食事と回想
「どうしてこうなったんだ……?」
黒いタキシード姿の助手はため息をつく。今彼がいるのは待ち合わせ場所で有名なとある高級レストランの前であった。どうして彼がこんな場所にいるのか、それは昨日の夜に遡る。
「あの、笹谷さん?」
助手にこう声をかけてきたのは片野麻理。つい先日から研究所で働き始めた家事などの雑用を一手に引き受けるスーパーメイドである。どこでどう用意したのか、この研究所の所長である科学者と呼ばれている人物はメイド服まで用意していたので、彼女のユニフォームはそれになっている。ちなみに笹谷というのは助手の名字で、本名は笹谷良毅と言う。
「……え、えっと、何かな?」
助手はやや引き気味にこう聞く。彼自身、あまり女性と接点がなかった上に、片野のような人物は彼が苦手とするタイプだった。せっかく彼女の仕事時間はここで終わりだというのに、一体何の用だろう、という疑念が先に助手の頭に入ってきた。すると、片野はこう聞いてくる。
「あの、今度もし良かったら二人で一緒にお食事行きませんか?」
「えっ、しょ、食事? い、いや、それはちょっと……。私にも発明があるし……」
慌てて断る助手。冗談ではない。ただでさえ苦手な彼女と二人で食事などたまったものではないからだ。
「えー、たまには気分転換も大事ですよー、行きましょうよー!」
しかし、片野はどうしても助手と行きたいらしく、駄々をこね始めてしまった。
「い、いや、しかし……」
「いいんじゃないかのう。わしもたまには一人でのんびり発明に没頭したいところじゃし」
意外なことに、科学者がそこに口を挟んできた。
「ちょ、博士!」
「たまにはのんびり羽を休めてくるといい。君にはこれまで相当頑張ってもらっていることじゃしな」
「い、いや、でも……」
尚も渋る助手だが、そこに片野が小声でトドメを差してきた。
(笹谷さん、こないだあたしの下着姿見ましたよね? すごく恥ずかしかったんですよ? なのに、笹谷さんはあたしのこんな小さなお願いも聞いてくれないんですか?)
(あ、あれは事故で……)
助手は途端に慌てる。確かに見てしまったが、あれは双眼鏡の機能を知らなかったからで、そんな機能がついていると知っていたら間違いなく科学者の方を見ていただろう。
(へー、そうですか。あたしの下着見たの、事故の一言で片付けちゃうんですね……?)
片野が涙目で見る。
「……分かったよ、行けばいいんだね」
助手は諦めた。このまま彼女の言い分に付き合っても勝ち目がないのが見えていたからである。そもそも事故とはいえ、こないだ彼女の下着を見てしまったのは事実なのだから。
「わーい、さっすが笹谷さん! じゃあ、明日の夜7時に、○×△□レストランに来てくださいね!」
片野はそう言って帰って行った。それを見届けると、助手は科学者に文句を言う。
「博士、どうして止めてくれなかったんですか!」
すると科学者はため息をつきながらこう言う。
「あのまま彼女にここで騒がれては発明が進まん。むしろ君1人が犠牲になってわしの発明が完成すると思えば安いもんじゃろう」
助手もため息をつく。
「どうせまたエロ発明ですよねそれ」
「失礼な! 今回は前に透明マントを持って行った探偵事務所の部屋の照明が壊れたから直しておるのじゃ。できるならより長持ちさせてほしいというのでな、電球まで新しく作り直しているから面倒なのじゃよ」
科学者は反論する。ここまで完璧な説明ではエロを疑う余地もない。だが、
「博士がまともな発明品を作ってる……?」
助手からしたら次の日どしゃ降りが降るくらいの珍しさである。驚きと疑問が同時に起きたようなそんな声を出す助手。
「余計なお世話じゃよ。そんな訳じゃ、君もあの子に付き合ってやってくれ。あと一日もあれば完成するじゃろうから」
「……分かりました」
事実上の戦力外通告というやつである。こうなっては助手も諦めるしかなかった。
(ああいうあざとい感じの女の子はどうもな……)
助手がそんなことを考えながら立っていると、
「ささやさーん!」
片野が走ってくるのが見えた。彼女は彼女で白いドレスを身にまとい、夜の闇により一層その色が映えていた。普段の彼女とはまた違った印象である。
「かっこいいですそのタキシード……」
彼女は到着するや否や助手の服装を褒めてきた。
「あ、ああ、ありがとう」
助手は助手で戸惑ったように答える。高級レストランというからわざわざ買ってきたものだった。
「さ、行きましょう笹谷さん♪」
「あ、ちょ、ちょっと待って!」
片野は助手の手を思いっきり引っ張った。
「えっと、予約した片野ですが……」
「片野様ですね、こちらへどうぞ」
中に入ると、支配人と思われる人物のスムーズな案内によって、すぐに席に着くことができた。
「楽しみですね笹谷さん!」
「そ、そうだね……」
ワクワクした様子の片野に比べて、助手の顔は困り顔だ。彼からしたら望んでここに来たわけではないのだ。ある意味当然の反応と言える。
そんなこんなで彼女の会話に付き合いながら待っていると、その数分後に料理が運ばれてきた。
「こちらは、オマールエビの蒸し焼き~フォアグラの特製ソース掛け~でございます」
(うっわー、高そうだな……)
「さ、いただきましょ?」
「あ、ああ……」
少し引き気味の助手に対し、それをさも当然かのように食べる片野。どうも彼女はここに慣れている様子であった。もしかするとよくここに来ていたのかもしれない。
