9.田舎道をスーパー目指して
案の定、店を見つけるのに一時間以上かかった。
祖母の屋敷は小さな山の頂上に建っており、平地に出ても目に入るのは緑色まっさらなたんぼ、たんぼ、たんぼ。
「この景色は変わらんなぁ」
横で少女が感嘆したように言う。
二人はそのまま歩き続けた。十分も歩けば夏の日差しの中、汗だくである。しかし美夜は汗ひとつ流すことなく、息ひとつ乱すことなく、スキップでもしそうなくらい上機嫌に歩いている。白く細い足には不似合な大きい黒いサンダルを履いている。これは隼佳のものだ。
一方の隼佳は靴を履いているのだが、道が舗装されていないため歩きにくいったらない。
数十分後、たんぼで農作業をしている人影を発見したときは安堵のあまり溜息がついた。『ザ・田舎のおばあちゃん』みたいな感じのバーチャンがこっちに尻を向けて草取りをしていた。
この近くになにか店はないか、と聞くと、何やら指を指して道順を一通り説明してくれた。
「歩いたら四十分はかかるねぇ」
呑気な口調でバーチャンはそう言った。それを聞いた隼佳は半べそ状態だった。この炎天下の中四十分も歩いたら干物になってしまう。
そんな隼佳の傍ら、美夜は笑顔で、「感謝するぞ、ご老人。達者でな」なんてバーチャンに向けて言っている。
「はれま、べっぴんさんだねぇ。あんたたちカップルかい?」
年寄りのクセにカップルなんて単語よく知ってるな、なんて思う隼佳の横で、美夜が悪戯っぽくニヤリとした。
「おうよ。もうすぐ結婚だ」
「ほへぇ」
隼佳が慌てて美夜の手を引くとその場を後にした。
「なんだ急に。そんなに私が嫌いか」
美夜は途端に不機嫌になって口を尖らせた。
「ちがう。ただちょっと・・・」
隼佳は顔を朱に染めながら足早にあぜ道を歩いた。
「昔はお前くらいの年の者は皆結婚していたのだぞ。それとも私など好みではないか。まぁそんなに怒るな。ただの冗談ではないか」
人の気も知らないで、と隼佳は心の中で呟いた。こんな美女が恋人ならどんなに幸せか。
ようやく古ぼけたスーパーの看板が見えた時には感動のあまり思わず涙が出そうになった。
「ほほう!店についたか!」
美夜も先程のことが頭からとんでしまったのか、嬉しそうだ。
スーパーといっても、コンビニ二軒分くらいの大きさしかない。
いまどき珍しい手で開けるドアを入ると、エアコンの心地よさに隼佳は顔を緩ませた。
「涼しー!」
しかし美夜はどうでもよさそうに店内にスタスタと入ると、商品を物色し始めた。
「おー!」とか「ほー!」とか連発している。その顔は無邪気な少女そのものである。こんなに喜ぶなら連れてきて正解だったな、と隼佳も顔をほころばせた。
だが喜んでばかりいられないのも事実だ。
隼佳はポケットから財布を取り出すと美夜が現れる前までのこの旅唯一の友人、ゆっちゃん(本名福沢諭吉)を取り出した。旧一万円札に写ったゆっちゃんは心なしか少しさみしそうな表情である。
「まぁ、最後の思い出は片田舎の小さなスーパーでのお買い物ってことで」
一人そんなことを呟くと隼佳は再び財布に紙幣を戻した。
小さいながらもスーパーはやはりスーパーだった。ちゃんと商品が揃っていた。
隼佳はカートのカゴに野菜と肉のパックを入れると、おやつを少々、そして飲み物を買った。むろん酒は抜きである。
そろそろレジに行くか、と思ったその時に、店の端から「はーやーかー!」と叫びながら美夜が走ってきた。それを見ていた主婦らしき客は小声で笑ってたし、美夜の美貌に釘づけの部活帰りらしき高校生三人は嫉妬の目線を隼佳に送った。
「は・や・か!金がないところすまんがこれを買ってくれんか?」
美夜の手には銀色の金属光沢を放つネックレスが乗っていた。細かい作りのチェーンと、その先にはガラス細工か何かか、きれいな透明のひし形をしたものが付いている。
「どこでこんなもん見つけた?」
「そんなことより、頼む」
美夜の手からネックレスを取ると、隼佳は一緒についていた値札を見つめた。
2000円。所持金一万円で一か月やりくりするには高すぎ。
「無理。高い!」
「頼む!この通りだ!」
美夜は何を思ったのか、おもむろに両手で隼佳の手を握った。隼佳の心臓がバクバク鳴り出した。こちらを見ていた高校生たちから「おーっ!」と声が上がった。
「家に帰ったら何でもする!だから頼む!私とお前の、この夏の思い出に買ってくれ!」
これでもかとばかりに美夜が接近する。目がうるうるして、お願いします、という表情だ。あまりに近くて顔がくっつきそうだ。もう隼佳の心臓は体を突き抜けてどこかで飛び跳ねている。
「わ、わかったよ」
「本当か!」
美夜の顔がぱっと明るくなる。
「仕方ないな・・・」
「それでこそ隼佳だ」
「はいはい」
仕方なく隼佳はネックレスをカゴに入れるとカートをレジに押した。
代わってほしいとばかりに熱い視線を送る高校生の傍らを通りレジ待ちの列の最後尾につく。
「でもなんでこれなんだ?」
隼佳は横で輝かんばかりの笑顔を浮かべている美夜を見つめた。
「言っただろう。“夏の思い出”だ」
「ははぁ・・・」
もう何言ってんだ、と隼佳は溜息をついた。
レジのおばちゃんは隼佳と美夜を見て何を思ったのか、「ははぁ」なんて呟きながらつり釣銭を計算した。隼佳の渡した紙幣が旧一万円札だということになどまるで気づかなかった。
「はい。どうぞ」
会計の後、隼佳はちょっとムスッとして美夜にネックレスを渡した。美夜は嬉しそうにそれを自らの細くて色白の首につけると、隼佳の片手にぶら下がっていた買い物袋をひょいと持ち上げると、「よし!帰ろう!」といって店の外に出て行った。残された隼佳もやはり大きなビニールの買い物袋をぶら下げて出口に向かった。外に出れば再び灼熱地獄、おまけに重たい荷物つきで一時間近く歩くのだということに隼佳はまだ気づいていなかった。