プレゼントは『詠唱の長いコーヒー店のギフトカード』
実は私にも友人がいる。
奇人変人小説書きで、『友達はいないだろう。』と他ならぬ友人から言われることもあるが(君は一体何なのだ?)、私に祝い事があった時に祝ってくれる物好きな友人が、一人や二人ではなく、いる。
話は飛ぶが、こんな私にも誕生日の一日や二日はある。嘘である、流石に年に一日しかない。
ただ、祝われる機会は少ない。
大概忘れられる。
忘れられる悲しみは知っているので、こちらは忘れないように心掛ける。
すると一方的に祝う形になる。
律儀に祝うので半ば呆れつつも称賛される。
気持ち程度だが贈り物をすることもある。
贈り物をすることがそれなりに好きなので返礼は無くて構わない。
人を祝うのが一種のセーフティー……『他を祝えるだけの人間性と余裕がまだ自分にはある』という境界線にもなっている(これが出来なくなればブレーキを踏むことにしている)。
私の誕生日を忘れて贈り物もしないくせに『誕生日だ、祝え!』という横暴な輩が湧くこともある。
そういう輩に贈り物は決してしない。
贈り物はあくまでこちらの興が乗るからやるので、やらされるものではないのだ。
ちなみに、その横暴な輩は結局私から何も貰えず、それを周囲にわざわざ吹聴し、同情を買おうとして『ねだるだけのお前が悪い。』と叩かれていた。
自業自得である。
たが、誕生日を忘れずに、祝ってくれる物好きな友人も、中にはいる。
そんな友人が先日、腹の立つ素敵な贈り物をしてくれた。
贈り物は、詠唱の長いコーヒー店のギフトカードだった。
店名は言わない。
無意味な配慮だと、我ながら思う。
贈り物のコンセプトは『黒銘菓に果たして商品が買えるかチャレンジ』だそうだ。
実に業腹である。
『店に行かなそう』だの、『だから敢えて選んだ』だのと、好き勝手言いおって。
文句を言いたい。
図星である。
大当たりである。
何も言い返せない。
実に業腹である。
何より腹立たしいのは、誕生日を忘れずに祝い、贈り物まで用意し、しかも選んでいるのは好物のコーヒー。その上でこちらの性格を見透かした様に『未知の刺激』というトッピングをして寄越した。
解像度の高い、的確なプレゼントを、腹の立つ理由で寄越しおって……。
業腹である。
そんなことを思い、指先をひょこひょこと動かしてこの文を書きながら『これは中々美味しいなぁ。』と珈琲で喉を潤している。
ところで私は根に持つ性格である。
10年経とうが100年経とうが、怨み骨髄、坊主を憎めば袈裟まで憎むし、なんなら寺まで焼き討ちする勢いだ。
この怨み晴らさでおくべきか!
魔太郎である。
さて、これを読んでいる友人に告ぐ。
腹の立つ、しかし思わず笑ってしまう素敵な贈り物をする友人に告げる。
上限はない、加減もしない。
次の誕生日、楽しみに待つといい。
嬉々として贈り物をしよう。
とまあ、結局言いたいことは『誕生日を祝ってくれてありがとう。』の一言だけなのだ。
それを、手間を掛けて質面倒な文章にして、わざわざこんなネットの海に流す。
『黒銘菓はやっぱり面倒くさい。』と言われそうである。




