4.白銀の竜あらわる
凍った。心も身体も。
もう幽霊フラグ成立である。あとは振り返って想像通りのお化けがいれば完璧だ。
隼佳は地面に手をついたままゆっくりと振り返った。
薄明りの中、そこにいたのは―
大蛇。最初はそう思った。
隼佳の腹ほどもある太さの長い胴部、そして尻尾。暗いためよくは解らないが、恐らく白い体色。太さからもわかるように、全長も桁違い。隼佳なんて丸呑みにされてしまうだろう。
ショックと恐怖で隼佳は完全に腰を抜かしていた。もはや震えることすらできない。
逃げようとは思っているのだが、情けないことに体が完全に固まっている。
隼佳の目の前で、大蛇が首を上げた。隼佳は驚いた。目の前の生き物は蛇などではなかった。
暗闇の中で光る蒼い目、額の部分からはユニコーンを思わせる立派な角、そしてこんな暗闇の中でも見るものを魅了する美しい淡青色の長髪。
こんな生き物見たことがない。いや、似たようなものならある。あくまで仮想の世界、仮想の生き物ではあるが。
竜、ドラゴン。目の前の生き物はそれに酷似している。
そして隼佳は思った。先程の声、そして目の前の見事な姿からしてこの生き物、いやこの竜は人間に例えるなら女性だ。それも絶世の美女である、と。
暗闇の中で、隼佳と竜の目があった。
「玄真か?」
ちょっと低めの女性の声で、竜はそう言った。
隼佳は首がもげそうな勢いで首を振った。
竜は隼佳の答えに納得いかなかったのか、目を細めて踏ん反り返った。
「では誰だ?名と姓を名乗れ」
恐ろしく高圧的だ。本来ならば隼佳だってこんな態度をとられたら頭にだってくる。しかしこんな未知の生物の前で、おまけに腰を抜かしているのにそんな態度は賢明ではない。
「は、隼佳。深条 隼佳」
「何?深条と言ったか」
隼佳はうんうんと頷く。
「玄真はどこだ?わかるか?」
ゲンマ?誰の事?
「い、いいえ」
まだ声が震えている。情けない。
竜は腕を組むとしばらくウンウンいって何かを考えていた。
隼佳も頭をフル回転させて考えていた。この後どうしようか、と。
(逃げる?逃げちゃう?)
それもアリ、というか一番賢明な気がする。このまま頭からガブリ、となったら一か月のサバイバルどころか半日のサバイバルである。笑えない笑えない。
「おい」
隼佳は飛び上がった。いつの間にか竜の顔が目の前にあった。
「何を怯えている?お前が奴らの仲間ではないのなら殺したりはせんよ」
「や、奴らって?」
あの無責任な叔父のことだろうか?もしそうなら黙っとこう。
「・・・・・いや、知らんならいい」
そう言って竜はゆっくりと立ち上がった。体に比べて手足は短いが、いざ立って首を伸ばしたら三メートルはありそうだ。竜もこんな狭い部屋では非常に窮屈そうだった。
「ここは狭いな。外で話そう」
竜は固まった隼佳の傍らを過ぎて出て行った。
何とか立ち上がった隼佳は、ふらつく体で何とか外の大きな座敷に戻った。
竜はとぐろを巻いて隼佳を待っていた。
「ま、その辺に座ってくれ」
竜がアゴで畳を指した。
隼佳は恐る恐るその場所に正座した。
「楽にしてくれて構わんよ。ちょっと聞きたいことがある」
竜はじっと隼佳を見つめた。美しい蒼い目は瞬き一つしない。
「今日は何日だ?」
「えーっと」
隼佳は一瞬混乱した頭を整理する時間を必要とした。
「は、8月17日です」
「何年だ?」
「平成23年、2011年です」
「ほほう。そんなに時間が経ったか」
竜は隼佳から目を逸らすと遠くを見るように窓を見つめた。そこに外の景色は映っていない。雨戸の裏しか見えない。
「8月中旬・・・あと1か月か」
「・・・え?」
