そして、第一話のその前①へ
「越前くん!私もあなたが好きです!」
「紗理奈!」
俺ーーヴィクトル 近江の可愛い従妹は、ずっと好きだった同級生と無事に心通わせたらしい。
海岸沿いで二人抱き合う光景に、俺は目を細めた。
俺の他に2人を見守るのは叔父夫婦と従妹の相手の両親。
そして、従妹の学校の男子学生たち四人だ。
四人の男子学生の内三人が、泣き笑いの表情を浮かべており、一人はどこか満足そうな笑顔だ。
うん。
彼らの胸中には、色々な思いがあるのかもしれないが、それでも祝福されているんだな。
俺はそれが嬉しい。
俺の笑顔も、あの一人の男子学生のように、満足そうなものなんだろう。
「素敵なハッピーエンドだ」
俺は頷くと踵を返した。
良かったな、紗理奈。
と思うのと同時に、少し羨ましい。
俺は、まだ、運命の人には出逢えていない。
俺はそこまで考えて、自嘲の笑みを零す。
運命の人、か。
馬鹿らしいと思うのと同時に、それを打ち消すほど強く、魂の奥底から、早く彼女を見つけろという声が響く。
ライナス。
分かっているから、少し黙ってくれ。
俺は、俺の魂の奥に居座り続ける男に向けて、そう心の中で呟いた。
駐車場に置いていた車に乗ると、俺は椅子に背を深く預けた。
目を閉じると、途端に頭を支配する記憶がある。
魔法が全てを支配していた世界。
大きな一つの大陸とそれに沿うように存在する五つの島。
五つの島の内の一つの島で、その島を治める王直属の騎士隊長として、『前世』の俺ーーライナスは生きていた。
これが、ただの妄想だったなら、どれほど良かっただろう。
だが、似た記憶を持つ知人数名の存在が、それを否定する。
忠誠を誓った王。
信頼した部下。
良きライバルでもあった親友。
彼らと出会えたことは、俺にとって僥倖だった。
前世の記憶に悩まされた日々も、彼らがいたから、今の俺とうまく折り合いがついたのだ。
だが、俺のその記憶にも、穴がある。
ライナスには、妻がいた。
ライナスはその妻を溺愛していた。
その愛しい存在である彼女についてだけ、俺は記憶が曖昧なのだ。
俺はライナスの妻の容姿も、名前さえもすっぽり抜け落ちている。
だからだろう。
俺の中で、ライナスは日々嘆き悲しみ、俺を急かす。
早く、早く。妻を見つけてくれ。
早く、早く。彼女に逢いたい。
「俺だって、逢えるものなら逢いたいよ」
「会えばいいじゃない」
俺の呟きに返答する声がした。
俺は眉を寄せ、目を開けた。
フロントガラスの前に浮かぶように、女の上半身が見えた。
鼻の横に黒子があることだけが特徴の平凡な顔立ちの女だ。
通常なら、絶叫する場面だが、俺は何度かこの場面に遭遇していた。
「なんだ、またお前か」
嘆息しつつ、適当に言えば、女は笑った。
「また、とはあんまりじゃない?今回で、ヴィクトルに会いに来るのも最後なんだけど」
「それは、嬉しい。さようなら」
「あ、酷い!」
そう言いながらも、女は笑い、去ることをしない。
「要件は?」
俺が渋々問うと、女はしたり顔で笑った。
嫌な顔だ。と俺は思う。
女と初めて会ったのは、俺が十二の歳だった。
女は、この世界とは違う世界の住人だと言った。
「つまるところ、私は少しだけあなたの人生に手を加えることが出来る存在なの」
女の言葉通り、女はこれまで二度現れては、俺に影響を及ぼした。
初めて出会った時は、前世の親友であるアルフレッドが今世で産まれたことを教えてくれた。
彼は今、十五歳で、国分寺立希という名の中学生だ。彼にも前世の記憶があり、今世では兄のような存在として、彼と交流がある。
二度目は、二十一歳の時だ。
その時まで、俺はライナスの妻の存在さえ、忘れていた。
女に言われて、初めて思い出した時の衝撃を、今でも鮮明に思い出せる。
この頃のライナスは訳も分からないまま荒れ狂っており、俺はその激情のまま、女遊びにふけっていた。
妻の存在があったということだけを女によって思い出した瞬間、俺は呆然とし、ライナスは俺の中で号泣した。
そのせいで俺の感情は渦巻き、結局ライナスの号泣に引きずられるように絶叫した。
それから、五年。
俺は女遊びを辞め、妻を探し続けている。
「時期が来たのよ。とうとう、終わって、始まるの」
今現在、フロントガラスの前に浮かぶ女は機嫌良さそうだ。
「何が始まるんだ?」
俺の疑問に、笑みを浮かべていた表情を女は改めた。
女は今までに無いほど真剣に俺を見た。
「新しい話よ。この世界の国分寺立希くんを主人公に据えて、彼の話が始まる」
「…何を言っている?」
思わず、眉を寄せる。
だが、そんな俺を見て、女は肩をすくめて見せた。
「言葉通りの意味だし、別に分からなくても、なんら問題ないよ。でも、そのために、ヴィクトルには、先にやることがある。だから、私は来たの」
女はそう言うと、手を伸ばし、俺の額にかかった前髪を整えた。
その手を避けるよう身じろぐと、女はニヤリと笑った。
「その無駄に整った顔で、あなたの前世の妻に、早く愛でも囁きに行きなさいな。彼女の今世の名前はーー」
「!!」
勿体つける女に、俺は息を飲む。
彼女の名は?
