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最終回のその後①

「越前くん!私もあなたが好きです!」

「紗理奈!」

青い海をバックに、美少女と美青年が抱き合っている。


美少女ー近江 紗理奈 と美青年ー越前 真人 の両親。四人の横に立つ紗理奈の従兄。

彼らはそれを微笑ましく眺めていた。


紗理奈を好きだった石川嶺、最上啓大、筑紫柊一郎。

彼らも皆、泣き笑いに近い表情だが、二人を祝福していた。


そんな光景を見ていた僕こと日向 葵は、彼ら三人とは違い、二人に惜しみない笑顔を向けた。


素敵なハッピーエンド。


目の前の光景は、その言葉が本当に相応しかった。



「はい、カーーーット!」


こんなふざけた声が聞こえてくるまでは。



僕は声に反応してキョロキョロと辺りを見渡すと、僕の斜め後ろで変な人が空中に浮かんでいた。

僕は思わず眉を寄せる。

人を見て眉を寄せるだなんて、失礼極まりないと思うのだが本当に変な人だったのだ。

なぜなら、その人は空中に浮かんだまま、ガッツポーズをしていたからだ。

それもスウェット姿で。


「終わった~、終わったよ~。長かった!本当に長かった!でも良かった、無事に最終回だ~」


声は女性だ。その女性は髪を振り乱し小躍りし始めた。



え、ほんと、なんなの。


僕がそう思ったとしても許して欲しい。


僕は斜め後ろを見ないように、未だ抱き合う二人に視線を向け直した。


ん?


未だ抱き合う?



