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四季は意に  作者: Λlice
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景色の双眼に於ける不一致

 バルコニーから見える空は、いつも青い。全ての空がこんなにも澄んだ青色かどうかは私は知らないが、城に遺されている絵を見る限り、緑色の空や、虹色の空もあるようだ。一度でいいから見てみたい。澄んだような青い空に、所々白い雲が見える。その境界線は一体どうなっているのだろうか。


 どうやらあの白い雲は、透明な水からできているらしい。川辺に出てすくった水は透明なのに、どうして川は深い青色をしているのだろうか。どうして雲は白色をしているのだろうか。滝壺に落ちる水は割と白く見えるが、それは空気が入っているからなのだろうか。私にはよく分からない。水の中に目に見えない不純物が入っていて、それが大量に集まると着色して見えるのだろうか。本来水は青色をしていて、それがあまりにも薄いために私はそれを透明だと認識するのだろうか…。


 雲を構成する水が本当にあのいつも見ている水ならば、どうして落ちてこないのだろうか。その疑問に応えるように空から水が降ってきたことがある。それは雨というものらしい。白い雲と灰色の雲は別の種類の水からできているのだろうか。白い雲は浮く水から、灰色の雲は落ちてくる水から。


 私の知識はまだ乏しい。彼女に比べると。


 私がどうして言葉を知っているのか、どうしてこの世界についてほとんど知らないのか、どうして私が生活できるのか、それは私には分からない。気がついたら私はここにいたし、少しの言葉や生活に必要な知識を持っていた。ただ、私にはそれ以外のことは分からない。この城にある大量の本を読むことで私はここではない世界の知識をたくさん学んだ。いや、もしかしたら本当は元々それはこの世界の知識だったのかもしれない。なぜならば、それらのほとんどはこの世界に適応可能だからである。


 私は、今はこうして私と自分のことを呼んでいるが、自分が誰なのか分からない。


 そもそも、始まりとは如何なるものだったのか。今となっては、私はもう覚えていない。だが、それはまるで朝起きるときのようなものではないか。徐々に色が濃くなっていく。画用紙に絵の具を垂らした時が厳密な意味での始まりだろうが、それが絵として認識できるようになるにはある程度のプロセスを経る。私がこの世に存在する、或いは存在すると認識するようになったのも同じようなことで、きっと明確なラインはないのだろう。認識する器官が一定の機能を持つようになる境目もあるかもしれないが、無限小に近い物質が徐々に増加してそのようになったのだとすれば、一体どうして境目をつけることができようか?認識を認識できるようになるには認識の存在が前提となる。しかし、既にその時点で"始まり"などというものは存在していないのだ。私は未来永劫、自分の"始まり"について知ることはないだろう。


 この世界の始まりとは一体何なのか。無論、この世界の存在自体を疑うことはできよう。しかし、この世界が虚構だとしても私の精神は存在している。少なくとも、存在していると認識できる。その場合には私が「世界」ということだ。孰れにしろ、「世界」の始まりについて考察することは可能だ。



 私は一度、彼女に尋ねたことがある。



 「存在の本質は存在していることよ」


 私はしかめっ面をする。


 「それどういう意味?」


 「存在とはいつだって不明瞭。例えば、必ずしも右目で見ている光景と左目で見ている光景が一致するとは限らない。存在の存在を仮定すれば、不存在の存在も仮定することになる。そして存在の存在という存在、不存在の存在の不存在など、仮定は拡張されていくと。そうすると永遠と螺旋を描いて、いつまでも終わりがない。これは存在も不存在も区別がないのと同義」


 彼女はそこで一旦話を区切った。私が話を理解するのを待ってくれているようだ。


 彼女の双眼は青い。深く、澄んだ青をしている。私が見ている空もまた澄んだ青だが、彼女の眼の色は、概念的には青というより黒に近い。夜空を見るとき、私は星々を見るが、彼女は宇宙を見ている。彼女の横顔がそう語っているように、私には思える。


 彼女の瞳が一瞬閉じる。その一瞬で私が消えたら、彼女は驚くだろうか?


 「誕生があり死滅がある。それは貴女もこの世界の生物を見て理解しているはず。所詮体は器に過ぎないけれど、一度その機能を停止したら二度と動くことはない。生を仮定すれば死があるのよ。じゃあ、死んだら一体どうなるのか。それは死でしかない。トートロジーだけれど、これが本質ではないかしら」


 「その存在の本質は存在することというのは分かったけれど、それと世界の始まりに何の関係があるの?」


 「世界の始まりというものは存在しえない」


 「え?」


 それきり彼女は黙ってしまった。私は、彼女から一体どう思われているのだろうか。



 当然ながら、私がここで暮らし始めた当初は本に載っている言葉は分からないものだらけだった。今になって本の中の人物と比較すると、いわゆる「幼児」程度の語彙しかなかったのだろう。当時の私が彼女に尋ねると、無言で何冊か辞書を渡された。以来、私は何年経ったか分からないが、この辞書を使い続けている。


 どうやって私が文字や言葉を覚えたかは、また後日記す。


 辞書には新しい言葉の意味が記されていた。私は本を読んで言葉とその意味を覚えたが、しかしそこには概念が記されていなかった。私の心から湧き出るものを、私は一体何と呼べば良いのだろうか。私は物語をよく読んで、その中の登場人物の描写を参考にしながら、言語化できないものに名前をつけていった。恐らくはこう呼ぶのだろう、と。


 私は毎日がとても"楽しかった"。書物がとても"好き"だった。私はこの感情の名前を、本来は知っていたのかもしれない。だが、私はそれが本当にそういう名前のものなのかが分からなかった。だから、もしかしたら私が楽しいとか、悲しいとか、そう呼んでいる感情というものは間違っているのかもしれない。私はいつも、この感情というものの認識と把握、理解に努めている。


 私は、私という存在が解らない。私はどうしてここにいるのか。どうして生きているのか。そもそも、生きているとは何か。私には解らない。彼女は何か知っていそうだが、尋ねても私には何も教えてくれないのだ。


 書物の中の世界には、人がたくさんいる。ほとんどの人間が家族という共同生活体を持ち、友達という存在が傍におり、そして恋人や愛人という存在がおり、様々な人間との関係の中で過ごしている。私はどうなのだろう。彼女と私は一体どういう関係なのだろうか。私は何年も彼女の姿を見てきたし、何度も言葉を交わしてきた。しかし、私はそもそも彼女がどういう存在なのかすら分からない。もしかしたら、生きていないのかもしれない。



 しかし、私は「男」という存在を知らない。



 彼女の性別は女だ。それは生物学的にそうであると、彼女から直接聞いた。



 そして私もまた、女なのである。






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