「うーん、おいしー!」
彼女の顔を見ていると本当においしそうに見える。しかしここによく食べに来るというのもなかなかのお金持ちだ。彼女は一体何者なのだろう。確かに彼女のことは苦手だが、
「ねえ片野さん。ちょっと聞いていいかな?」
「ふぁい? な、何ですか?」
片野は口に入っていたオマールエビを慌てて呑み込むと助手の方を向く。
「せっかくだから、どうしてうちの研究所に入ろうと思ったのか、聞いてもいいかな?」
「……理由、ですか? そうですねー、まあ私って高校卒業したばかりじゃないですか。これまでは親がそれなりに裕福だったから、ある程度ぐうたらしてても生活できたんですよ」
「……ぐうたらって」
歯に衣着せぬ言い方は彼女の性格なのだろう。彼女は続ける。
「でも、あたし頭があんまりいい方じゃなくてですね。大学にも専門学校にも行けるような学力も技術もなかったんです。で、いざ卒業してみたら分かりきってた通り路頭に迷っちゃって、結局家に引きこもる毎日な訳ですよ」
「つまりはずっとニート生活を繰り返していたダメ人間だったと」
「そ、そんなズバッと言わなくても……」
助手の冷たい一言は思った以上に片野に効いたらしく、彼女は机に突っ伏したまま数秒動かなかった。自分で言うのと人に言われるのとではまた違うということだろう。めんどくさいなと思った助手だが、口には出さなかった。やがて復活した片野は上体を起こすと、再び話し始めた。
「で、そんな時にネットサーファーにはまりましてね、女子高生の武器、携帯でやってたわけですよ。そしたらちょうどここのバイト募集を見つけましてね、これだー! となったわけです」
「……なるほど」
もう女子高生じゃなかったのに、というツッコミをしかけた助手は慌ててこらえるとそう頷いた。
「まあ結局笹谷さんにも出会えましたし、このバイトは私にとってかなりの大当たりでしたね」
「そ、そっか、アハハ……」
困った人に好かれたものだ、と助手は思う。だが、苦手とはいえ邪険にするほど彼女のことを憎めないのもまた事実だった。
「そういえば、笹谷さんは何か発明をしたことはなかったんですか? 一応あのエロ科学者の助手なんですよね?」
片野はふと思いついたかのように聞く。
「う、うん。まあね」
ひどい言われようだが、否定するところは何もないので(というよりも否定できないので)、助手はそのまま頷いた。
「何であの人の下についてるんですか? 私はまだ入ったばっかりだからよく分かりませんけど、少なくともあの人に笹谷さんほどの優秀な助手がつくほどのすごい人って訳ではないような気がするんですけど。そりゃあ、発明品自体は優秀ですけど」
「まあ、確かにあの人の性格自体はあんまり褒められたもんじゃないけどね」
同じ頃、研究所では、
「ハ、ハーックション!」
科学者が盛大にくしゃみをしていた。
「どうやら誰かがわしの噂をしているようじゃ。人気者は辛いのう」
そこまで言ってふと科学者はこんな考えを巡らせる。
「もしや、絶世の美女がわしの事を! ムフフ、ムフフフ……」
妄想の飛躍した科学者は顔を赤くしながらストンと立ち上がり一歩踏み出す。その直後、近くに転がっていた電球の試作品を踏んづけ、思いっきり床に頭を打ち付けた。
「あの人も普段はエロいことしか考えてないけどね。それでも私にはあの人の下について研究を進めたいって思えるような、そんな出来事があったんだよ」
「……あのエロスの塊みたいな人にそんないいとこあったんですか?」
片野はまだ疑い気味に聞く。最初に出くわした発明があれでは、確かに疑うのも無理はないだろう。初対面でここまで悪印象しかつかないのも珍しい。
「あれでも結構いいところもある人なんだよ」
助手は科学者を褒める。これに関しては嘘偽りのない、助手の心からの気持ちであった。
「そんなもんですかね……? じゃあ聞きますけど、笹谷さんとあの科学者さんが出会ったきっかけって、一体何だったんですか?」
「きっかけ、か……。少し長くなるかもしれないけど、聞いてくれるかい?」
「はい。私も笹谷さんがどうしてあのエロ科学者にそこまで心酔しているのか、その理由が知りたいですし」
片野の言葉に、助手は話し始めた。
「あれはね、今から5年前、私が大学を卒業する半年くらい前だったんだけどね……」
その頃の私は、単位も大体取ってたから後はもう卒業を待つだけってなってたんだけど、まだやりたいことも特に決まってなくて、講義のない日はよく公園で佇んでたりしてたことが多かったんだ。こんな風に過ごしてていいのか、って考えたことも1度や2度じゃなかったと思う。そんなある日の事だったかな、公園で、何かを作ってる人を見かけたんだ。今時白衣なんて着ておかしな人だなぁ、って思ったのは今でも覚えてるよ。言うまでもなくそれが今の博士だったんだけどね。
「おい、そこの」
「……はい?」
そんな感じで博士を見てたら、いきなり博士が話しかけてきたんだ。
「君には、これが何に見える?」
それは、どこからどう見ても水鉄砲だったんだけど、私の知ってる水鉄砲とはレンズがついてたりして何かが違っていたんだ。だから、私は少し考えてこう答えた。
「そのレンズで狙いを定めた対象に、必ず命中する水鉄砲、とかでしょうか?」
そしたら博士がいきなりダッシュで近寄ってきて、私の手を握ってこう叫んだんだ。
「素晴らしい! 君、わしの助手になる気はないかね?」
それが、私と博士との最初の出会いだったんだ。