そこでようやく、自分以外の人々が動いていないのに気付いた。


「えっ!」


「……え?」


僕が思わず上げた声から数秒遅れて、声が聞こえた。


斜め後ろから、すごい視線を感じる。


絶対に斜め後ろを見るものか。

絶対に、絶対に。

知らないふりをしたら、きっと勘違いだと思ってくれるはずだ。


そう思って、ジッと動かず我慢していたが、視線による抗い難い圧力に屈して、僕は再び斜め後ろを向いた。


恐る恐る、女性の顔を見る。


鼻の横に黒子があるのだけが特徴の、平凡な顔立ちの女性は、僕が振り返ったことで、目を爛々と輝かせた。


「あなた、葵ね?」


その言葉を聞いた途端、ガツンと頭を殴られた衝撃があった。


膨大な量の知識が、頭に流れ込んでくる。



そうなのか。



ここは少女漫画の世界で。

この女性が、漫画の作者なのか。



ぐるぐると、目が回る。


視界の端で作者は口角を上げた。


その口が、「あ、お、い」と動くのを視認してすぐに、僕は立っていられないほどの目眩を感じた。


ああ、もうだめだ。




「…葵。これからも頑張ってね」



遠退く意識の中で、作者が手を振っていた。





僕は自室の布団の中で目を覚ました。

それに心底安堵する。

携帯の日付を確認すると、作者と出会ったのは、もう昨日のこととなっていた。


仰向けの体勢で天井の木目を眺めながら、僕は頭の中に流れこんできた膨大な知識を反芻させた。



『海を見に、あなたと』

主人公である近江 紗理奈と四人の男の子たちとの青春ラブコメ。

少女漫画で、今一番人気の作品。


それが、僕の生きる世界なのだそうだ。


いや、正しくは少女漫画だった、というべきか。

昨日の場面で最終回を迎え、この世界はあの作者の手を離れたのだから。




頭が可笑しいと、自身を笑えたら、まだよかった。

だが、何故かそのことが事実なのだと、僕はしっかりと理解している。


僕は嘆息した。

まずは、僕の漫画上での『設定』について、復習してみよう。


名前は、日向 葵。『僕』と言ってはいるが、正真正銘、女だ。

街で一番古い家柄の、いわゆる名士と呼ばれる男の孫娘として、この世に生を受けた。

だが、古く大きな家柄特有の愛憎渦巻く出来事のせいで、僕は男として生活している。


まあ、簡単に言えば、正妻の子である僕は女で、愛人の子は男だったために、僕は母に男であることを強要されているのだ。


そんなことを強要されて従うなんて馬鹿らしい。と今は思うが、これまでそれに従ってきたのは、作者によって思考が制限されていたのだろうか。



兎にも角にも、そのせいで私立雛菊高等学校の二年生である僕は、女子の制服であるセーラー服ではなく、学ランを着て学校に通っている。

そして、これまた母の意向で、生徒会の会計なんてものもしていた。



主人公ーー近江紗理奈は、僕と同じ高校の二年生だ。ちなみにクラスも同じ。


僕の頭に流れ込んできた知識によると、『海を見に、あなたと』は、僕たちが二年生になってすぐ、僕が近江紗理奈に女だとバレた日が、第一話だったらしい。



そう、あの日は大変だった。


まず、掃除時間開始すぐに、水の入ったバケツを、近江紗理奈がこけて僕にぶちまけ。

次に、空き教室で、体操着に着替えている最中に、近江紗理奈が突入して来て。

そして、さらしによって押さえ付けられた胸を見られ。


結果。

近江紗理奈に、女だとばれた。



確かに、ここが漫画の世界だと知ってしまえば、なんとひねりのない展開なのかと、呆れる。


こんな展開で、本当に人気漫画だったのだろうか。

疑問が残るが、僕には分からないし、興味もなかったりする。


思考が、ずれた。考えを戻そう。



僕が女だとバレたその日から、僕の生活はドタバタと騒々しくなった。

その騒がしい日々が、つまり、漫画の二話以降となっていたようだ。



近江紗理奈というのは、なんというか男によくモテる。そして、とてもよく騒動に巻き込まれる。


僕の役割は、その騒動を時には収め、時には紗理奈の逃げ場所となることだった。

僕を女だと知っている紗理奈は、僕によく抱きついて言った。

「葵くん!ありがと~!大好き!」と。


その度に、紗理奈を好きな男子ーーその筆頭である越前、石川、最上、筑紫(ちなみに彼らも、僕と同じ生徒会メンバーだ)に、睨まれた。


それが、『海を見に、あなたと』の安定のオチとなっていたようだ。



僕は、紗理奈に女だとバレて、かなり悩んだ。騒動に巻き込まれることも、本当に嫌だった。

でも紗理奈は、何をするにも一生懸命な子で、その点は好感を持っていたから、彼女を助けたくて、騒動を解決するために奔走した。


それが、作者によって定められた不可抗力だったとしても、あの日々は後悔してはいない。




僕は勢いよく起き上がる。

いい加減に起きないと、学校に遅刻する。

いつものように、朝食を食べて、顔を洗う。

いつものように、短い髪を梳かして、学ランを着る。

いつものように、家を出て、登校する。

いつものように、教室に行く。



いつもなら、この段階で何かが起こる。


教室の扉を開けると、すぐに憐れみの視線を受けた。


僕は思わず首を傾げる。だが、すぐに得心した。



教室の窓の近くで近江紗理奈と越前真人の二人が楽しそうに話している。

二人が付き合い始めたことが、教室中に広まっているようだ。


クラスでは、僕が近江紗理奈と付き合うのではという見方が大半だったので、僕が彼女に振られたものと思っているのだろう。

ざわつきの原因が、それだということは、他には何も起きていないということ。

ああ、僕は自由なのだな。そう感じた。



自身の席に座ると、越前から意味深な視線を一瞬受けたが、すぐに反らされる。



安心して欲しい。近江紗理奈は君と幸せになるんだから。


これからは、君が彼女を堂々と助けれる。

彼女が僕に助けを乞うことは、もうないだろう。



そんなことを思いながら、くつりと笑った。


なんだか、不思議だ。

助けるために奔走した日々から、解放されるなんて。



本当に、漫画が終わって良かった。



これからの毎日は、きっと楽しいだろう。



*****


そんなことを思っていた朝の僕は、本当に、馬鹿だった。



今まさに、僕を不機嫌にさせる状況が訪れている。


僕は苛々とした思いを込めて爪で机をコツコツと鳴らした。


生徒会室にある書記用の机に置かれた山積みの書類は、そんな振動では崩れはしないが、その音に三人の男たちが、顔色を悪くさせた。

