学年総当たりで告白してたら幼馴染に襲われた件
「寺嶋さん、俺と付き合ってください」
言った瞬間、空気が一段冷たくなるのが分かった。勝負をかけた台詞だと自分でも分かっている。返事はいつも決まって短かった。背中越しの声は、今日も同じように冷たい。
「ごめん、無理です」
それだけで、彼女は校舎の陰に小さく消えた。──五十六回目の敗北。数だけが静かに積み重なっていった。
家に帰るとテレビの音だけが代わり映えなく流れている。両親は忙しく、おかずの皿と会話はいつもすれ違い。幼いころから人に拾われる感覚を知らずに育った自分は、誰かに「側にいてほしい」と思われることをどこかで証明したかったのだ。告白を繰り返すのは、注意を引くための拙い戦略だった。正当化できる理由なんて後づけでしかない。だが、何もしないまま流されることが一番怖かった。
友達はいる。部活もある。だが「誰かと特別になる」という経験は、いつも遠い他人事だった。だから、数々の失敗も、それなりに必死だった。成功より「挑戦した自分」を胸に刻みたかった。
そんな自分の唯一の安全地帯が西宮だった。幼馴染で、膝の上に頭を預けると世界が静かになる。彼女はよくからかい、冷たく突き放す。だがその突き放し方はいつもどこか均衡を崩さない。砂の上の城みたいに壊れそうで壊れない場所だった。
ある放課後、また俺は誰かに告白した。今度は「ちょっと考えさせて」と返ってきて、心臓が跳ねた。断られるよりはずっと良い。嬉しさを抱えたまま俺はすぐに西宮のところへ走った。胸の中の軽さを誰かと分かち合いたかった。
「さっきの子に、断られなかったんだ。『考えさせて』って!」
息を切らしながら報告すると、西宮の顔がふっと曇った。言葉を待つ間、彼女は首を軽く振ってから、意外なことにぽろりと涙を浮かべた。驚いて「どうした?」と聞くと、わざとらしく首を傾げてふふと笑い、そのまま少しだけ声を揺らして言った。
「聞いてほしいことがあるの」
その声はいつものからかいと似ているけれど、奥に刃がある。西宮は目をしっかり合わせて、淡々と、でも辞めない口調で続けた。
「ねえ、私、前からずっと君のことが好きだった。馬鹿でしょ、今まで言えなかった私の方が一番馬鹿だよ」
笑い混じりに言っている。でも目は硬い。幼馴染の告白は、冗談で片付けられるものじゃないと初めて突きつけられた気がした。胸の中の何かが、静かに動き出す。
その瞬間、ポケットのスマホが震えた。画面にはさっきの「考えさせて」って言った子からのメッセージ。
「OKです。私でよければ付き合ってください」
ふたつの真剣な声が同時にそこにあった。西宮の手が俺の腕を強く掴む。暖かさと震えが同時に襲ってくる。答えを出さなければ、誰にも向き合えない。だから、俺は両方に正直に話すことにした――逃げ道を作らず、自分の掌で決めたかった。
まずLINEの彼女には事情を伝えた。素直に幼馴染の告白で迷っていること、返事を先延ばしにしてほしいこと。彼女からの返信は、予想よりも複雑だった。
「教えてくれてありがとう。でも、正直ショック。期待してた自分もいたから。でも…あなたが正直でいてくれるなら、私は待つよ。ただ、それだけ」
怒りや嫉妬がないわけじゃない。行間に刺がある。でも言葉は柔らかく、その分の重みがあった。彼女は「自分も人間なんだ」と素直に伝えてくれた。すぐに諦めるほど余裕はないが、冷たく突き放すでもなく、どこか大人だった。俺はその返信に救われつつも、胸の中の薄い罪悪感を消せなかった。
一方、西宮には「時間をちょうだい」と言った。彼女は小首をかしげて、ふふっと笑う。
