走ることを止める犬
少し抽象的な描き方かもしれませんが、若さとその先にあるものについて、未熟者なりに書いてみました。
草に覆われた柔らかな地を蹴り飛ばし、前へ跳ぶ
やがては引き寄せられるように足が地に落ちる
落ちてぶつかりながら力を加えればまた前へ跳べる
そう、何よりも素晴らしい
走るということ
何度だって跳ぼう
何度だって落ちよう
何処までだって走ろう
前へ前へ前へ前へ前へ
風が身体を中心に裂けて流れていく
体毛をたなびかせて去っていく
私の熱い身体を吹き抜けていく
彼らもまた
逆の方向へ走っていく私の名残
また誰かの身体を撫で吹き抜け走り去り
その誰かも
いつかは走りだす
青々とした若草の匂い
飛沫をあげて流れる川の匂い
蹴り跳ばして抉れる土の匂い
すべて太陽の匂いがする
広大な空の匂いがする
夏を形づくる匂いの中を
夏を形づくる一員となるように
この若い身体を携えて
何処までだって走ろう
「父さん…生きてる?」
ソファにコンニャクのようにだらしなく寝そべっていると、息子が顔を覗いてきた。
半開きの口から出るに任せて喉仏を動かすと、『んぁー』と間抜けな音が出た。
「…散歩、エンジョイしたみたいだね」
二十八歳差の小僧は、声変わりしたばかりの半端な高さの声で笑う。
笑顔が小憎たらしい。誰に似た。
「……栗坊は欲求不満じゃないのか」
「知らない。散歩するといつも走りたがるんだ。河川敷とか行くと、ほらあそこ縦に長いっつーか」
「それを知ってわざと河川敷散歩コース勧めたか、裏切り者め」
「何を裏切ったんだよ」
「老いて弱々しくなった父さんの身体をだ」
「ああ、辛いね四十五にもなると」
「四十四だッ」
変わんねーと我ながら思うところが切ない。
そんな父の複雑な心境を知ってか知らずか、
「でも友達はみんな父さんのこと、年より若く見えるってさ」
時々使う慰め文句を後に、自室へ戻っていった。
夕方五時。
庭に続くガラス戸が、柿色の陽でリビングの床に傾いた四角を描いている。その四角は少しソファにも這い上がって、俺の脇腹辺りまでも染めていた。
暖かい。
昼の光より弱く、だが密度を感じさせる夕日。
一日分働いた太陽だけが発する深みのある光だ。
天井に向けていた顔を傾けて庭に向ける。
コンクリート塀も芝生も栗坊の小屋も、暖かな色に染まっている。
ああ、今日も終わっていく。
正確に言えばあと十九時間程残っているのだが、どうしても『日が沈むと今日が終わる』という印象が拭えない。
小さい頃は夕日が帰宅の合図だった。
だから柿色が世界を染めきるまで、ひたすら遊んでいた記憶がうっすらと残っている。夕日を見ればいつもより少しだけ鮮明に、あの頃の感覚が強くなる。
今日は初めて河川敷で栗坊を追い掛け回した日。
あんな風にして、俺は友達とあの河川敷を駆け回っていたのだろうか。
草の匂いを感じ
土の匂いを感じ
川の匂いを感じ
夏の生気を体中に浴びて
昼の太陽が傾いていくのを惜しみつつ
何処か柿色の夕日を心待ちにして
全てが『一日の終わり』に染められると
一目散に帰った場所がある
母さん、元気かな
郷愁にほんの少しだけ涙ぐんでいると、いつのまにかガラス戸の傍に栗坊が来ていた。
その名前の由縁たる栗色の毛並みまで柿色だ。
ただ二つの邪念の無い瞳だけに、ひと足早く夜が来ていた。
「お前はガキの頃の俺にそっくりだな」
ガラス戸に隔てられて聞こえるわけは無いが、絵になると思って格好付けてみた。
あの頃の河川敷は、無限に続く路だった。
何処まで走っても、川と共に終わりが無いのだと思い込んでいた。
夕日が来なければきっと走り続けていただろう、
幼く力強い身体を携えて
お前もそうか、若い命よ
「お前にもいつか、夕日が来るさ」
捨て台詞を吐くと再び天井を仰ぎ、今は“母”にもなり、母よりも強いかもしれない妻が買い物から帰るまで、眠ることにする。
深く寝入る頃には、もう西日すら屋根の向こうだ。
夜は
家族との時間だ−−
河川敷に終わりはない
代わりに太陽が沈み
夕焼けが世界を包む
郷愁と母
または家族という
帰らずにはいられない場所へ
導くように
縛り付けるように…
END