視線を決してこちらに向けることをしない三人ーー越前を除く紗理奈に振られた可哀想な生徒会役員たちに、僕は冷めた視線を一瞬だけ向ける。


ちなみに、越前は紗理奈とデートらしい。まあ、生徒会会長である越前は、今のところ暇なので(今度山程仕事をさせようとは思うが)、そのことは良い。


それよりも、僕を苛立たせる存在について、考えなければ。




僕が放課後の生徒会室に入ると、異質な存在があった。


基本的に生徒会室に居るのは生徒会役員だけだ。他に居たとしても、顧問の教師くらいのはずだが。


学生でも教師ですらない、どう見ても部外者の男は、生徒会室の越前の机に腰掛けていたが、僕が生徒会室に入ると、それはもう素晴らしい笑顔を見せた。

男は、僕が席に着くのと同時に近づき、そして今。


男は、椅子に座る僕を見下ろしていた。



僕は椅子に座ったまま、僕を見下ろす男を睨み上げた。


日本人離れした、彫りの深い容貌に、ふわふわの柔らかそうな琥珀色の髪と瞳を持つ、どう見ても二十代の男だ。



部外者がこの生徒会室に存在し、さらにはその存在は、僕が溜まりに溜まった仕事を片付けるのを、邪魔している。



本当に、信じられない。



「石川くん」


顔を生徒会副会長である石川に向け、その名を呼ぶ。


彼は、悪い顔色を更に悪くさせた。

青白く、額にはうっすら汗がにじんでいる。

そんな石川の様子には構わず、僕は口を開いた。


「どうして、部外者がここにいるの」


石川はそれに大きく首を横に振った。

思わず、それに眉を寄せる。


「石川くんたちが、この男を招き入れたんじゃないわけ?」

「違うよ、葵」


僕の言葉に答えたのは、にっこりと満面の笑みを浮かべた目の前の男だった。


「ここには、葵に会いたくて来たんだ」


彼はとても流暢な日本語で、そう言った。


それに、内心では舌打ちし、外面では口角を上げる。


生徒会役員の男たちが体を震わせたのが、視界の端で見えた。それには構わず、僕は笑みを浮かべたまま、男をじっと見上げた。



紗理奈に一度だけ見せられた写真と、昨日の海で抱き合う越前と紗理奈を見ていたその横顔。


その記憶を思い出しながら、目の前の男を見て、僕は思わず鼻で笑った。



ふん。


やっぱり、少しだけ紗理奈に似ているな。




「ーー初めまして、紗理奈の従兄さん」


男は僕の言葉に、笑声を上げた。


「初めましてはないんじゃないかな。俺たちは会ったことがある」

「昨日のことを言われているのですか」

僕は机の上で手を組んだ。


椅子の背もたれに深く背を預け、男へ向けて、小首を傾けた。



「確かに、昨日、海で越前くんと紗理奈の側に貴方が居たのは存じています。しかし、直接僕は貴方に会った覚えがない。初めましてで間違っていないと思いますが」


「いいんだ、思い出さなくて。たが、俺は、君の『昔』を覚えている」


僕は思わず眉を寄せた。


「昔、ですか。幼い頃会ったことが?失礼ですが、僕は貴方の名前さえ知りません」

「いや、本当に『昔』なんだ。葵は気にしなくて良い」


男は少しだけ寂しそうに眉を下げたが、すぐに小さく首を横に振った。


「でも、名前は覚えて欲しいかな。俺の名前は、ヴィクトル。ヴィクトル 近江」


男ーーヴィクトルは僕の方へ一歩近づき、僕を覗き込むように腰を屈めた。


額同士がひっつく程近い位置で、僕の目をしばらく見つめた後、その瞳を和ませた。


ヴィクトルは、僕の耳元に口を寄せ、ふっと息を吐いた。


「俺は君の秘密を知っているよ」


思わず、僕は目を見開く。


僕の秘密は、一つしかない。



「紗理奈が、貴方に話したのですか?」


僕が女だと知っているのは、家族と学校の保険医、そして紗理奈だけだ。


紗理奈を疑いたくはないが、ヴィクトルは、彼女の従兄だ。彼女から聞いたとしか、考えられない。


だが、ヴィクトルは屈めた腰をのばし、再び僕を見下ろした。そして、笑いながら、僕の問いを否定した。


「言っただろ、俺は君を『昔』から知っているんだ」



ヴィクトルは甘やかな視線で僕を見ると、そっと僕の頬に手で触れてきた。



それに、鳥肌が立つ。



僕は、勢いよくその手を払い除け、目の前のヴィクトルを睨みつけた。


「僕を脅して、何が目的なのですか?」


淡々と告げる僕の言葉に、ヴィクトルは表情を崩さない。

笑顔のままだ。


「脅すつもりなんてない。ただ、葵に会いに来ただけだ」

「貴方の言葉は、十分脅しに値すると思いますし、僕には貴方が僕に会いに来る理由が分からないのですが」



「…理由が知りたい?」


その瞳に強い光を宿したのを、僕は見逃さなかった。


何を言うのか。


僕はヴィクトルを睨み続ける。


「ーー葵。俺は君が欲しいんだ」



ガタガタッ!



それまで僕たちの成り行きを静観していた生徒会役員三人が、大きな音を立てた。

思わず、椅子から立ち上がる者、椅子から滑り落ちる者、持っていた書類を床にぶちまける者。

反応はそれぞれだが、三人ともヴィクトルを呆然と見ていた。


最上など、口が魚のように開閉している。驚きすぎて言葉にならないようだ。



僕は、ヴィクトルに聞こえるように、長い溜息をついた。


「……本当に意味が分からない」


僕は机にかけておいた鞄を掴み、立ち上がった。


楽しそうな表情のヴィクトルと驚いた顔で固まる生徒会役員三人が視界に入ったが、そのまま僕は生徒会室を出て行った。





その日から、僕の日常に彼が加わった。



朝になればヴィクトルが僕の家の前に、黒光りする外車で迎えにきて僕を無理やり車に乗せる。


学校に着いたら着いたで、紗理奈から「ヴィクトルの良いところ」を延々と聞かされる。


放課後、学校から何故か許可が出ているらしく、生徒会室に我が物顔でやって来る。



僕のことを男だと思っている生徒会役員たちは、男同士の恋の駆け引きに巻き込まれたくないと、僕らを遠巻きに見ている上に、いつも以上に余所余所しい態度で、僕を苛つかせた。


そして、生徒会の仕事が終われば、再びヴィクトルに無理やり車に乗せられ、家まで送られる。



ヴィクトルは何が楽しいのか、笑みを崩さず、僕に色々な、それこそヴィクトルの幼い頃からその日の朝食まで多岐に渡った話をしてきた。


そして、会話の最後は、いつも決まっていた。


「葵。俺のものになって」

「馬鹿じゃないの」




敬語は、いつの間にか使わなくなっていた。


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