「ふーん。早く決めなきゃね。私、待つの得意じゃないからちゃんと急かすよ?」
からかい混じりで嬉しそうだ。だがその笑いの端に、確かな切迫感が見える。嫉妬とか独占欲というより、「今」を失いたくないという強い決意がそこにある。彼女の感情の核が、ようやくわかった気がした ――西宮は自分の居場所を恐れている。誰かに取られるのを、幼い頃から恐れていたのかもしれない。
数日間、俺は眠りが浅かった。授業の合間に自販機で同じ缶コーヒーを二本買って、片方を想像の中で渡す。西宮といるときの仕草、眉間に寄るシワ、眠そうなまぶたの具合。どれもがじんわりと心に馴染んでいる。対してLINEの彼女と過ごす未来は色鮮やかで新しい。知らない駅、知らない料理、知らない会話。刺激に惹かれる自分も確かにいる。
数字で測れる「成功」とか「敗北」はもうどうでもよかった。重要なのは、どちらの未来が自分を日々支えるかだ。安定か、驚きか。その選択は理屈より肌感覚に近い。
ある朝、帰り道の雑踏で俺は決めた。人混みの中、駅のネオンがかすかに滲んでいる。西宮はいつも通り、微妙に斜に構えている。俺は息を整え、彼女の手をぎゅっと取った。言葉は震えながらも真っ直ぐだった。
「西宮、俺と付き合ってくれ」
一瞬、彼女の顔が固まった。次の瞬間、満面の笑みが弾けた。だがその笑いは、ただ嬉しいだけのものではない。目の奥に引き締まった覚悟と、少しの痛みが混じっていた。
「やった、待ってたよ」
二人はぎこちない距離感のまま笑った。抱き合うにはまだ照れ臭かった。だけど手の温度は確かだった。数日後、LINEの彼女とちゃんと会って、直接謝った。彼女は一瞬寂しそうに沈んだ表情をした後、少し笑ってこう言った。
「あなたが自分で決めたなら、それが一番だよ。ありがとう。幸せにね」
彼女の言葉は綺麗に割り切れたものではなく、痛みと温かさが混ざっていた。俺はその寛容さに救われた。
付き合い始めた日々はぎこちない温度で満ちていた。授業中に小さな合図を送り合ったり、放課後に自販機で同じ缶コーヒーを買って肩を並べたり、取るに足らない会話が宝物に変わる。西宮は相変わらずからかうけれど、夜遅くになると本当に心配してくれる。怒られても、その怒り方が妙に居心地よい。
ある夕暮れ、二人で帰る途中、夕陽が校門の鉄格子に長い影を作っていた。西宮が急に立ち止まり、俺の手を強く握りしめた。
「ねえ、知ってた?」
「何が?」
西宮は鞄から小さなノートを取り出した。ページの隅には、赤いボールペンで数字が並んでいる。五十六、五十七——俺が告白した回数と同じ数字だった。ノートの端には、日付とささやかなメモ。彼女はページを指でなぞりながら、すこし照れくさそうに笑った。
「最初は、からかってたの。あなたのことを見てるのが楽しかったから。でも、ある日あなたが告白して歩いてく姿を見て、胸がぎゅってなった。あの日から私はずっと、あなたがどんな選択をするか見てた。待つって言ったけど、本当は待つのが得意なんかじゃなかった。ずっと、怖かった」
その言葉は甘く、少し冷たい。だが最後に、彼女はノートを破り捨てる真似をして小さく笑った。
「ねえ、これからは数字じゃなくて毎日で測ろう。馬鹿なこと、いっぱいしようね。ずっと、隣にいるから」
その声には確かな約束があった。俺はノートの破れた形を思い浮かべ、胸の中にぽつんと残っていた罪悪感が少し溶けるのを感じた。選択は正解でも間違いでもない。だが今は、この温度が正しい。手の暖かさと向き合う覚悟が、数の重さよりずっと重い。
西宮の囁きは甘く、冷たく、そして静かに温かかった。二人で馬鹿なことをすると決めた日、夜風が校門を抜けて髪を揺らした。