あと1か月?隼佳は首を傾げた。それは隼佳の本国帰還までの残り期間である。
「まあよい。そんなことより・・・あ~」
名前忘れたんかい、と余裕の出てきた隼佳は心の中で人の悪いニヤリ笑いをした。
「隼佳です」
「おおそうだった。隼佳、この家にはほかに人はいないのか?」
「僕一人ですが・・・」
「ん・・・まあいいか。隼佳、何か食べるものはないか。私は腹が減った」
再び隼佳に戦慄が走った。今何もないなどと答えたら「じゃあお前を食う」とか言い出すかもしれない。それはマズい。
「パ、パンならありますけど」
明日の朝飯用だったんだけど。
「パンか。まあこの際贅沢は言えんな。頼むよ」
「は、はい」
立ち上がるとそのまま台所に行きクリームパンの袋(一袋6つ入り)をぶら下げて座敷に戻った。
竜は待ちくたびれたらしく、仰向けにばったりと倒れて涎を垂らしていた。先程の威厳はどこにいったのか。
「おお、遅かったな」
まだ30秒しか経ってねーよ、とツッコミつつも、隼佳は袋を開けてパンを一つ差し出したが、竜が口を開けてあーんの仕草をしたため、そっと口に放り込んでやった。
「んんっ、なかなか美味だ」
その顔に笑みが浮かぶ。それを見て隼も口が緩んだ。
こんなにも威厳と美しさに満ち溢れている姿、口調なのに、これでは子供もいいところだ。
「おい、もう1個くれ」
竜が口を開けた。真っ白な牙が口内に並んでいてかなり物騒なので、2回目だがこの作業は慎重にやる。
案の定、というべきか、結局全部食われた。
「うぅ~もう終わりか?」
竜が不満げに口を尖らせた。隼佳は袋を逆さまにして見せた。
「もうパンは残ってませんよ」
本当は家から持ってきたカップラーメンとかがあるのだが、それは隼佳が食われる時が来た場合の最終手段としてとっておこう、と思った。
「さて、少ないながらもメシも食ったことだし、寝るか」
竜がゆっくりと身を起こした。のそのそと廊下に出ていく。
「ど、どこに行くんです?」
「寝床があるとこ、すなわちお前の部屋」
「ええっ!?」
「なんだ、嫌か」
「いやいやいや!そういうことじゃなくて・・・」
「私が女だからか」
「やっぱり・・・ってそうじゃなくて・・・」
「まぁ今日は勘弁してくれ。私はくたくたなんだよ」
「・・・はい」
隼佳は溜息をついた。なんだこのシチュエーションは。
こんな山の奥のお屋敷で1か月のサバイバル、そして夜中の恐怖の物音、その正体であるこのよくわからない竜のオネーチャンに朝飯を食われ、終いには同じ部屋で寝ると言い出した。
だがそれにしてもきれいだ、と隼佳は思う。
電灯に照らされている竜の白銀の鱗はキラキラと輝き、サラサラな髪は動くたびに美しくたなびいている。
電気を消しつつの移動だったため、少し時間がかかったものの、寝室として使っている部屋に戻ってきた。
布団が1セットしかなかったので、とぐろを巻いて眠ろうとしている竜に薄い掛布団をかけてやった。
「済まんな」
蒼い瞳をゆっくりと閉じると、竜は口を開いてそう言った。
「いいえ。じゃあ、電気消しますよ」
「ああ」
隼佳はスイッチを切ると、敷布団の上に体を投げ出した。
不思議と、気分がよかった。それもそのはずだ。1か月この家で過ごすことについて嫌だったのは、食糧のこともあるが、一番の理由は独りであることだったからだ。
もしずっといてくれるのなら―確かに色々と負担になるのは事実だが―自分がここを去るまで居てほしい、そう思った。
あっ、と隼佳はあることに気付いた。
「もう寝てます?」
「ギリギリ起きている。なんだ?」
「あの・・・名前をまだ聞いていません」
「ああ、私の名か」
一拍おいて、若い女性の声はこう言った。
「美夜、だ」