ライナスが、「早く!」と叫ぶ。
それが聞こえたかのように、女は含み笑った。
「やっぱり、やーめた!でも、ヴィクトル。あなたは、彼女を見たことがあるはずよ」
「お前ーー!」
女の言葉に思わず絶句した。だがすぐに我に返り、女の胸ぐらを掴もうと腰を浮かしたところで、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を感じた。
愛しのアンジェリカ!
美しい金の髪、桃色の頬、赤い唇を持つ、美しい女性が、ライナス最愛の人だ。
「ライナス」と呼ぶ声は、耳に甘く響き、空色の瞳で見つめられるのが大好きだった。
そして、彼女の今世は…。
ああ!なんということか!
俺は、慌てて先程、紗理奈たちを見て満足そうな顔で笑う一人を思い出そうとする。
ああ、でも駄目だ。
黒い短い髪と男子学生服を着ていたことしか思い出せない。
だが、彼女だ。
彼女ーー何故男子学生服なんて着ているのだろうーーこそ、ライナスの妻だ。アンジェリカだ。
俺の、運命の人だ。
俺は車のエンジンをかける。
「…どけろ」
女に向けて、一言告げると、女は「はいはい」と言いながらも存在が薄れ始めた。
俺がアクセルを踏みこむと、女の存在は、さらにその速度を上げて薄れていく。
「じゃあね、ヴィクトル。頑張って」
女はそう言って手を振ると、完全にその姿を消した。
ハンドルをきりながら、俺は夜、紗理奈に電話しよう、と決めた。
彼女の『今世』の情報を得なければ。
ワインを片手に俺はマンションの自室で紗理奈に電話をかけた。
スリーコール程で電話に出た紗理奈の声は弾んでいた。
幸せが、声からも溢れ出ている。
だが、紗理奈がその幸せを語ろうとするより前に、彼女のことを尋ねた。
「あの男の格好をしていた女の子について教えて欲しいんだ」
「え!葵くんのこと?」
そう言って驚いた様子を見せた紗理奈に、「一目惚れだ」と言ってみる。
すると、紗理奈は大袈裟なくらい喜んだ。にも関わらず、紗理奈は彼女について詳しくは教えてくれなかった。
教えてくれたのは、名前と同じクラスであること、生徒会役員であること。
それくらいだ。
なぜ、男子学生服を着ているのかと尋ねれば、「言えないの。二人の秘密だから」と言って突っぱねられた。
まあ、いい。明日、会いに行けばいいのだ。
俺は電話を切ると、手に持ったままだったワインを飲み干した。
高校への寄付金。
利益へ繋がるコネクション。
そして、俺からは脅しを少し。
それを差し出せば、簡単に学校内を自由に歩ける権利を得ることが出来た。
生徒会室へ行きたい旨を伝えると、校長から案内役まで借りることができ、俺は機嫌良く生徒会室へ向かいながら、校内を見て回る。
真面目そうな女教師は、一つ一つ、丁寧に学校の設備などを説明してくれた。
私立校というだけあって、きれいな学校だ。
女教師曰く、設備も整い、教育カリキュラムにも定評があるらしい。
彼女の学び舎として、十分だろう。
「ここが、生徒会室になります」
その案内に、俺は歩みを止めた。
壁に取り付けられたプレートに、少し仰々しく『生徒会室』と書かれてあるのを確認し、目を細める。
「案内ありがとうございました」
そう、にこやかに礼を言うと女教師は顔を赤くさせ、足早に去って行った。
俺は生徒会室の扉をそっと触れる。
この扉の奥に彼女がいる。
そう思えば、この何の変哲もない扉でさえ、愛おしい。
俺は扉を勢い良く開けた。
まず、目に入ったのは、見知らぬ男たち三人だった。
三人それぞれが動きを止め、呆然と俺を見る。
こんな男たちより、彼女はどこだ?
