当たり前だ」
ああ、またこの聖女はろくなことを考えていないんだろう。だから直ぐ様、話しを変えてやる。
「柔らかいブランケットができあがるまで、俺で我慢してほしい」
「はい?」
「職人たちを総動員して開発にあたらせているが、道程は長く険しいだろう。せめて代わりに俺を使えばいい」
「…………いやいやいやいや何いってるの? ちょっと意味がよく」
「意思はあるし少々かたいが、包容力と暖かさなら勝るはずだ。遠慮する必要はない」
また少し強めに抱くと、彼女の耳が真っ赤に染まっていた。この様子なら先程の卑屈もきれいさっぱり飛んでいってくれたはずだ。
「ブランケットなら間に合ってますから!」
「いいや承諾しかねる。俺はあのブランケットの肌触りを直に体感した身だ。あまりにも違いすぎるだろう」
モゴモゴと『でも』だの『だって』だの何かいい募っていたが、いいわけ女王にいちいち付き合うことはない。この聖女にはあまり考えさせないほうが良いと直感が告げていた。
ブランケットなど比較にならぬほど、抱き心地のよい彼女を抱き締めてベッドに横になる。背中を緩く抱き、逆の手で黒髪を空いてやれば、しばらくして彼女は体の力を抜き始めていた。
腕にすっぽりとおさまるミヤコは諦めが早く、あっという間に眠りについてしまった。緩く胸元のシャツを握りしめる彼女はこの上なく愛らしかった。
告白はしばらくはお預けだ。どうせ言ったって、自分に自信のないこの子供は信じたりしないのだから。
だからブランケットになる。あれの役割を俺が担って、あの枯渇しすぎて周囲をイラつかせそうなレベルなこの子供を満たしてやって。
この国の人間であれば、ほとんどが喜んで聖女を甘やかしたがるだろう。それも全て巻き込んで。
満たしてみたして、そして選ばせる。ブランケットか、俺か。いいや、迷わず俺を選ぶように。
アームストレイム王国では、つむぎ糸が特産物でもないのに、毛織り産業が盛んである。特に評判が高いのは、世界で一番柔らかな手触りのあたたかなブランケット。
かの有名な異世界の聖女のために作らせたブランケットは、この王国に不思議な求婚方法をも生み出したという。
『ブランケットのようにあなたの一生を包み守らせてください』
かの聖女は騎士であった夫や王国民たちに包まれるように愛され、幸せに暮らしたという。
久々に投稿しました。
PCネットに繋げなくて、スマホで書きました。
変なところあるかも…。
でもPCで書くとまた投稿できない小説がたまる一方なので、短編構想だったし、自信ないけど…書きたくて…。
いつかPCでお直ししたいけど、暫く無理かな…。
簡単に直せそうなところであればご指摘お願いします。
簡単ならスマホでもイケる!
読んでくださってありがとうございました。