視線を彷徨わすが、見当たらない。
「…あの、どちら様ですか?」
「あれ?日向葵は居ないのか?」
俺と彼ら。
疑問を発したのは、同時だった。
ようやく現れた彼女は、短く整えられた黒髪の、シャープな輪郭の顔を持つ、美しい人だった。まさにアジアンビューティだ。
彼女を目の前にした途端、俺の中でライナスが歓喜の声をあげた。
俺は、早速椅子に座る少女ーー日向 葵に近づくと、葵を見下ろして、うっとりと見つめた。
アンジェリカとは全く違う色味を持つ彼女だが、それでも、俺を射抜く力強い瞳に、アンジェリカだと確信する。
葵を今すぐ抱き締めたい衝動に駆られるが、俺はそれをぐっと抑えた。
突然の来訪者に、苛立っているのだろう。だいぶ、機嫌が悪そうだ。
第一印象から嫌われたくはない。
だが、その感情が俺のせいで引き起こされたものだと思えば、自然と頬が緩むのを感じる。
俺も馬鹿だなぁ。
そんなことを思いながら、葵の疑問に答えるために口を開いた。
「ここには、葵に会いたくて来たんだ」
ああ。
その冷たい微笑みも、美しいな。
俺は機嫌良く、葵の柔らかそうな唇の動きを見ていた。
どんな言葉も、どんな表情も、俺には甘い。
「僕を脅して、何が目的なのですか?」
「脅すつもりなんてない。ただ、葵に会いに来ただけだ」
俺がそう言うと、葵は眉を寄せた。
だが、それも一瞬で、強く俺を睨む。
「貴方の言葉は、十分脅しに値すると思いますし、僕には貴方が僕に会いに来る理由が分からないのですが」
漆黒の瞳に俺が映っている。
この綺麗な瞳が、一生、俺しか映さなければいいのに。
「…理由が知りたい?」
葵の瞳を、見つめる。
「ーー葵。俺は君が欲しいんだ」
葵は目を瞬かせた後大きく嘆息し、「意味が分からない」と言い捨てて、部屋を出て行った。
俺は思わず笑声を上げた。
本当に、可愛すぎる。
存在を忘れていた男たち三人が、戸惑いがちに俺に声をかけるまで、俺は嬉しくて笑い続けた。
その日から、俺は葵なしでは生きていけなくなった。
葵について知りたい。
その一心で、彼女の家も、過去も、今も、持てる力を全て使って調べ上げた。
彼女への母親の仕打ちと、それを放置して愛人のもとへ向かった父親。
そして、その愛人と子どもについて。
俺は衝撃とともに、それらを知った。
朝になれば、俺は葵の家の前に車で迎えに行く。眉を寄せて俺を見る葵をエスコートして車に乗せる。
「なんで住所を知ってるの」そう言った葵には、笑顔で誤魔化しておいた。
葵を学校に送ったら、経営する会社で仕事だ。
前世で騎士だったからも影響しているのか、警備会社を経営し、そこそこの実績と利益をあげている。
取締役社長としての仕事は量もあり、多岐に渡るが、葵の授業が終わるまでに仕事を終えなければいけないので、かなりハードスケジュールでそれらをこなしていく。
部下は俺が仕上げた書類を確認しながら、「貴方の運命の人は素晴らしいですね」と言ったので、「そんなこと知っている」と返せば、何故か呆れられた。
放課後近くなれば、俺は社長室を抜け出し、生徒会室へ向かった。
紗理奈の相手ーー越前というらしいーが、時折、葵に仕事を言いつけたり、葵が報告に行ったりする以外は、生徒会役員たちは俺と葵を遠巻きにしてくれた。そのおかげで、葵を独占でき、俺は満足している。
そして、葵の生徒会の仕事が終われば、再び葵をエスコートして車に乗せ、家まで送った。
自然、笑みが零れる。
話すのは俺ばかりだ。その話というのも、俺の子ども時代の話や、不味かったスクランブルエッグなど、とりとめのない会話だ。
だが、その話を葵が聞いてくれていると思うと、俺は今幸せなのだと実感する。
会話の終わりには、必ず、俺の気持ちを伝えた。
「葵。俺のものになって」
俺は毎日毎日、何度も何度も、そう繰り返す。
「馬鹿じゃないの」
いつも同じ葵の返答に、親しみの色が含まれ始めても、俺はそれをわざと気付かないふりをして、何度も彼女に愛を囁く。
葵。
愛されることなく育った君に、俺が愛を捧げよう。
だから。
俺に頂戴。君の全てを。
君の喜びも、悲しみも、怒りも、困惑も。
君のどんな行動さえも。
君に起因するなら、俺は喜んでそれを受け入れる。
でも、葵。
その行動だけは、駄目だ。